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コミュニケーションコストのはなし

上手くいかないことがあり、一晩中泣いていたら翌朝くっきり二重になっていました。上手くいきました。Harukaです。


世の中がどんな感じになっているのか、いまいち掴めていないのですがコロナ前の生活に割と戻ってしまっているという認識でいます。


何が言いたいかというと、オンラインツールの利用が誰にとっても自然なことになりかけたのに、結局対面形式で色々やってて何も進化してなかったということです。


「この会議やる意味ある?」「時間かけすぎじゃない?」と思うことは今までも多々あったのですが、卒論やらバイトやら課外活動やらでそれなりに忙しくしつつ、社会人になるための準備と称したお勉強もまあまあ忙しくしている私にとって、効率良く物事を進めるということは非常に重要な問題なのです。しかし、時間を湯水の如くじゃぶじゃぶ使う野郎どもがいて、最近イライライライライライラしていました。湯水だって無駄遣いしちゃいけないんだぞっ。


というわけで今回の記事ではその辺の話を考えていきます!


時間=お金という考え方


"time is money"なんて言葉もあるように、時間は目に見えないものですごく掴みにくい概念ですが、そこにははっきりと価値があり、それはお金に匹敵する(なんならお金より大事な)ものであるということを、まずは再認識してから話を始めます。

例えば私は学生でアルバイトをしています。バイトではお給料を働いた時間に応じて払ってもらっていますので、時間=お金という感覚はかなり持っていると思います。
無駄な時間を過ごしていると、「あぁ本当ならこの時間で◯◯円稼げたのにな〜」とか思うこともままあります。


ただこの記事で私が考えていきたいことは時間=お金そのものというよりは、時間が持つ価値の部分でございやす。(やす)


特に他者との関わりの中で使う時間について考えてみます。



コミュニケーションコストという考え方


コミュニケーションコストとは、意思疎通にかかる時間や共通認識を持つまでにかかる時間のことを意味していて、「時間ってまじで大事だよね」っていう考え方です(雑)


私が初めてコミュニケーションコストという言葉を聞いたのは恐らく中学生の頃です。その時に学んだことは「時間は有限である」「人の時間を浪費しちゃだめ」「お前はいつか死ぬ」の3つです。
つまり、自分に与えられている時間をどう使うか、相手の時間を思いやれるかどうかを考えられない人間って嫌なやつだよねってことです(雑)


私が中学生だったのは10年くらい前の話なので、少なくとも10年くらい前からコミュニケーションにはコストがかかる、そんでそのコストは下げられるし、下げるための工夫はするべきですよって話はこの広い宇宙に存在しています。
自分が中学生だったのが10年前という事実を受け入れるのに少し時間がかかっています。タイピングする指が1時間ほど止まりました。


「自分の時間」という表現をもう少し分解して考えてみると、自分の可処分時間と言い換えることができます。
自分の意思で行動を選択することのできる時間、みたいなイメージです。


で、人間だったら自分の可処分時間は多い方が嬉しいわけです。そして私は人間です。

だらだらするのも忙しくするのも結局は自分の意思で決めていることなので、この意思決定に関しては今は言及しません。

自分がする意思決定ではないところに時間がかかっているとすると、それは社会全体で見直して効率化することができるのではないかと思うわけです。


何が言いたいかというと、意思疎通にかかる時間や認識を共有するまでにかかる時間を減らせれば、自分の可処分時間は増えるわけで、そうすれば自分の人生を余すところなく使えますよね?いや、絶対使える。


コミュニケーションコストの分析

で、このコストはタイムコストとメンタルコストみたいな分類が出来ると思うんですけどどうですか?(投げかけるスタイル)


タイムコストは意思疎通が上手くいかない環境だと、ゴールに辿り着くまでに時間がかかってしまうよね、みたいな話。
メンタルコストはそもそも話しかけにくい相手に精神的なストレスを乗り越えて話かけにいくという所にコストがかかってますよね、みたいな話。(話しかけにくいオーラ出してる大人は全員深爪になる呪いを日々かけてます)


じゃあ、コミュニケーションコスト全体を下げるためには何ができるのか。

この記事では3つの視点を提案してみます。

1,情報の格差をなくし、全員が同じ情報を基にコミュニケーションをとる
2,受け取った情報を全員が同じように解釈する
3,解釈した情報を同じ価値観で運用する

序盤の話でも触れましたが、これだけオンラインでのコミュニケーションが簡単になり、誰でも簡単に情報にアクセスできる/アクセスさせられるようになったのに、組織のピラミッドの上から順番に対面形式で情報伝達している人たちがいるんです!いつもは自分が所属している団体がどこなのか分かるように書いているんですけど、今回はそれやっちゃうと角が立つ気がするのでやめておきます(過去記事遡ればわかるけど)

ちなみにですが、私はその組織のクレイジー対面形式伝言ゲームの割と多くのフェーズに関わらなければいけない立場なので、伝言ゲームのためだけに1ヶ月約9時間近く費やしています。もっと多い月もある。大人がたくさんいる会議室で私が発言する時間なんて一回の集まりでせいぜい30秒程度で、あとは黙って下向いてるだけなんです。

もちろん大学の課題やったり、友達とLINEしたりと別のことやってますが、大学の課題であれば自分の部屋やカフェでやった方が集中して早く終わらせられるし、友達とのLINEもこそこそやりたくないわけですよ。



、、、てかね、友達に誘われる度に「あ、ごめんその日は会議あるから」って断ってると、誘われなくなるのよ!友達いなくなっちゃう!それが何よりムカつくの!



で次に必要なのは解釈力格差の是正。資料配ってるから全員同じ認識と思ったら大間違いで、そもそものリテラシーに差があったり、やる気の差があったりで、同じ事象を見ていても解釈が違うことがあるんです。

情報を厳選したり、分かりやすく提示しないでとにかく一気にドンッて渡しちゃう奴らいるじゃないですか(角が立つからやめとけ)
で、その情報がピラミッドの下の方まで流れ着いた頃には、その資料誰も読んでなかったりするんです。


配信サービスがこれだけ充実してきた時代なんだから、文字で情報を伝えることに拘らないで、伝言ゲームに拘らないで、一気に全員に伝える方法をなんでとらないんだろう。そうすれば会議室代も資料の印刷代もかからなくて、コミュニケーションコストだけではなくマジコスト(表現が偏差値4)も抑えることができるのに。




最後に価値観の差に気付くこと。あなたの正義や情熱の源と行き場は他人とは違うことがあって、それが個人レベルじゃなくて組織レベルで起きるとコストがもうバチカン市国の国家予算なみになるわけです。いくらか知らないですが。

これは本当に聞いた怖い話でして、有償版のグループウェアを使っているのに各チャンネルへのアクセス権限は極端に制限されてて、全然活用されてなくて毎月対面の会議に何時間もかけてるって事件が起きてたりするんです。
怖すぎて夜お風呂入れないですよまったく。(今度こそ本当に角が立つ)
グループウェアってどういう目的で開発されてるのか、どう活用することができてそれによってどんな効果が得られるのか、をいくら説明しても「んなもんいらねぇ!!!」とか言われた日には泣くしかないわけですよ。


、、、ちょっと関係ないから書くか悩んだけど書いちゃうと、
ここまで書いた話は自分の身の回りで起きていることで、それに対して不満があるから書いているわけで、でもこれを本人たちには言えない感じがあるんです。言わせねーよオーラというか。本当の課題は若手の意見を聞く姿勢のない所にあるのかもしれない。あ、これがメンタルコストだ。



さて、これ以上書くともし関係者がこの記事を読んだ時に角が立ちすぎて自分の居場所なくなりそうで怖いのでこの辺で終わりにしてみます。


コミュニケーションコストはつまるところ、自分と相手に対する思いやりを、「時間を大切にする」という観点から表現するための考え方になるのではないでしょうか。


もう少し勉強して、自分の中だけで考えてモヤモヤするところから一歩そとに出て、周りを巻き込めるようになっていきたいです。


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