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季節はずれの向日葵


雨が降っている

今日は、雨が降っている。




お母さんの話をしようと思う。

その時々の出来事を話すのは
長尺になってしまうので
関係性がわかりやすい、
歴代の呼び名を書いてみる。

(幼少期)あう

(思春期)オカン、お母さん

(今日この頃)○○ちゃん(名前+ちゃん付け) or
人前では呼べないような赤ちゃん返りした呼び名


側近の私から見ても、
笑うことが多い人生ではなかったとおもう。
むしろ、
雨が上がって虹が掛かるのを待っているような
そんな印象だ。

好きなところ、いっぱいあるけれど、
母の二の腕ほど柔らかいものはない。
あの、やっこさの抱き枕があったなら
きっとノンレム睡眠待ったなし。

あっあと、おにぎし。
培った手じわで握る、母のおにぎし。

それぞれのお母さんが歩んできて刻まれた手じわ、
それぞれの塩梅で振りかける塩。

きっと『お母さん』の数だけ、
同じ味はないのだろうと思う。

なんだかんだ母の手料理でいちばん好きな食べ物は、 おにぎしかもしれない。
東京へ通うたびに、持たせてくれた。
思い出もある。元気が出る。


そんな母に言わなければいけないことをもう五日も言えずにいる。

①必ず、
②笑って、
③“お母さんは大丈夫だよ〜”
と、言わせてしまうのが分かっているから。

想像しただけで、左の心臓がビリビリする。
テレビ電話越しに、そんな顔を見てしまったら、自分はどんな感情になるのだろう。


きっと憶えたくない、感情なんだろうな。

同時に、
ヒトに対しての許容範囲が割と広めな為、
こうしてオウンゴールに気づくとき、
本当に自分に嫌気がさす。

むずかしい。
扇のバランス保つの、一生むずかしいな。

最近、合間を縫って
ヒューマンドラマを見ていたはずなのに
今日は謎にギャングものを見てしまった

嫌気と、悲しさと、もどかしさと、
渦巻く感情を無にしたかったのかな

でもそのギャングものに好きな台詞があって、

”持たなければ なくさない
だから 持たなかった“

こういう、自分の中の表現するのが難しい部分を文字にした言葉に出会うと嬉しくなる。


深夜の、行き場のない
気持ちたちでした。

明日は雨、あがるといいな。




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