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映画『2人のローマ教皇』、壮大だけど身近

映画『2人のローマ教皇』を鑑賞。一度で拾いきれず2度観ました。

監督:  フェルナンド・メイレレス
脚本:  アンソニー・マクカーテン
出演:  アンソニー・ホプキンス、ジョナサン・プライス

ネタバレしまくりなので、作品をご覧になってからお読みください!

実在するローマ教皇たちのお話。

2005年のヨハネ・パウロ2世の死去後、次の教皇となった、ドイツのヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿(現名誉教皇)。7年後の2012年、辞表を渡しに彼に会いにきたアルゼンチンのホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿(現教皇)。2人がそれぞれ辞任の意を語る、対話を描いたコメディ。コメディの印象は薄かったけど。

だが史実では、2人がこのとき対話した事実も、2014年のワールドカップを一緒に観た事実も無いそう。


劇団チョコレートケーキの『治天ノ君』もそうだけど、天皇とか、ローマ教皇とか、なにか大きな立場を背負っている存在が、ある意味私たちと変わらないひとりの人間なんだと感じられる、そんな視点で描かれているものは、普通に生きていたら私たちがきっとしようとも思わずに終わる"彼らの気持ちになる、葛藤を知る""彼らの視点で考える"ということを作品を介して体験させてくれるのでとても価値があると思う。

壮大な立場の人の壮大な話だけど、彼らの対話や葛藤は、私が自分自身のことに重ねられるくらい身近で普遍的、人間的なものだったり。

特に私に刺さったのはこの部分。

ベルゴリオは、過去の軍政時代に権威側につき、仲間を失ったことを悔いて、その後"罪の償い"として、人のために尽くしたり誰もやりたがらない仕事を進んで引き受けたり傲慢さに敏感になった。その行いから、人々からの信頼を得て最後にはローマ教皇になった。

失敗した人って、強いな

そうひしひしと感じた。

作中の彼らの性格や抱いていた葛藤がどこまでフィクションなのか詳しくはわからないけど、2人の人間の対話・回想から、政治・権威と人々、宗教と人々、宗教と社会、教会・神の使いという存在と人々と社会、日本に住んでいてはあまり触れないことについて考えた。こう見ればこっちが正しいようでああ見ればあっちが正しいのもわかる、という具合になんともぐちゃぐちゃごちゃごちゃしている複雑な世界に生きている気もしながら、人間自体は単純だなあと思ったり。

うん、ぐるぐるしていて言語化しきれない。悔しい。


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