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障害というものと生きていくということ。

私には発達障害という名の特性がある。
特性とは言っても、生まれつきの脳の問題で発達に影響があったという障害である。
実際のところ、知能レベルがいまも中学生レベルである。

そんな私は、小学校の特別支援学級、中学校の特別支援学級、全日制の公立高校で学んだ後、総合型選抜で合格して大学へ進学した。
そして、今は大学で学ぶ傍ら、小さな学生団体の代表といわゆる一流企業と呼ばれる会社でインターンをしている。

やっていることだけを見ると、輝かしいものに見えるのかもしれないが実際のところ、自分の能力がいかに足りないか、いつも思い知らされている。
仕事は上手くいかず叱責されてばかりで、学生団体はメンバーからあきれられている。

ほとんどの仕事がAI・ロボットに取って代わることが私たちの生きている間に起きていく。
そんな中で残る仕事は、肉体労働と高度な技術を取得する必要があるものくらいだ。
前者は体が弱く難しく、後者は知能レベルが低く、技術の取得自体が難しい。
最後の砦だった、頭脳を使う、マネジメントの仕事も知能のレベル的にできないことがわかった。
そして、手帳は保有しているものの、単純作業が多い障がい者雇用は私の障害の特性的にミスが多いため難しい。

障害を持って、生きていくとはこういうことなんだと現実に打ちのめされる毎日である。

でも、せめて生きるならだれかにとって意味があったような生き方をしたい。
社会からいつか、「いらない」と紛糾されるまでは。
自分がこの世界に完全に絶望するまではもう少し、頑張ってみたいと思います。

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