心の仮想空間
日々の中で他人の言動に傷つくことってあるものですが、
傷つけてくる相手には、2とおりあります。
それは、
①相手が自分に何かしらの感情を持っている場合と、
②全く何の感情も持っていない場合です。
①の場合は、あくまでも相手と自分の個人的で複雑な関係であることが多く難解なので、
この記事では、②にフォーカスしたいと思います。
私の高校のときのお話です。某大学の付属高校に通っていました。
3年生の秋になると推薦で進学がほぼきまってしまい、一般受験をしなくてもいいという特典があったのですが、
私は日々の成績が足りていなくて推薦にもれてしまい、一般受験をしなければならなくなりました。
部活のお仲間はほとんど皆推薦で決まっていました。
放課後部室に行くたびに、大学に行ったら○○ゼミに入ってサークルに入って、彼氏を作ってバイトもして・・・
というような話が耳に入ってきます。
「皆なんてひどいんだろう、私がいるとわざとそういう話をしているんだ」と、
深く、深く、傷つきながら、一般受験までの数か月を過ごさなければなりませんでした。
卒業してから知ったのですが、皆それなりに気を使って、私がいるときはそういう話を控えていたそうです。
そうとも知らず、廊下にいるときに部室から聞こえてくる希望に満ちた彼らの話を聞いて、
「みんな酷いじゃない、私をこんなに傷つけて」と思っていたのです。
私が部室のドアを開けると、仲間たちはとたんに話をやめます。楽しそうな表情はそのままで・・・
「酷い、陰でコソコソ言ったり嘲笑ったりして・・・」
・・・ですが彼らが酷いのではない。思いやりがないのでもない。
傷ついている原因は、私だけまだ進路が決まっていない、という不安と劣等感。
一般受験までの数か月間、私は自分のマイナス感情が創り上げた仮想空間に住んでいたのだと理解したのは、すっかり大人になってからでした。
これが「傷つく」のからくりです。
希望に満ちた友人たちの天真爛漫な明るい言葉によってさえ「傷つく」は発生することがある。
よくSNSで、見知らぬ人が一般に向けてしている発信を見て、
まるで自分に向けられているようだ、と捉えて一人で傷ついてしまうことってあると思いますが、
そういう場合、自分の中にあるネガティブが、発信者の悪気のない一言で触発されて浮上してきている。
発信者がネガティブ発信をしているのではなく、原因は傷ついている自分がわにあります。
自分に向けられているのではない誰かの言動に心が反応して辛い、相手がまるでネガティブを持っているように見えている、という場合は、
それは、鏡を見ているのと同じこと。
相手は自分、とはこういうことです。
自分のネガティブが創り上げた仮想空間に住んでいるのです。
他人がネガティブを持っているように見えるときは、「この世は鏡張りの世界」に気づくチャンスが訪れている。
相手が冷徹に見えるのなら、自分の隠された一面に冷徹な部分があり、
相手がウソをついていると思うのなら、自分がウソをついているのです。
相手は如何様にも変化します。自分の心の持ち方によって・・・
その気持ちを外に向かって直接発すると、後で同じ言葉を自分が受け取ることになる
以前書いたマウントを取る、取られるが、やはりわかりやすいですね。
https://note.com/_green/n/n11f2f926ef60
・・・
但し、
①相手が自分に何かしらの感情を持っている複雑な関係の場合 は、これに当てはまらない。
・・・
感情想念の創り上げた心の仮想空間に住んでいるということは、
周りのことが正確に見えていない、すなわち視野が狭くなっているのだと、私は自身の体験から気が付きました。
周りがよく見えていないために、相手を変えようと頑張ったりしてしまいます。
その空間から脱出するには「思う」ことをやめるだけという実に簡単なことですが、
なかなかうまくいかないのですよね。