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世の中には知らない世界ばかり。私は未来をどう描く?


社会人になると、なかなか友達ができないよ。
そう言われるけど、人間関係の変化が少ないからなんだろうか。
私の場合は案外と毎年のように新しい友人ができている。

この点、SNSが発達している恩恵を大いに受けている。


地元では進学校として名が通っている高校出身で看護大学卒業、一般病院に就職した私は、ある程度「よくある進路」なんだろうなと思う。
高校時代の同級生は家庭環境も似たり寄ったりで、行事ごとは思いっきり楽しむけれど、根は真面目でいい子が多かった。大学は学科が専門分野に特化しすぎて、こちらも結局は似た者同士の集まり。
それが悪というわけではなくて、同じ境遇の人が集まると話が合うし価値観だって近い。むしろよいことのほうが多いかもしれない。

だけど、同じような境遇だからこそ、その世界しかないように感じる。

高校時代は国公立志望じゃなかったら「なんで国公立を志望しないの?」という圧を感じ、想定外にもセンター試験をずっこけた私は早々に私立大学で受験を終わらせ、ひっそりと塾に行かなくなった。
あの頃は偏差値の高い大学に行けてこそ!な雰囲気が学校にも塾にも漂っていて、それが正しいことなんだと好きでもない勉強に明け暮れてた。誰よりも早く受験を終えた私は、なんだか頑張ってる他の子たちにも悪くって、いやセンターを転けたのが恥ずかしくって、誰にも知られず姿を消したかった。
大学時代はより専門性も高く、資格をとって就職する選択肢以外は考えられなかった。

こんな狭い世界にいると、考えも凝り固まってしまう。

ひとつ、少し同級生と私が違うことだったのが、趣味の写真を撮ることを通してSNSでつながった友人たちがいて、同年齢じゃない人の様子がわかっていることだった。
家庭環境がさまざまな人がいるのはもちろんのこと、お兄さんお姉さんなりの事情を知ったりすることで、「”いい”大学に進学して長く勤めあげることこそよいこと」という考えは捨て去ることができたし、価値観が広がった。


最近出会った人たちは、運がいいことにSNSを始めた頃からの憧れの人たちで、自分の感性を生かして仕事をしている。
私は決められた時間に職場に行って、与えられた仕事を淡々とやっている。職場にいる20年同じ仕事をやっている人たちを見ていると「ずっとこの仕事を続けるのか…」と一種の絶望と言えそうな悩みもある。これは私がしたい本当の仕事か…?と考えると自信を持って首を縦に触れないこともあり、仕事の量も場所も自由に決められる彼女たちを見ていると、正直羨ましく思う。

そんなことを彼女たちに言ってみると決まって、「毎日仕事に行って、責任感のある仕事をして、それがすごいよ!」と言われる。私にとって当たり前の朝早くに起きて仕事に行くことや夜勤があること、体力仕事なこと、多少なりとも命を預かっていることは、誰かにとったら想像もつきにくいこと。私にとったら、週5勤務、リモートワーク、フリーランスが想像できないのと同様だ。

想像力の働きにくいところでは「ないものねだり」や「隣の芝生は青く見える」そんな言葉がぴったりな感情になりがちだ。自分の知っている範囲で物事を考え、よい面のほうが際立って見える。
そんなことが起こってしまう。


だけど、このようにいろんな人がいて、いろんな考えの人がいると知れたのも、変わらないと言われる社会人の人間関係の中でも毎年のように新しい出会いがあるからなんだろうな、と思う。

医療業界にいると多様な働き方は限られている。
特殊な業界で生きる限り、新たな風は吹かない。


今後のキャリアに迷いはあるけれど、種々の価値観を持つ友人たちがいるからこそ、選択肢をたくさん知っていることが今後の私の生き方の手助けになりそうな気がする。

仕事だけではなく、どこで生きるか、家族は持つのか、大きな買い物の有無、今後選択しなければならないだろうことに頭を抱えることも多い。
だけど、「選択肢を持っている」ということが強みだとも思う。


人生1度きりなのだから、思考を緩めて、自分が目指したい未来を描きたいね。

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