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いつまでも落つる雪        「雪」中谷宇吉郎著

新潟の豪雪地帯に住んでいた時冬は嫌と言う程雪を見たのだが、子供だから取り立てて何をする訳でも無いから雪に対する興味はこの本の趣旨となる純粋な好奇心だった。

寒い中毛糸のマフラーの雪❄️の六花を裸眼で見てとれるとそっとマフラーを持ち上げ息を止めて目を凝らす。

するとどんどん溶けてウールの繊維の上に水玉となって残る。

寒いなぁでも綺麗だなぁ。不思議だなぁ。

より目になる程目を凝らす自分に、顕微鏡で見れるかなぁ?家に顕微鏡があるから家に帰って見てみよう!と近所の男の子が問いかけてくる。寒さで赤い頬に反して手袋の上からでも冷え切った手を握り、引っ張って家に向かう。

こと気温の低い時、親は外へ出る自分にいい顔をしない。親心としては寒い中雪をぼーっと見ているだけなど、ただ風邪を引くだけだし、他の子と遊ぶことをしない娘に対して多少恥ずかしい気持ちもあった筈。しかし自分にはあらゆる事に研究熱心な近所の男の子が最大最高の友人だったのでそれ以上必要は無かった。事実その子以外とは遊んでいなかった。

最高に冷えてくると家の中も外も無音になるからわかる。ひんやりした真っ暗な廊下を抜けて、玄関に着くと重い戸を身体一杯押し開けて曇天からヒラヒラと落ちてくる雪を見る。ただ不思議できれい。

思い出すのはそんな寒さが底無しの時、夕食事に父が大雪で工場にトラックが来ないから仕事が止まると言っていたこと。ため息を吐くが子供だからその大変さは心底はわからない。母も食べ物を買いに行くのが大変と言う。うちは農家では無いのに田舎で暮らしているので逆にお金が掛かるのだ。

そんな雪国の生活の向上を目指す為雪の研究をした著者の単に学問に振り切った研究だけでは無く、橇から雪の性質を見出すなどその生活に密接した研究。そして、それを支える基礎的な研究と、ただただ観察実験検証と一見単調な繰り返しすらもまっすぐに向かう光の様にこの人はブレが無いなぁと思いながら読み進みます。

新潟では粉雪は海沿いでは滅多に降らなかった。ボタン雪と呼ばれる湿った雪か、べとつきはしないがカチカチのサラサラの雪でもない、イメージできる雪の質感が主だった気がする。

粉雪が太平洋側では降らない理由をただ寒いだけではなぜ降らないのかというそんな素朴な疑問も本から溢れて出てくる。子供心に粉雪は静電気をおびているのか、風に押されて砂の様に地面を這うように見えた。粉雪のちょっと面倒な事も書いてあり、そうそう、そうだったと頷ける。

この書籍で面白いのが、人工雪を作る章だ。人工雪❄️と簡単に作れそうなイメージだが雪の核をどうやって作るのか?と考えたらまるで検討もつかない。多分頭の良い人ならははーん、と思いつくのであろう。経験とそこからくるウイットに富んだ発想から最終的に人工雪を作り出す事が出来る様になるのだが、文章の柔らかさからついつい長い道のりも雪道より楽に感じてしまう。

この本の中で幾度も検証と実験が繰り返される。その都度小さなドラマが生まれ、著者が悩み喜んだ様子が優しい文章で書かれている。そして著者が「雪の魅力」と「雪の厄介」を書き示したこの本に引き込まれる人は少なくない筈。

雪の結晶の顕微鏡写真が載っている。この本の中ではどんな暑い時でもあっと言う間に雪の世界に連れて行ってくれる。自分にとってこの本はページを開けばいつでも曇天からからいつまでも雪が落ちてくるのだ。


中谷宇吉郎 雪の科学館で購入した九谷焼の箸置きを愛でる。
これは十二華かな、これは放射樹枝かな。
季節が夏であろうが自分はこれを使う予定だ。


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