web2.0回顧録

これからソフトウェアエンジニアになる方が、なぜ技術ブログを書くのか、おじさんがScrumや勉強会をしたがるのか不思議に思うといけないので、一応書いておこうと思います。

「乗るしかないこのビッグウェーブに」

初代iPhoneが登場したのがweb2.0が語られはじめて間もない頃で、国内ではガラケーのアプリに行き詰まり感が出ていたところに、WebKitとHTML5とJavascriptによって一気に小規模なベンチャーにも可能性が広がりました。

当時まだセマンティックウェブへの幻想が残っている中、HTML5とJavascriptとAPI万能の世界をプラットフォーマーとしてのGAFAが支えてくれる、国内で成長したITビジネスが世界に行ける、モバイルもPWAが当たり前になる、という甘い見通しが当然のように語られていました。

実際、当時TwitterなどのAPIが無料で公開されマッシュアップされて毎週のように誰かが新しいサービスを作っていたように記憶しています。ただ、技術の中身よりも、業界通で話題に敏感なだけの人が増えたように感じられました。

「エンジニアの生存戦略」

そんな中、いわゆる『Webエンジニア』という人材が認知されるようになりました。そのステレオタイプな特徴に、

  • 私服(パーカー)

  • フレックスか在宅

  • Macが好き

  • 固定電話が嫌い

  • 平机が嫌い

  • 仕事中にSNSを見る

といったことが挙げられます。
元々は大学の研究室やシリコンバレーを意識したものだったと思われますが、見た目だけでなく働き方をハックしようという機運も強く、XPやAgile、xDDが積極的に開発プロセスに取り入れられました。

しかし依然としてスーツ姿で平机に固定電話とメモリ4GのWindowsパソコンでプログラムを書いていた人もいたわけで、Webプログラマーがそういう人たちよりも優秀で良い待遇にふさわしい人材だったかというと、必ずしもそうだったわけではありません。
どちらかというと、人海戦術ではないビジネスにおけるアウトプットにフォーカスしていることへのアピールだったと言えるでしょう。

その一方で、伸びている業界への嗅覚や、コミュニティやAgileをはじめとする人文学的スキルに長けた人が『Webエンジニア』に一定割合含まれていた面もありました。本当に技術に強い人とポジショントークをしているだけのような人とガヤが入り混じってSNS上で頻繁にやりあっていて、それがバズりに繋がっていました。

「俺はできる。お前はどうだ?」

この頃に「エンジニアの生存戦略」という言葉が語られ始めました。しかし、これはエンジニアとして研鑽を重ねるような、例えばCSの学位を取ったり言語を自作したりネイティブアプリ開発を学ぶといった人は少数で、どちらかと言うとセルフブランディングの意味合いだったように思われます。

企業側も採用を兼ねて勉強会をしたり、イベントのスポンサーとなっていて、大手の中の人やSNS界隈の有名人と並んで寿司を食べてビールを飲む空気がありました。
面接でも「気になる技術は」とか「これからやっていきたい言語は」といった質問が定番で、業務的な専門性はそれほど重視されていなかったと思います。

ただ、当初はWeb技術のようだった界隈も、実際にサービス開発が広がっていく中で宣言的なIaCやDevOps、データ分析の経験が候補者に求められるようになり、小規模な開発経験しかない人と大規模サイトを開発・運用してきた人のギャップがじわじわと広がっていきました。

業務回帰と狂騒の終焉

こうした時代がいつまでも続くわけはなく、初期は会員数を集めた国内向けサービスが人気を集めましたがマネタイズに成功したのはごく一部で、そうでないものは他のサービスの後塵を拝するようになりました。
また、後期になるとFinTechやMedTechなど専門性の高いITが注目を集めるようになりました。

セキュリティと収益性からフリーライドは排除されはじめ、TwitterのAPIも閉ざされ、Herokuも有料になり、勉強会も寿司とビール目当ての人が問題になるようになりました。

セマンティックウェブの理想もむなしく、モバイルWebは画面を覆う広告と生成AIに価値を失い、人々はSNSアプリかネイティブのソシャゲしかやらなくなりました。

最後に

web2.0に価値がなかったかというとそんなことはなく、Scrumでの開発やxDD、OAuthトークンを使ったAPI呼び出しなど、栄枯盛衰の中で普遍的なものが残ったわけです。
おじさんたちは懐かしさからではなく、battle-testedなプラクティスだから続けているだけです。

ま、トレンチコートみたいなもんですかね。(塹壕よりScrumとXPにかけたジョーク)


補足