「頑張った自分にご褒美」は是か非か
「頑張った自分にご褒美を買おう」
そう思い始めたのは高校生の頃だったと思う。
中学生の頃とは比べものにならないテスト科目とその範囲にため息をつきつつも、やるならちゃんと結果を出したいと思っていた私は、真っ白な紙に自作の「勉強計画表」を作って黙々とテスト勉強に取り組んでいた。
10個も科目があれば苦手科目もあるもので、数学や化学などいわゆる理数系が苦手だった私は、テスト期間が近づくと、休み時間返上で先生に教えを乞うたりもした。
そんなこんなで自分なりに頑張っていたからこそ、テストが終わった後の解放感は凄まじいもので、毎回憑き物が取れたように、すっと身軽になるのを感じていた。
きっかけは些細なことだった。
テストが終わり、お腹がすいた私はふらふらと高校の最寄り駅近くの商店街に入った。そして香ばしいソースの匂いにまんまとつられ、入口近くのたこ焼き屋さんでたこ焼きを買って帰ったのだ。
白い袋をぎゅっとしばり、匂いが漏れないかどきどきしながら電車に乗ったことを今でも覚えている。
そしてやっとこさ着いた家で食べたたこ焼きがめちゃくちゃにおいしくて。
よし、これからもテストを頑張ったご褒美にこのたこ焼きを買って帰ろうと決めたのがきっかけだった。
それから10年が経った今、何かを頑張った時や、結果を残した時に決まってご褒美を買うようにしてきた。それはアイスだったり、本だったり、靴だったり、種類は都度変わってはいたけれど、意味合いとしては同じで。
どこかの雑誌にも、自分にご褒美をあげることはやる気やモチベーションを上げるのに最適だと書いてあったこともあり、自分にご褒美はとてもよい行いなのだと思い続けてきた。
そんな私の考えががらっと変わったのは、去年の12月から受けているコーチングセッションでのこと。
対話の中でふと、マイコーチから言われた言葉がきっかけだった。
「haruさん、幸せを先延ばしにする癖ありません?」
おや???と思った。
というかそもそも「幸せを先延ばしにする癖ってなんぞや」と。
そこからコーチの話を聞いて、なるほど。と納得した。
要するに私は欲しいものをなんでもかんでも「ご褒美にする」癖があったということだ。
値段、物に関係なく、「欲しい!!」と思ったら、その場で買わず、一度持ち帰る。
そこで本当に欲しいのか吟味して「欲しい!!」となったら買う、のが普通だと思うのだけど、私はその先に必ず何かを頑張るフェーズを用意していた。
衝動買いを防ぐためにも本当に欲しいのか吟味する時間はもちろん必要だ。
だけどその先に何かを頑張るフェーズは必ずしも必要ではないはずである。だけど私は無意識に入れ込んでいた。
ああ、目から鱗が落ちるとはこういうことか、と思った。
と同時に、以前職場の尊敬する先輩に言われた言葉を思い出した。
それは繁忙期が終わり、ふうっとひと息ついた時に何気なく聞いた時のこと。
「先輩ってこういう時自分にご褒美あげたりしないんですか」
先輩は「えー」っと少しだけ考える素振りを見せたものの、すぐに「ないなあ」と言った。
続けて、「欲しい思ったらご褒美とか関係なくその場で買うかな。あ、もちろん高いものとかはほんとにいるかちゃんと考えるけど」と答えた。
当時の私は、こんなに頑張ったのに自分にご褒美なしでいられるなんて信じられない・・・!と思っていたけれど今なら腑に落ちる。
普段からご褒美という概念を持たず、欲しい時にきちんと手にできていれば、別にそれで良いのだと。
コーチに「欲しいものは頑張らなくたって手に入れていいんですよ」と言われてから、欲しいけど買えていないもの達をリストアップしてみた。
そしてそれを片っぱしから買って(体験して)いった。
金額にするとトータルで5万円くらい。
(パーソナルカラー・骨格診断は一生ものだと思って奮発した)
買うと決めてからは一瞬で、そして今、心から満たされている自分がいる。
ここで私が言いたいのは、欲しいものはなんでもすぐ手にしたらいいよ。という事ではなく、ただご褒美という名の下に、欲しいものを必要以上に先延ばしにする必要はないということ。
とはいえ私がそうだったように、先延ばしにしていることにすら気づいていない人がいると思う。
だから日々何かを頑張っている「自分にご褒美派」の人へ届いたらいいなと思うし、気付くきっかけになったらいいなとも思っている。
日々の気付きや好きをつぶやいてます▼
https://twitter.com/_haru137
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