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「破棄した」の違和感

最近、モノを捨てることを「破棄する」と言う人がいるようだ。テレビで何度か聞いたが、正しくは「廃棄(はいき)」。
「破棄」は契約や約束ごとなどを撤回する時に使い、形のある物品を処分するのは「廃棄」が妥当。
こんなこと言うと、すごく下位の意味を持ちだして
「捨てるという意味がちゃんとある」
「間違いじゃない」
とか言い出す人がいるけど、他に適当な言葉があるのにわざわざ最適じゃない言葉を使う必要がどこにあります?
あんたの中では正解でも国語的には間違いなんだよ。


日本語を母国語として使う人なら、たとえば、

「バナナが腐っていたので破棄しました」

という表現のおかしさに敏感でいてほしい。
国のアイデンティティの1つは言語なのだ。
よくわからないのなら「捨てました」でいいのに、わざわざ熟語を使って間違ってるっていうのがなんとも切ない。

先日もテレビで妙な場面に接した。
町でのインタビューで何か捨てる話になり、

インタビュアー「破棄した?」
町の人「破棄しました」
と、「捨てる」の意味で「破棄」を使うように誘導し、画面にでかでかと「破棄しました」と表示。

三段重ねの違和感だ。間違った表現を定着させようと躍起になってるように見えた。
使い方違うけど、この人たち知らないのかなと頭の中が疑問符だらけになった。

きっと文系じゃないんだな。でも理系でもなさそう。
体育会系?

と、どうでもいいことを考えてしまった

書いてある言葉で気になるのもある。
やむを得ない
せざるを得ない

を適当に書いてる人がたまにいるよね(笑)
よくこんな字を思いつくねーってほど、適当に当て字してる。
なんでそうなるのかメカニズムがさっぱりわからない。国語の時間に習わなかった???
私が教師なら「違いますよ」っていちいち教えるけどなあ。

正しく覚えていないことを自覚しているならこの言葉を使わなきゃいいだけなのに、なぜか堂々と書いているのは、正しくないことがわかってないからだ。教育の怠慢だ。
逆になぜ正しいと思っているのか。それは性格の問題だ。
自分を疑い、辞書などを引いて確認する習慣がないのだ。だから直らない。

あとは「洗練」かなあ。
なぜか洗練と洗礼を混同している人がいるようだ。
「洗礼された空間」とか書いてあると、この人はスピリチュアルなクリスチャンなんだろうかと思っちゃうけど、たぶん「洗練された空間」のことだよね。それともほんとに洗礼された空間が好きなのかな。
そもそも「洗礼」ってするものなの?受けるものでは?

先日は思いっきりヘンな誤字を見つけて、しかも確信をもって書いてるみたいだったから教えたくてたまらなかったけどやめた。
いつか、自分で気づけばいいよ。

私は正しい日本語を使いたいので、誤字脱字、用法の間違いなどは教えてほしいです。
間違ったままでいるのはイヤ。
朝に道を聞かば夕べに死すとも可なりって言葉もあります。

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