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人生で起こることは、すべて何かの伏線なのかもしれない。

あの出来事が、こんなところで役に立った!

誰しもそんなことを経験したことがあると思います。
わたしにも、最近起こったんです。
「えっ‼あの出来事が⁉」ってことが。

で、『あの出来事』というのが、なかなかのくせ者で。
たいていは、良くない出来事なんですよね。

今回、役に立った『昔の出来事』というのも、当時はつらくてつらくてどうしようもなかったこと。それはトラウマにもなっているし、私自身の人格や性格にも大きな影響を与えた出来事だったんです。

「出来ることなら、こんな経験したくなかった」とずっと思っていたけど、そんなことをいつまでも言っていてもしょうがないですからね。

「もう、終わったことだから」と自分の中でケリをつけて、なんとか暮らしてきたのです。それが、今になって引っ張り出すことになってしまいました。

具体的には、当時のわたしと似たような境遇に置かれている人がいて、どうやらわたしはその人を励ますお役目があるらしいのです。


世の中には「自分のつらかった経験を活かして、同じような境遇の人を助けたい」と自ら活動している人もいますよね。

でも、わたしは違います。
そもそも、わたしは過去に経験したその出来事を、誰にも話していないのです。

正確には、学生時代からの友人は知っているけど、社会人になってからの知り合いは、誰も知らないことなんです。

だから、「あの人なら、同じような経験をしてるからわかってくれそう」と感じて相手が寄ってきたわけではなく、本当に偶然の出来事です。


思い起こせば、今年に入ってから、予定外のことばかり起こっていたんですよね。

「なんで、わたしはこんなことをしているんだろう?」「なんで、わたしはここにいるんだろう?」って。

わたしが望んでいた状況とは、まったく違う環境に身を置くことになってしまっていたんです。

自分で選んだのは確かなんですけどね。

それにしても、おかしい。
「なんで、わたしはこんな選択をしたんだろう?」と不思議に思っていたんです。「自分以外の誰かに操作されているのかも」なんて、考えたりして。


それもこれも、全部このためだったのか!

答え合わせになるような状況に、今置かれているところです。
答えがわかってからあらためて振り返ってみると、納得できることばかりなんですよね。

ある出来事がうまくいかなったことも、ちょっとだけ関わった人が発した一言も、すべて意味があることだと。

全部、伏線だったのか!と。

数十年前に起こった出来事も、ここ数か月に起こった出来事も、すべてここに繋がってたのか・・・。

ちょっと、物語が壮大すぎますよね。
推理小説じゃないんだから。

でも、それが私自身に起こったのも事実。


わたしたちは、おおまかなシナリオを持って生まれてきている。

どこかの本に、そんなことが書かれていたのを思い出しました。

確かに、そうなのかもしれない。人生の選択で遠回りしたり、方法を変更することはあっても、行き先は決まっているのかも。結局は、ここに辿り着くんですよって。


この考えが腑に落ちたとき、なんだか身体の力が抜けたような気がしました。もう、身を任せちゃえって。

だって、いっけん、望まないことが起こったとしても、それはそれで伏線なんですもん。

その経験自体が必要なのか、その時に味わう感情が必要なのかはわからないけど、体験することはすべてどこかに繋がっている。

だったら、経験するしかないと。
今、つらくてもやるしかないと、開き直れたような気がします。



「あなたが望むものは何でも引き寄せられますよ」

世の中にはそんな情報があふれていますよね。
そういった発信を信じて、一生懸命ワークやメソッドに取り組んでいるのに、いっこうに引き寄せられないという人も多いと思います。むしろ、望んでもいないことばかりが起こると。

まさに、わたしがそうでした。
でも、『伏線回収』を経験した今、そんなことはどうでもよくなってしまいました。


「起こる出来事、すべてに意味がある」

それなら、目の前にあることを淡々と受け止めていけばいいんだと。
これからは、今まで以上に気楽に暮らしていけそうです。


ステキな一日を★


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