見出し画像

私が電車に乗れるようになるまで

私は18歳から23歳までの5年間、一日の大半を家で過ごす生活をしていました。自律神経失調症になり、外出が困難だったからです。


ある日、大学の授業中にめまいのような症状が出てからというもの、家の外に出て少し歩いただけで頭がふわふわして足元が覚束なくなるようなふらつきが起こるようになりました。

やがて外に出るのが怖くなり、通っていた大学を辞め、働くこともできず、家にいるようになりました。困惑の霧の中に放り込まれたようでした。

病院巡りの末、やっとたどり着いた心療内科で自律神経失調症と診断されました。

クリニックに通い、精神安定剤を飲む日々。
戸惑ったり、諦めたり、身体に良いと聞いたものを試してみたり、少し希望を持ってみたり、またがっくりしたり…。

そんな一進一退の体調に回復の兆しが現れ始めたのは、23歳のときでした。


当時、ひきこもってはいけないという強い想いから、体調の不安を抱えながらも散歩や買い物程度は極力行くようにしていました。歩くことが日課となり、段々と体力がついてきた頃、何かできる仕事はないかと考えるようになりました。

その頃はまだふらつきがよく起きており、お店のレジに並ぶことすらハラハラするくらい、ひとつの場所に一定の時間とどまることに不安を感じていました。今思うとそんな状態で働き始めるとは無謀ですが、当時は何よりも前に進みたい想いが勝っていました。


まずは外を歩く仕事をしようと、情報誌のポスティングの仕事を2年経験しました。そしてさらに体力がついてきたと感じた頃、今度は接客の仕事に挑戦しました。

接客は精神的にいっぱいいっぱいで、一日が終わるたびへとへと。理解ある先輩方に手取り足取り教えていただき、助けられながら、なんとかやっている状態でした。しかし働いている実感はなにものにも変え難く、私を充足感で包んでくれていました。



そんなある日、友人から結婚式の知らせを受けました。挙式は約1年後。私の体調を慮り、早めに知らせてくれたのです。しかし、会場は電車で片道1時間以上かかる場所。戸惑いつつ逡巡しました。当時の私は乗り物に乗ることができなかったからです。


体調を崩してからというもの、不安感から苦手に思うことが増え、日常生活に多くの支障が出ていました。その最たるものが、乗り物でした。

苦手な理由は、一旦乗ってしまうと次の駅に着くまで閉じ込められているような感覚に陥り、逃げ場のない恐怖でパニック状態になりそうになるからでした。発症した頃、学校でふらつきが起こり、片道1時間以上の道のりを身体を硬くして逃げ帰ったことも思い出します。

当日まで1年あるとはいえ、乗り物に乗れるようになっている自分の姿など想像もできませんでした。不安のあまり、友人に申し訳なく思いつつ、なんとか行かずに済ませられないものだろうかと思ってしまいました。



踏ん切りがつかないまま半年ほどが経ち、今度は職場で研修の話が出ました。1ヶ月後、電車で片道30分かかる駅まで行かなければならないことを知り、また戸惑いました。電車に乗ることを想像しただけで緊張する今の自分の状態を思うと、わずか1ヶ月で往復1時間も乗車できるようになることなど到底困難に思えました。それにもし現地まで行けたところで、着いた時点で疲れているだろうし、そのあと数時間の研修を受けることなどできないだろう…。弱気になり、不安を挙げたらキリがありませんでした。

しかし、結婚式は片道1時間以上だけれど研修は片道30分か、とも思いました。

今ここで電車に乗れるようになってしまえば今後できることは確実に広がる。これまでも少しずつ前に進んできたじゃないか。これは仕事を始めたときと同じように、すごく大きな一歩になるかもしれない。目の前にちらつく希望に、徐々に奮い立つ自分を感じました。

せっかくなら、どちらもギリギリの状態でなんとか行くのではなくて、余裕がある状態で行きたい。これを機に乗り物を克服できないか。

そんな自分自身の気持ちが追い風となり、電車に乗る練習を始めることにしたのです。



乗車練習一日目は、最寄駅からひと駅だけ移動することにしました。
そのとき乗った電車は空いていて、乗車時間はほんの数分でした。しかし不安と緊張のため何倍にも長く感じられ、隣駅のホームに降りたときには脱力しました。本当に精一杯でしたが、このときの「電車に乗れた」感覚は私をさらに前向きにさせる力となってくれました。

その日から、週1~2度の乗車練習を続けました。怖いと感じることもあり、毎回手に汗握りましたが、なんとか徐々に距離を延ばしていくことができました。

そして研修当日が迫ったある日、ついに現地まで行くことができたのです。最寄駅から片道30分の駅に着いた電車の片隅で身体をこわばらせながら、信じられない気持ちで「ここまで来られた!」と心の中で叫びました。


こうして無事に研修に参加することができました。予想通り、乗車に加え研修を受けた当日は気を張ったぶんへとへとになりましたが、疲労よりも達成感が上回るほどの感動を覚えました。


乗車練習はそれ以降も続け、数ヶ月後には友人の結婚式にも参列することができました。このときも、理想としていた余裕のある状態での参加には程遠かったのですが、つい半年前からは信じられないほど遠くまで行き、幸せに満ちた友人の姿を間近で見ることができたのは大きな喜びでした。自信がつき、この頃から乗り物に乗れる感覚が確かなものになっていきました。


それからしばらくは日常で積極的に電車を使うようにしていたのですが、あるときふと、もう練習はしなくても良いなと思いました。乗ろうと思えばいつでも乗れることがわかったからです。もともと乗り物が好きなわけではないし、これからは必要なときだけ使おうと思いました。

こうして私の乗車練習は幕を閉じました。



それから別の仕事も経験し、自分の体調も環境も変化し、発症から10年経った28歳のとき、自律神経失調症を克服しました。今思うと、電車に乗れる自信がつき、行動範囲が広がったこの頃がターニングポイントだったように思います。

あのとき結婚式の知らせと研修の話が重ならなければ、あれほどの勢いで乗車練習をすることはありませんでした。もしどちらかひとつだけだったとしたら、不安だと断ってしまった可能性も大いにあります。容易に断ってしまえるものではなく、日程は決まっているものの、当日まで日がある。そんな、克服に向けて挑戦できる条件が揃ったふたつの機会が立て続けにやってきたからこそ奮い立ち、腹を括ることができたのだと思います。こんなふうに、チャンスとも試練ともいえることは必要なときに訪れてくれるのかもしれません。

無理なくできることを少しずつやるのも良いけれど、時には勢いに任せて行動するのも良い。この経験から、そんなことも教わりました。

今でも電車に乗ると、緊張した面持ちで手に汗握る自分が目に浮かび、よくやったねと声をかけたくなります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?