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現状維持で安定を求める私は、これからの人生において変化を受け入れることがカギ


先々週くらいから仕事でリーダーを務めることになった。
この場合のリーダーというのは通常の〈リー↗ダー↘〉の発音ではなく〈リー→ダー→〉の発音であり(ややこしい)、管理者とは別にその日の全体の業務が円滑に進むよう調整したり、医師や多職種とのやり取りをしていく係みたいなもの。
まあ簡単に言うとできることが増えて、責任も持てるようになったわけだ。給料には反映しないのがちょっと惜しいけど、仕方ない。

なにせ、このポジションというのはなかなかに感慨深い。
歴10年以上のママさんたちを差し置き、その日出勤のメンバーの中でいちばん年下の私が指示出しや伝達してたりする。この前は夜勤明けのおばさまに「リーダーやってるなんてすごいねぇ…ほんとにすごい…頑張ってね」と肩を撫でられながら労われた。入職以来一緒に働いてきた母親世代に近い人からすると成長を感じるのだろう。そうやって見守ってもらえているのは有難い話だなぁと思う。



ずっと「リーダーなんてしたくない」って思っていた。
責任ある立場なんてごめんだし、ある程度働けているポジションから離れたくなかった。できなかったら自分の責任になることが大きいし、新しいことも覚えなきゃいけないのもあり、不安というか恐怖を感じていた。

でも案外、上司からリーダーをしてほしいという話があってから「嫌だな~~」と口にすることはあっても、意外と前まで感じていた恐怖感はなかった。それは上司が私のことをある程度評価してくれていることを知ったからということもあるだろうし、頼りになる何年も上の先輩もいて、困っても助けてくれる人がいるという環境要因が大きい。
そして、始めてからも仕事が遅いながらもどうにかなっている。そこまで大きなミスもしなかったし、事故もなかった。

「もしできてなくてもどうにかなるから大丈夫」言われたときには「ほんまに??」と半信半疑だったけど、今までもどうにかなってるのだとしたら、恐れていたほどの不安は感じなくてもよかったのかもしれない。
何より、リーダーを始めてから見る視点も変わって仕事に張り合いが出たようにも思う。


私は以前ほどではないけれど、変化には弱いタイプの人間だ。
割とかためな両親のもとで挑戦よりも安定を選んできた幼少期の教育なども影響していると思うけども、今の場所に留まろうとしたいし、安全な場所にいたいと願う。
だけども、よい場所に行こうと思うと変化はつきもので。


最近読んだ本にこんなフレーズがあった。

人が恐れている自体は、実際は想像するほど悪くないのだ。自分の心の中につくりあげている恐怖のほうが、現実よりずっとひどいのだ。

スペンサー・ジョンソン/チーズはどこへ消えた?

うわぁ、そのとおり。
今までに心配に心配を重ねて取り越し苦労をし、その場で足踏みをしてたとしてたときを振り返ると「なんであんなにも立ち止まっていたんだろう」と思う。心配が大きいときほど行動力は鈍り、状況は変化しない。変化というのが全て悪いほうへいくとは限らないのに悪だと考えてしまう。

実際に新しい仕事や立場が未知の世界であり、わくわく感よりも不安が強かったからこそ、現状の「ある程度働けているポジション」で満足していたこともある。新しいことを取り入れることで、今までの仕事に対する安心感などが失われてしまうと思ったから。
実際には恐れていたほど危機的な状態はなかったし、むしろ新しい風が吹いたことで得られたことのほうが大きい。それに気づくことができるのは変化を受け入れた者だけだ。


この話はあらゆることに置き換えられ、20代後半になった私に深く刺さる。
学生時代にはある程度敷かれたレールを走るだけでよかったけども、自分の行動でいかようにも変われるようになった社会人になってからは、これからどう生きようか頭を悩ませている。

今後悩むであろう、仕事を続けること・結婚すること・子どもを持つこと、それらひとつひとつの選択に対しても「これでいいのか?????」と深く考えてしまう。心のどこかでぼんやりと持っている、暮らしにまつわることや今自分を大切にしていることを発信したり形にしたりすることという好きなことをやりたいという気持ちも「それができてどうなるんだ」と思ってしまう。

変化を受け入れなければと頭ではわかっていたとしても、心の奥底では今の生活が落ち着いていると思っていて、簡単には考えをがらっと変えられないようだ。
いろいろと考えることも煩わしく、いっそのこと時間が止まってくれればいいのに… 
変化を楽しめる人は強いなあと他人事のように思う。



本でも触れられていたけれど、変化に対する恐怖を疎かにしてはいけないときもあって「本当に危険なことから遠ざけてくれることがある」。だけど、私の恐怖感というのはだいたいが取り越し苦労だってことは上述したとおり。
この数年、ちょっとの挑戦が「よかった!!!!!」と思うことなんて幾度もあった。人と会うことも怖かったし好きなことを発信することも怖かったけど、それらで少し人生が変わったのも間違いない。
そして、すこーーしずつだけど、変化を受け入れることの恐怖よりも楽しみなどポジティブな面を見出すことができている。

人は変化に対応することができるようになるのだ。それは――  
   物事を簡潔に捉え、柔軟な態度で、すばやく動くこと。
   問題を複雑にしすぎないこと。恐ろしいことばかり考えて我を失ってはいけない。  
   小さな変化に気づくこと。そうすれば、やがて訪れる大きな変化にうまく備えることができる。  
   変化に早く適応すること。遅れれば、適応できなくなるかもしれない。
 最大の障害は自分自身の中にある。自分が変わらなければ好転しない――そう思い知らされた。

スペンサー・ジョンソン/チーズはどこへ消えた?


まだまだ何者にもなれる今、変化を受け入れてまだ見ぬ場所へ行こうとする気概こそ、私が必要なことかもしれない。

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