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ゆるやかに、溶けだす温度

こんばんは
夕方、一瞬でしたけれどとても綺麗な、映画に出てくるような夕焼けが見られました。むらさきとピンクとオレンジの、不思議なグラデーションが印象に残っています。

ここ数日、なにとはなしに記事を書いていて、とても心が整理されている気がします。というのも、私はいつも色んなことを考えているのですが、それは一般的に仕事に役立つものではない場合が多いです。(いのちの時計とかね。)

そうなってくると、考えはしたものの外に出す機会がなかなかなくて、考えたことのかけらが少しずつ頭の中を圧迫していくのです。それで余計に悩ましくなってしまった部分もあると思います。今まではその役に立たないであろう考えたことたちを、こうして文字にするという発想がなかったので、書き始めてみるとこんどは倉庫一掃セールのようにポンポン書いてしまうんですね。

いつも読んでくださって、ありがとうございます。書いていて自分自身もなかなか、不思議な方向に頭を使っているなと思います。ちなみに今日は空の高さについて考えていました。また今度、お話させてください。

さて、今日はちょっとした温度の話をしたいのですが、ここで言う温度は所謂体温とか気温とか、そういうのではなくて。イメージして感じる温度のことです。そんなの感じたことないんですけど、という方も、ゆったりお付き合い下さい。

なんとなく、ここちよい温度感ってありますよね。例えばですけど、湯船の温度とか、飲み物の温度とか、それと同じで人間関係の温度、言葉の温度、生活の温度。
とくに人間関係は温度で例えられることがよくある気がします。冷めきった関係、あつあつな関係みたいに。

この温度、みなさんはどれくらいが適温ですか?私は丁度、いつも書いている文章か、それより少しひんやりしているくらいがここちよく感じます。たぶん、温いくらいから、低めが好きなのだと思います。
中には、もっとぎっちりと文と内容が詰め込まれた様な、温度の高いものが好きな方もいらっしゃるでしょう。個人差って、おもしろいですよね。

いつも同じ温度のものにだけ触れていられたら、楽なのになあ。と思う反面、たまには熱いのも欲しいなあ。と考えたりします。違う温度のものって、それだけで刺激になって、心や身体に何かを残してくれる。

でも、違うというのはやっぱり疲れる。受け入れたときは楽しくても、家に帰るとドッと疲れたりする。私はよくあります。

このご時世、私の行きつけの外出先は会社しかないのですが、何年同じメンバーといても、温度が近い人達でも、やっぱり疲れるときは疲れます。声の掛け方や、気の使い方など、温度の違いをお互いに補い合いながら仕事をしているイメージです。
同僚と話すことで刺激になって、新しい考えが浮かぶことも多いので(これは仕事の役には立たないのですけど)、ひとと仕事をする時間というのは大切に思っています。

その疲れたときに、私は適温に帰るようにしようと、ふと考えました。こうやって文章を書いて適温を作ったり、好きな温度の本を読んで適温に入ったり。自分を適温にしてあげる作業って案外大切な気がします。

実際、こうやって空いた時間に適温な文章を書いたり、休み時間にSNSではなくて好きな温度の本を読むようにしたことで、いろいろと軽くなったように感じています。(直近がなかなかの惨状でしたので余計に)

ひとって、あるときから何かしらのケアをしないと、流れに着いて行けないようになりませんか?世の中とか、時間とか、そういうものにゼェハァ言いながらしがみついている様な感覚です。でも、そのケアってどうしたらいいのか、ピンと当てはまるものに簡単に出会えたらラッキーだけど、そうでないとずるずると引き摺られ続けてしまうんですよね。

とりあえず適温を知る。
とりあえず適温に帰る。

これは結構おすすめです。なにも感じる余裕がないよと言う方は、とりあえずですけど、ほっとアイマスクとあずきのチカラシリーズがおすすめです。先に身体をほぐすと、こころがほぐれる温度を見つけやすいと思います。

日々、生きるだけで疲れます。足も背中も首も肩も目も頭も、重たくなります。その疲れや重さのようなものが、ゆるやかに溶けだす温度が、いまの適温。

よければみなさんも、適温さがしをしてみてください。そしていらないものを溶かして、おだやかな気持ちでたくさん寝てください。

だれかにとっての適温であれたらいいなと思いながら、私もたくさん寝ます。

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