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便利な時代の「あえて」のアナログのススメ
朝、けたたましい音楽で目が覚める。
おもむろに手を伸ばし、アラームを止め、SNSを一通りチェックして目が覚めてからベッドから身体を起こす。
朝の一分は貴重だ。それを数分ごとに確認しながら準備をして、左手では簡単な朝ごはんになりそうなものを口に入れながら右手で今日乗るはずの電車を調べ、駅までの道は音楽をかけながら歩く。
暇を埋めるために各種SNSやYoutubeを漁り、予定の確認のために手を伸ばしたつもりなのに目的のことを達成できず違うことに時間を使っていることなんて日常茶飯事だ。
とにかく、私はこの手のひらに収まりそうなくらいの小さな機器がなければ生活できない。
スマホを一人1台持つようになってから、きっと世の中は便利になっただろう。私はいわゆるZ世代に入るか入らないかのスマホネイティブだから、スマホなしの生活は中学生以来経験していない。
いつでも友人と連絡がとれて、何でも調べられて、娯楽も身近にある。それがふつうなのだ。
しかも、コロナの流行以降その動きは加速したし、肌身離さず同様の機能を使えるスマートウォッチを付けている人もいる。そして、最近はAIも一般人が使えるほど身近になってきている。
世の中はどんどん便利な方向へ進むし、それらの研究の進歩はすさまじいんだなあと思っている。どんどん便利な世の中になることでよいことも多いけど、それらによって大切にしたい繊細なものを感じ取れる感性は失われつつあるような気もする。
そんな生活の流れを変えたいと思ってデジタルデトックスにチャレンジしてみるけれど、結局その便利なものたちの必要性に駆られ、断念することが多い。
だけど、やっぱりアナログっていいなあと思ったきっかけは新居祝いにいただいた時計だった。
その時計はデジタルでもないし、文字盤もない。正直、一分一秒を争うような朝の正確な時間の把握には不向き。
デジタル時計であれば正確なあまり急がなくていい場面だとしても、見るとせかせかした気持ちになるけれど、その時計のある暮らしは大体の時間の把握なのでおおらかに行動できる気がする。自然と心の余白をつくってくれるような、そんな心地がする。
娯楽だってそうだ。
今まで読んだことのないジャンルの本を読むために電子書籍を取り入れてみたけども、紙の本ほどときめきは感じられない。情報収集という面ではおおいに役立つけども、あまり頭には残らない。
きっと私には紙を捲り、活字を追うことこそ、自分の身体の中に著者のことばが染み渡るんだろうなあと思う。時にはその紙にときめくことだってある。それは電子書籍では感じることはできない。
同じように、小さな画面で映画を見るよりも舞台で演者さんのエネルギーを感じるお芝居がみたいし、イヤホンで音楽を聞くより良質なオーディオ機器で流したり可能ならライブに行きたい。
どんなに便利で簡単に娯楽にアクセスできるとしても、やはり小さな画面には「生」がもたらしてくれる五感が刺激されるような体験には到底及ばない。
そして、その体験を選択することも、あくせく働いてしまう現代社会の中のゆたかさなのかなと思う。
便利なものを取り入れつつも、生の体験から感じ取れる繊細な感性を磨き続けるバランス力は意識していたいな。
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