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片付けられないことも個性である
今の体温 36.1
10年以上前のテレビ番組で見た、片づけに関する特集。
片付けられない人と片付けが得意な人をスタジオに呼び、いろんな検証を行っていた。
たとえば片付けられない人は空間認識力が低く、あるスペースにどれだけのモノが入るかがカンでわからないことを証明。
実験内容
プレハブの物置に、用意された自転車やバレーボールなどをすべて収納する
被験者
片づけが得意な人と不得意な人
片づけが苦手、と自覚のある人たちは、外に置かれた荷物を物置の中に詰めてしまうことができなかった。顕著な差があった。
また、一定時間内にどれだけの家事ができるかという実験でも同じ結果に。
家事得意な人は、実験後のインタビューに
「普通にできます。なんでできないのかわからない」
と冷笑ぎみだった。
するとその道の専門家が、
「できるというのはもちろん良いことで、素晴らしいこと。でも、できない人に、なぜできないのか、やりなさい、という視点を持たないでほしい。
どちらかが優れているのではなく、それぞれの個性だから」
と言ったのだ。
家事得意な人は少し白けた顔をしていた。
「できる人」たちは「できない人」に対してずっと優越感を抱いて来たはずで、誰もが自分のようになるべきだと思っていたとしてもおかしくない。
価値観の変わる一言だったと思う。
できる人も生まれた時からできたわけではなく、暮らしを律する強い意志とまめな行動様式を確立することで「できる」ようになったわけで、その努力はちゃんと認めてあげなきゃいけないけどね。
なんでできないのかしら?
というのはまあ冷たい視点ではある。
ブスになんでブスなの、と言われても困るし、田舎者になんでそんなとこに住んでるの、と言われても困る。
「選んだ末にそうなっている」場合に限って討論が可能なのであって、できないことはできないものなのだ。
世界は金言に満ちている。
つらい毎日の記録