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洋服との距離感


私のもの選びの基準として、「長く使い続けられるもの」「物語があるもの」というのがある。

全てのモノに上記の基準を当てはめられたらいいけれども、明らかな消耗品に関しては使い心地が良ければ多少妥協しているものもある。
逆に買い切りとまではいかなくても、素材が比較的しっかりとしてるキッチン用品も割と簡単。私の経験上、長く愛されているブランドで気に入ったものを選べば外すことは少ない。

どちらとも言えない、なんなら消耗品の部類に入りそうな身につけるもの、特に洋服に関しては長年頭を抱えている。日々擦れたり、洗濯によって劣化もしてしまうので、「長く」といっても限られているなと思う。

私の感覚ではちょっとした挑戦としてあまり着ない系統で安さに惹かれて衝動買いしたものは、すぐにヨレたり、ちょっとした生地感が心地よくなかったり、自分の「好き」の基準とはちょっと違ったり、身体のラインにちゃんと合ってなかったり…
「なんか気分が乗らなくなる」のだ。


先日、靴とワンピースのお直しをした。

靴はHARUTAのワンストラップシューズで20000円もしなかったけども、なんにでも合うから5年以上履いている。年中履いているのでかかとの部分はすり減るし、何度かストラップの金具が外れたりした。その度にヒールや金具を変えてもらって、一緒に歳を重ねている。

ワンピースはいつもお世話になっているvintage shopでお迎えしたもの。膝ジャストの丈感がどうも幼く見えてしまって着難いと思っていることを相談すると、折り返し部分を出してもらって長めに直してもらった。少し長くなって私に馴染むことで、ちょっと離れていた心の距離が近づき愛着が湧いた。


心地よい経験だと思う。
消耗品として考えるのであれば、できなかったことだと思う。

すり減ったり好みに合わなければ手放し、よほど気に入ったものであればもう一度同じ商品を手に取るかもしれないが、多くの場合は「違うものがほしい」と言って買い替えるだろう。

でも、私の場合は身体や生活に馴染んでいることや、手にしたときの思い出や纏ったときの感情を洋服に刻んでいるから、手放すのではなく直して新たな歴史を共に歩んでいこうと思えている。


今は安くて可愛くてトレンドなものがたくさん流通していて、簡単にお洒落が楽しめる。だけども、そのような服はとにかく生地が薄かったり毛羽立ちが早い。服が、いや布が「消費されている」感が否めない。

気に入っていても、気分が乗らなくなる基準に当てはまってきてしまうこともしばしば。

かといって、私は古着信者かといえばそうでもなく新品のお洋服も好きなものがあるので、要はコンセプトやつくる過程も含め、丁寧につくられたものかというのが鍵だなぁと。

プチプラから古着、ヴィンテージ、セレクトまで幅広く着ている私が考える洋服とのいい距離感というのは、ちゃんと心が響くようなアイテムを手に取ることだと思う。

好きだからこそ考えて手にしたい気持ちは強くあって、悩むことも多い。

ファッション業界の環境負荷の問題が話題になっているが、ファストファッションが悪であるかどうかは一概に言えないと思っている。
もちろん安ければ安いなりの理由があって、搾取されているものがあるとは思うが、ファストファッションブランドの服でも本当に気に入っていて長く着ることができるのであればクローゼットに入れている。

割り切って決めた安い服を着倒して手放すことも考えたが、なんか違うという感覚が拭えなかった。すべてをサステナブルなものに変えることも難しい。私は面倒な人間で、愛するものじゃないとテンションが上がらないからだ。


そうであるならば、ファッション業界の背景も知った上でずっと、せめて5年、できれば何十年も愛せる服を手にしようと思うのです。

そう考えるようになってからは、うちにある子たちをより大事にしようと思うようになった。


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