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私がわたしを救う


ある日のこと、

👵🏻「家帰って料理するの?」
👧🏻「あ、しないです」
👵🏻「でもお弁当作ってきてるよね?」
👧🏻「はい、そうです」
👧🏻「仕事の日は料理しないので、休日にまとめて作って入れたり冷食です」
👵🏻「それも面倒くさくてできんわ、ひとりだと自分のために料理なんてできひん」


私はこういう「なんと言ったらよかったのだろう」と思ってしまうことを考えてしまって、「なんかいい返答はなかっただろうか。」と考え込んでしまう。

過去に何を言っても嫌味に返す人がいたから、この最後の言葉を「自分のことを意味通りにただ言ってる」だけではなくて、「(そんなんするん、考えられへん、理解できひんわ)」と思っているのではないかという深読みしてマイナスに捉えてしまいがちになる。


この考え方のせいで、こそこそと話してるのを見ると「わたしのことを言ってるのではないか」と思ってしまうし、ひそひそ話に聞き耳を立てるようになってしまった。


そうやって、びくびく過ごすのは精神的によくなくって、常に人にどう思われてるか気になる。

誰かひとりの人にそう関わられたために、いろんな人に対して疑心暗鬼になってしまうなんて、勿体ないんだけど、こればっかりは根がネガティブで過去の経験でよりそれが根深くなってしまったのだと思う。


とはいえ、最近は「なんと返答したらいいか分からないようなこと」も「人にどう思われてるか」も気にしないようになってきた。
それは、私自身が私らしく健全な精神状態で生きられるようにマインドを変えようとしているからだ。

必殺「直接言われなければ気にしない」。


結局、裏でこそこそ言ったり、嫌味にしか言えない人は、相手に直接言えない小心者なんだろなぁって。
そして、相手の立場に立って考えられない残念な人なんだなぁって思うようにした。

本当に気になることなんだったら直接言うだろうし、相手に伝わるように言うだろう。そして、伝えるときは相手にわかりやすく伝えるようにするだろう。

それができないなんて、なんて残念なの。

って。笑


それくらい強気の思いでいないと、気になっちゃう。自分自身が最大の味方なんだから、自分を信じてあげるに他ならないんだよなぁって。


でもね、こんなときは強い私を呼び起こすけども、実際はいつまで経っても小心者。だけども、少しは自分を信じることで「わたし」が救われるのかな、ってそう思うの。

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