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「2023年4月の珈琲 Indonesia:わかっていたのに」

ほんの些細な予知能力なら、誰でも持ち合わせているのかもしれない。

Indonesia:わかっていたのに
それは数秒先におこること
閉じ込められた記憶が
目の前に溢れでた
わかっていたのに
けっしてさけられない
ほんの一瞬の予知夢がおとずれる
絡みあって離れない苦みとコク

良い結果だけならいい。

でも、不意に訪れるほんの一瞬の予知夢は、その結果が悪いときもある。

たった数秒先に起こることだからなのだろうか。
悪いとわかっていたのに、なぜか、けっしてさけられないときがある。

そして、それは、日常のあちこちに潜んでいるのだ。

例えば、グラスが割れるとき。

食事を終え、台所に器をさげた。
器の数々が、シンクに次々と積みあがっていく。
その形は様々だから、上にいくにつれ、そのバランスは危うくなっていた。

それでも、グラスが最後と、小さめのグラスを手にしたのだ。

その瞬間、脳裏に閉じ込められていた苦々しい記憶が、まるで、目の前で起こるかのように溢れでてきた。

このグラスを、積みあがった器のうえに置いたなら、たちまち、バランスが崩れる。
そして、グラスは割れてしまう。

どうやって、グラスが割れてしまうか。
その細部までを、わたしは予知夢で知っていた。
いや、これは予知能力なのだろうか。

どちらでもいい。
とにかく、それは数秒先に起こることにちがいなかった。

グラグラ、ガシャリ。

わかっていた。
わかっていたのだ。

状況はちがっていても、この場面を過去にも経験したことがあることもわかっていた。

わかっていたのに。

それでも、わたしは、グラスを置いてしまう自分を止めることができなかった。

そうなるとわかっていたのに、けっしてさけられないことがある。
苦々しいのに、あえて、その身を委ねてしまい、あぁ、やっぱりと思うこと。

この感じを表現するなら、しっかりとした苦味と複雑なコクを絡み合わせたIndonesiaがいい。

4月の珈琲「Indonesia:わかっていたのに」は、そんなことを思いながら焙煎したのだった。

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