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私を救い、心地よく生きる思考法
極度の心配性&繊細でネガティブな性格が、いつからかおおらかに「なんとかなるか~~」と考えることができるようになった。
そうなったことで、だいぶ心が疲れなくなった。
期待しない。求めない。
一見、冷たく聞こえるかもしれないけれど、他人の目が気になる私には心地よい距離感になることだったりする。
最初に述べたように、私はもともと心配性でネガティブ、ひとりになることが怖い。まさに他人の評価が自分の存在価値であると考えているタイプ。
きっと、子どものときの「怒られるのが嫌で言われたことはちゃんとやる」「いい子でいることが正義」みたいな真面目な性格が由来している。
忘れ物チェックは朝と家を出る前の2回、5分前行動は当たり前、テスト前はそれなりに計画を立てて勉強を始め、ちゃんとメールはその日に返す。それが当たり前で他人が自分のペースと違ったら、「なんでできないの?」とイラっとしてしまう。
だけど、他人の顔色を窺って嫌われたくなくて、言いたいことも言えず、他の人が嫌な思いをするくらいなら自分が嫌な思いをしようと思っていた。
絵に描いたような真面目さと人の目を気にする繊細さ故に、失敗は最小限にそれなりの結果を残して、仲間外れになることもなかった。
規則正しく並んでいる中で飛び出ないように様子を見て、石橋を叩きすぎるくらいに叩いて安全が確認できてから渡る。大多数側にいるようにする。
それが私の成功法則だった。
でも、それは知らず知らずのうちに心を疲弊させる要因になる。
気になったら止まらなくて寝るまでそのことから頭から離れない。言いたいことはとにかく蓋をして、家に帰ってからイライラしてしまって自己嫌悪に陥ることも少なくなかった。
「ほんま病む(ぴえん)」的な感じで「病む」という言葉を簡単に使うけれども、本当に病んだときは何もやる気が起きないし、ふとしたときに涙が出るし、夜は寝れなくなる。
あ、ちょっとこのままはダメだな。
当時は仕事のことも重なってすこぶる心の調子を崩してしまい、ここにきて初めて考え方を変えないといけないなと思うようになった。
大人になると、今更、誰かに嫌われても困ることは少ないと思う。
学生時代のように集団でいなければならない状態はほとんどなくて、合わない人たちは自然と顔を合わせることもなくなっていく。
嫌われないようにと生きることで、自分の能力やキャパシティ以上を求め、自分へのハードルがどんどん高くなる。
それは自分で自分を生きづらい状況をつくりだし、心を疲弊させる要因だと気づいた。
だから私は自分自身にも他人にも過度な期待はしない。
あれこれ私が他人に思うよりも、できないこともあって当然。できなかったらそのとき考える。自分も間違うこともあるしどれだけ頑張ってもできないこともある。
もともとそれなりに予防線を張っているだけに、いざとなったときも案外、臨機応変な対応でいけちゃったりもする。
多分、私みたいな心配性の人たちは、知らず知らずのうちにちゃんとよくない場合も頭のどこかに備えていて、そのときの対応もなんとなくわかっていたりする気がする。
起こらないことをこれでもかと考えるより、少しでもできそうならまずやってみる。今まで備えたものたちがいざとなったときの味方になってくれるほど、きっと頑張ってきているだろうから、大丈夫だと思うようにした。
時には嫌味を言われたり、納得できないこともあるけれどそんなときは、あえて心の中で「はいはい」「そう思う人もいるんだ〜〜へぇ〜」と流すしたたかさも身につけた。
そして、自分と相手ができることが違うことを忘れないようにしている。誰しも完璧ではないから、「やってくれるだろう」とは思わず、やってくれてたらラッキーくらいの気持ちがちょうどいい。
それはありがとうの気持ちが増幅して、自分の幸せ度もアップすることにも繋がってる。
自分にも相手にも求めず、期待しない。
いざとなったときも、どうにかなるもの。
これは私を救って、心地よく過ごすひとつのマインドになった。
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