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作品撮りはしないと決めていた私が今撮りたいもの


よいなぁ~と思う写真はたくさんあっても、いつまで経っても、いや私自身が望んでいないけれど作品撮りはできないなと思っている。

これは写真を始めた5年ほど前からずっと思っている。


作品撮りというのは、イメージを作ってその世界観で切り取るということなんだろうけども、私はそれがどうしても苦手。
もともと0を1にするのが苦手で、1あるものを自分の工夫で伸ばすほうが好きなのもあるかもしれない。

最初のころはお花を持って海で撮影~とか、こんな表情してほしい、こんなロケーションでこんな風に動いて~とかの撮影を積極的にする友人の後ろでこそっと撮っている人だった。でもすぐに飽きていた。そうじゃないんだよな~って思ってた。

可愛いモデルさんを見るのも素敵な広告写真を見るのも好きだし、友人のロケーション撮影もよく目にするし、素敵だなと思う。ただ、私と「音楽性」が違う。


私は写真のよくも悪くもありのままを残せるところがとっても好き。

デジタルの写真であれば、編集で消したり合成したりできるところをあえて基本の色味の編集だけ、それも大きく変えすぎないようにするくらいが今は好き。
何かに例えるなら、可愛くなるためにがっつりフルメイクなんならカラコンやプチ整形もしますというよりは、多少粗があっても素材を生かしたナチュラルメイクが好きという感じだろうか。(この例えとっても自信ない)


それは被写体に対しても同じようなことを思っていて、その画面上の世界に嘘を作りたくないなと思っている。

初めてカメラ、写真というものに惹かれたのは、それらが見たままの景色が保存できていつでも思い出せるタイムカプセルのようなものだということに気づいたからだった。だからどこか作ってしまった世界は私の信条には合わなかった。


自身の体験の延長に私の写真がある。


これは無意識に写真を始めたときから変わらない私の大事にしていることなのだと思う。



よくポートレート撮影している友人と写真を撮るときに「どんな場所がいい?どんな表情をしたらいい?」と聞かれることがある。そんなときは「私はあなたが楽しんでいるところを撮りたい」と伝える。特定の表情をお願いしたときよりも、自然体がその人のよさが滲み出てるなぁと思うからだ。

そして私自信も目の前の被写体がありのままであるほど、これを逃すまいとシャッターを切る手に力がこもる「よい瞬間」に出会うことが多い。

スナップ写真に惹かれる理由もそこにあるのかなと思う。



人と会う機会が減って、よりなんでもない日常に惹かれ撮り続けている私だけど、ぼんやりと「もし私が何かをテーマにした撮影をするならこれがしたい」というものがずっとあって最近形が見えてきた。

ここまで作り上げるような写真は撮らないと言っていたのに、、と思うかもですが、私のエゴを誰かにお願いするのは忍びないと思う気持ちが大きいこともある。

私が撮りたいものがそのもの自身だったら、、撮りたいのだ。



私は写真を始める前から服がとっても好き。
だけど、服にまつわる雑誌のどこを見ても詳しいディテールであったり、魅力的な部分が写っていることは少ないなと思う。ECサイトであれば見つかることもあるが、なんか味気ない。
モデルさんのお顔重視の写真はたくさんあるけれど、その人自身の表情だけでなく、服や魅力とその場の空気を服好きが撮ったら面白そうだなぁと思ったのだ。

そしてそれを日常に馴染んでいるところって、私が好きな瞬間なのではと思うのです。


あとは女の子の飾らない日常をまるっと撮りたい。
これは生きていて、「この、この瞬間がいいのに、自分じゃ撮れない!」と思うことが多くある。三脚を立てて撮れば解決。といったそんな簡単なことじゃなくて、自分の手でシャッターを切りたいと思うのだ。

丁寧な暮らしじゃなくていい。
片付かない部屋でカップラーメンを食べてその人が幸せと感じるのであれば、きっと私の撮りたい「シャッターを切る手に力がこもる」瞬間なのだと思う。

きっとよい表情をするんだろうなぁ。



あるものの魅力を生かすのはお得意だからこそ、テーマを挙げた写真を撮るにしても、手をあまり加えず、加えるとするのならよりそのものが魅力的に写るよう、そして被写体がナチュラルであるようなものがよい。

ちなみに今年中に構想を練って、来年撮影できるのが目標です。

好きなことについて考えてたら、楽しい気持ちになるな。 ☺︎

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