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「ちょっといいな」で購入できる時代の健康的な消費を考える


ああ、こんなに躍起になって何をやっているんだろうか。

布団の中でアクセス集中により、オンラインショップのサイトになかなか繋がらず、目の間の画面が真っ白になっているのを見ながら思った。
時間は年に数回の割引期間スタートの0時。お目当てのものを買って心置きなく眠りにつこうと思ったら、やはり同じことを考えている人たちがいたみたい。

人気の商品、お買い得になっている商品は早く売り切れる。
その前に手に入れなければ。
そう思わされている状態に思わず溜息がこぼれた。


インターネット通販が主流になり、企業の「〇〇セール」「〇〇マラソン」「〇〇割」、さらにSNSでの広告やインフルエンサーの人のおすすめするものなど、購買意欲をそそられることが増えた気がする。
ずっと気になっていたものがお得に買えることは嬉しいし、よりいいものに出会えることも増えたし、それ自体が悪いことだとは思わない。

ただ、お得だからと多めに購入したことで家の中にモノが増える様子を見ていると、私自身がモノに消費"されている"ような感覚にも陥る。
そして、山のように積まれるダンボールと梱包材を見ると、こんなにゴミを出してまで買いたいものってなんだろうと思うようにもなった。

「ちょっといいな」で購入できる時代。
消費者の心を掴むことが上手な企業にとってはいい時代かもしれない。
簡単に買い物ができる世の中において、自分の軸を持たないと消費される側になるんだろし、大切なものがわからなくなりそうだ。



以前から自分の手に取るものは吟味していたけれど、この1年でより衝動で物を買うことがぐっと減った。それは手にするからには買い直さなくていいものがいいなと思ったり、製品がつくられる過程も重要視するようになったからかもしれない。
長く愛用するものが少しずつ増えていく過程は、「モノを買っては気に入らなかったりすぐにぼろぼろになって捨てる」を繰り返していたときに比べて、身の回りがどんどん洗練されていきすっきりとした心地よさを感じる。

ここでも触れているように、日常で使うものたちを「こだわり」のあるものに変えていくと「なんとなく」で選ばれたものたちが気になり始め、生活のあらゆるものたちに気持ちの格差が生まれていた。
その「なんとなく」で選ばれたものたちは悪というわけではないが、「なんとなく」の枠からは飛び出せないのだ。



この記事を書くにあたって「健康的な消費のために」をブランドコンセプトにしているfoufouのデザイナーのマールコウサカさんの記事を読みなおした。
foufouは2~3年ほど前にブランドコンセプトがまさに私が重視したいことを言語化されていて好きになったブランドさんだ。(”健康的な消費”という言葉がいいな~と思ったのもfoufouからです)

マールさんのものづくりの姿勢の記事が特に好きで、その中でこんな言葉を見つけた。

大事なことはきっと選ぶ物について、自分が「なんとなくでも納得感」があるのかだ。 別に、「あなたがこれを選んだ理由を全部、言語化してストーリーを語ろう」と言う話ではない。ふと手にとってなんとなく使ってる物だって多い。なんとなくでも納得感がちゃんとあればいい。

下記記事より

私の中で「なんとなく」と「こだわり」の違いってなんだろうと思ったときにうまく言葉で表せなかったけれども、確かにそのモノを持つことに納得感があるのとないのでは全然違う。

買い物の過程においても、年齢を重ねるにつれトレンドやある種の熱狂に流されるような買い方をするときは、冷静になったときの「やってしまった感
」は否めない。それは自分の中での納得感が足りなかったからかもしれない。
そのモノを作る過程で誰かが犠牲になっていたとしたら…とてもとても申し訳ない気持ちになってしまう。



買い物においては今までにたくさん失敗したし、必ずしも一生大事にできるものばかりに出会えるわけではない。
それでも、モノが簡単に手に入る時代だから、そんな時代だからこそ、自分軸のある買い物がしたいし、搾取や犠牲の少ないものを選び取りたい。

それが心地よさにつながるんだろうし、ヘルシーなんだと思う。


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