インド・カルナータカ州のOOTA(ミールス)を食べにいく旅5-3
5日目の続き
Mysore style Habbada Oota
ハッサン滞在の最後の晩餐は、Mysore style Habbada Ootaをつくってもらった。
この食事は、ハッサンを含む南カルナータカ・マイソール周辺で祝宴の際につくる。PやMの宗教的背景であるヒンドゥー教ブラーミンの家庭に伝わる料理とのこと。
Ootaは以下の料理で構成される。
Moong Dal Payasam(ムング豆の甘粥)、Pumpkin Palya(かぼちゃのパルヤ)、Sweet Potato Palya(さつま芋の甘いパルヤ)、Chana Kosambari(チャナ豆のサラダ)、Moong Kosambari(ムング豆のサラダ)、White Rice、Tovve(ダル)、Ghee(ギー)、Pickle、Salt、Tili Saaru(プレーンのサール)、Kootu(カルナータカスタイルのクートゥ)、Chitranna(レモンライス)、Bonda(揚げ物)、Curd(ヨーグルト)。
Ootaのサーブと食べ方
食事のサーブと料理を食べた順序を写真で紹介していく。
いくつかのエッセイ[1]に記されているように、食事は数回のパートに分けられている。最初は、バナナリーフいっぱいに多くの料理が盛り付けられる。
甘いPayasamを食べた後、ほかの料理を全体的に食べていく。
それが終わるとKootuとWhite Rice、CurdとWhite Riceのように料理と米の組み合わせになる。他のミールスと同様にOotaはコース料理のようだ。
なぜサーブや食べる順序が大事か
これまでミールスは、自由に混ぜて食べる料理と喧伝されてきた[2]。
一方で、この投稿や現地の食事(ミールス)は混ぜる料理と混ぜない料理や、食べる順序が決まっていることから、ある意味でミールスは食べ手や作り手[3]の自由とは無縁の堅苦しい形式的な食事といえる。
私は、単純にインド現地のミールスと日本のミールスの違いを書きたいわけではない。
ただ、そういった変化の力学に関心があるのかもしれない。
料理が元の場所を離れてつくられるとき、現地と異なる思想・気候・材料・道具など、あらゆる条件によって、料理は多少なりとも作り手のオリジナルなものになる。
そうした中で、料理や食作法など現地にあるが日本にないもの、あるいは現地にないが日本でくわえられたものが見えてくると思う。
地域を越境した食事や料理の変化を追うことで、あらためてミールスとはなにか?という奥深い食事の世界が見えてくるのではないだろうか。
・・・誰も求めていないかもしれないが。
続
脚注
[1]浅野1986:143;山下・岡光2007:273
[2]過去の投稿参照「ミールスについて少しまじめに考える1-2」
[3]料理をサーブする順序が決まっていることから、作り手にとっても自由ではないと考えた。例えば、インドのレストランでミールスを頼んだとして、最初からライスにラッサムをサーブする店員はいないだろう。
参考文献
浅野哲哉1986『インドを食べる 豊穣の国・啓示の国』立風書房
山下博司・岡光信子2007『インドを知る辞典』東京堂出版
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