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あっというまに2024年も折り返し(7/1〜7の日記)

7月1日(月)

どこかに行きたいわけでもなく、何かを食べたいわけでもなかった月曜日。でも外に出たくて、目的を決めないままドライブした。前日に初めて飲んだスタバのほうじ茶ティーラテがおいしくて、ドライブスルーをして車を走らせる。どこに行きたいかを考えるとやっぱり本屋さんで。先週も数日前もなんなら行ったなあと思いつつも、ジュンク堂に向かった。午前中の駅周辺のパーキングはどこも満車で車を停めるのが大変だけど、運良くジュンク堂地下駐車場が空いて、それだけですごくうれしい。笑 そもそも「本が欲しい」と思う気持ちと、「買いすぎでしょ」と思う気持ちが同時にあって。「自分が欲しいなら買えばいいじゃん」って思う気持ちと、「買いすぎって思われるの嫌だな」とも思って、このとき「あ、わたしって結局ひとの目気にしてたんだ」と気づいた。本の読み方も買い方も自由だし、わたしが何冊積ん読したところで批判する人なんていない。これまでにされたこともない。なのに、なんで勝手に被害妄想してるんだろ、って我に返った。以前『孤独と不安のレッスン』で読んだ、"自分の想像力が自分を一番傷つける"という一節を思い出した。

単行本を4冊買って、併設のカフェで1時間ほど読書してから帰宅。でも最近、本を読みたくても読めていないことが多い。「読みたい〜〜」と思うくせに、その本を開かないという矛盾。「読み終わっちゃいたくない」という気持ちもある。本は読まれなきゃ意味ないと思う反面、読むことで消費したくない、みたいな、謎の相反する気持ち。実際、たくさん本を読んでも自分にぶっささる最高に思い出に残る本というのはそんなにないし、ずっと手元に置いておきたい本というのも、そんなにない。本棚を見渡して、「だいたいの本は手放せるな」と感じた時に、なんだかさみしい気持ちになった。いや、手放せることのほうがモノに執着してなくて健全なんだと思うけど、なんか、「本との出会いと別れ」もあるな、と思ったらちょっとしんみりしてしまった感じ。たくさんの本を読みたいけれど、たくさんの本をずっと所有しておくことはできないし。本棚の新陳代謝が良い方が、自分にとっても良いはず、と思うことにした。

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