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映画『運び屋』を観ると目の前の人を大切にしようと思う

『運び屋』(2018)を鑑賞。

監督・主演:クリント・イーストウッド

脚本:ニック・シェンク(『グラン・トリノ』の人!)

出演:ブラッドリー・クーパー、ローレンス・フィッシュバーン、マイケル・ペーニャ、ダイアン・ウィースト、アンディ・ガルシア、他


『グラン・トリノ』『ミリオンダラー・アーム』を観て大好きになったクリント。彼の作品は人間のもろさや愚かさに寄り添り、誰かを想うことの尊さを感じさせてくれるので好き。

今作は『運び屋』というタイトルからどんなスリル満点の作品なんだろうと想像していたが、やはり、人と人の間のシンプルで純粋な愛が、じわじわと力強く描かれた温かい話であったように感じた。

(ネタバレたくさんなので、是非作品をご覧になってからお読みください。)


なにより人間の「寂しさ」を拾い集めていくような描写が胸に沁みた。家族の用事をすっぽかして仕事や外の人間関係ばかりに目を向けてしまっていたアール。作品の最初から最後までを通してわかるように、すごく真摯に正面から人と接する、思いやりを持った素敵な人なのに。一番近くの家族をおろそかにしてしまう。そのせいで娘や妻に受け入れられない。仕事を失い、家族に歩み寄ろうとしても過去の過ちから拒まれる。そんな状態が観ていて苦しかった。

そして、フリオの寂しさも。組織の中で恩人ラトンに尽くし認められようと周りを高圧的な態度で自分の思い通りに動かそうとする彼は、アールが彼に言った通り、「組織の中でどうでもいいとされている存在」。アールの凛とした態度や人に真っすぐかける愛情に溶かされ、段々表情が和らぎ、不器用ながらも誰かを大切に思える人に変わっていったのが印象的だった。

そして、一流のデイリリー栽培家であったアールが、インターネットの普及についていけないことから世間から求められなくなっていくことにも、近代の世の中の「寂しさ」を感じた。


ちなみに、アールは実在するレオ・シャープという方がモデルなのですね。このシチュエーションが実在したという衝撃。でも人間らしいというか生々しいのはそういうことか。


フリオを見ていると鏡の中の弱くて不安な自分を見ているようだった。組織の中で、自分一人で役目を全うしようと必死になり余裕がなく荒々しいフリオ。おおもとの指示は守るが自分のペースで自由に、目の前の人を大事にしながら進んでいくアール。フリオの姿は、俳優として自信がなくて焦ってばかりいた頃の自分と重なった。(といっても演技を始めたのが2年前で、いい意味で気持ちが落ち着いたのがここ数ヶ月なので、ついこの間までの2年弱の間はそんな状態でした)

組織のボスが代わり厳しくなって寄り道もできなくなった、今までで最大の任務を遂行中にきた、妻の危篤を知らせる連絡。一歩でも任務への道を逸れれば殺されるという状態で、一度は咄嗟に「行けない」と言ってしまいながらも任務を放棄し自宅に向かうアール。ふぁ、、、。勇気、、、。そばにある大切なものを大切にする勇気、、、。このシーンまでに、アールの物語が、彼の後悔が、彼自身の存在が、観客の中に深く沁みこまれていて、だから響きすぎるほど響く彼とその家族の言動の一つ一つ。クリントの作品は、観客と登場人物の距離の縮めかたが天才的。


ブラッドリークーパー演じる捜査官も、その人間性が透き通って見える居ずまいと言動に惹かれた。


ここからは私の超個人的な話になってしまいますが。


…と書き始めたらとんでもない量になってしまったので別で上げます!

まだまだ上手くまとめられないけど最初だもの!気合入っちゃってるんだもの!笑 ということで大目に見てもらえると嬉しいです。


とにかく、アールを通して丁寧にシンプルに描かれた、人への純粋な愛情、人生での選択の仕方、人間の寂しさ、愚かさが温かく包み込まれていて素晴らしかったです。

私はやはり、温かくて生きる活力になるような、弱いところやバカなところを認めながら寄り添ってくれる作品が一番好き。

今日から、より一層、目の前の人を全力で大事にしたいと思いました。

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