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ACミラン12-13シーズンまとめ!ミランの栄光を彩ったスーパースターが去った後、アッレグリ3年目の試練

Ciao❗ドドン小西です。明けましておめでとうございます🎍

20-21シーズンもあと少しで折り返しに入ります。年末年始忙しさを理由に更新をサボっていました。あと、前回ご紹介した11-12シーズン以降を書くのが億劫だったと言うのが本音です。

11-12シーズンのこぼれ話(小西の愚痴)

11-12シーズンはユヴェントスに逆転を許しスクデットを逃しています。

前回ご紹介し忘れましたが、2012年2月25日のユヴェントス戦優勝を左右する天王山と呼べる一戦で(ミランにとって)痛すぎる誤審がありました。前半ノチェリーノのボックス外からのロングシュートでミランが先制点を奪います。その後、ムンタリのゴールで2-0かと思われた場面。今だ現役ジャンルイジ・ブッフォンがライン内からボールを掻き出し、結局レフリーはゴール認めませんでした。7分後、アレッサンドロ・マトリが至近距離からのボレーで同点ゴールを奪い、1-1痛恨のドロー。

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当時主審を務めたパオロ・タリアベントさんはこの誤審について認め、「残念なことは、(当時)VARがなかったことだ。導入が遅すぎた。キャリア最大のミスはそれ(VAR)で起こらなかったはずだ。」と回想しています。

スーパースター軍団は過去の話・そして内紛

ともかく、この年が過去の栄光を知るレジェンドとズラタン・イブラヒモビッチなどのスーパースターが多く在籍していた最後のシーズンとなります。

フィリッポ・インザーギマッシモ・オッドが引退。アレッサンドロ・ネスタはモントリオール(カナダ)ガットゥーゾはシオン(スイス)、ジャンルカ・ザンブロッタはキアッソ(スイス)、ファン・ボメルはPSV(オランダ)、セードルフはボタフォゴ(本田選手がゴタゴタしたチーム、本田さんは現地でセードルフのような活躍を期待されていたらしい・・😰)など、多くのベテランがクラブを去ります。

更に主軸であったチアゴ・シウバズラタン・イブラヒモビッチをでパリ・サンジェルマン(PSG)へ放出😇彼らの加入以降、PSGはリーグアン4連覇を達成・・

会長ベルルスコーニの会社経営がミランの収支のマイナス分を補填しようがない状態に陥り、ミラン単体で採算がとれるように改善する必要性に迫られたため・・か、2011年から導入されたファイナンシャルフェアプレー(FFP)の影響もあったのか・・。FFPについてはfootballistaの記事にて詳しく紹介されています。ご興味があるかたは是非。。

また、アントニオ・カッサーノ+金銭(7.5M€)とジャンパオロ・パッツィーニ(インテルから)のトレード(カッサーノの移籍要求があったとされています)、そして冬の移籍市場ではパトもコリンチャンス(ブラジル)へ去って行きました。12-13シーズン当初インザーギの引退とともに背番号9を背負うなど期待されましたが、怪我で思うようなパフォーマンスは出せず、苦しみ退団となりました。

また、パトは会長の娘バルバラさん(11年からクラブ幹部)と交際しており、12年1月の移籍市場で、アッレグリとガッリアーニがパトの放出とカルロス・テベスの獲得を行なおうとしたとき、バルバラが激しく抵抗。マンチェスター・Cとの移籍交渉のためにロンドン入りしていたガッリアーニへ「娘の懇願」を受けたベルルスコーニがTell、交渉を破談にしてしまうなどの一幕もありました(このあとすぐに破局する😰)。なお、テベスはユヴェントスへ。彼がミランに加入していたら・・・。ミラン凋落にはこのような首脳陣のごたごたも大きく影響しています

<パトとバルバラのツーショット>

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加入選手は前述のパンツィーニとリッカルド・モントリーヴォ(フィオレンティーナ)、ナイジェル・デ・ヨング(マンチェスター・C)、ケヴィン・コンスタン(ジェノア)、当時18歳若手期待のFWエムベイェ・ニアン(カーン)、そしてなんと言っても冬にマリオ・バロテッリがマンチェスター・Cからやってきます。

12-13シーズン(アッレグリ3年目)

さてさて、前置きがながくなりましたが、12-13シーズンを簡単にご紹介します。まずは主なメンバーから。

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開幕前から放心状態のミラニスタ、そしてやはりチームは不調。開幕8試合でわずか2勝1分5敗の15位と低迷。戦力の大幅ダウンおよび現有戦力での最適解を見つけるため悪戦苦闘するアッレグリ。当初4-3-1-2から4-3-3に軟着陸し、安定した戦いを見せ始めます。9節以降持ち直し、19節から32節まで怒濤の14試合無敗を記録し、最終的に3位に滑り込みCL出場権を獲得するなど、健闘しました。

カンピオナートでのミラン総得点67の内、エル・シャーラウィ16得点パッツィーニ15得点バロテッリはシーズン途中加入にも関わらず12得点と大爆発❗❗3人で43得点を叩き出します。

得点王はナポリで得点を量産し、手のつけられなかったエディソン・カバーニ(29得点😲)。ナポリの2位フィニッシュに大きく貢献。

昨シーズン以上にユヴェントスが頭ひとつ抜けていたシーズンだと思います。着実に戦力補強できるクラブがユヴェントスだけと言っていいくらい他のクラブは四苦八苦していた印象です。90年代から00年頃まで世界最高と言われていたセリエAというリーグ自体の凋落が顕著に見え始めた時期だと思います。以下、順位表です。

12-13シーズンカンピオナート結果

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以下、選手のご紹介

|ステファン・エル・シャーラウィ 1992.10.27生 ITA
178cm/72kg FW(11~16年)

13歳でジェノアの下部組織に加入し、16歳でトップデビューを果たす注目の若手のひとりだった彼は、ジェノアからレンタルで加入していたパドヴァ(当時セリエB)でブレイクし、一気にその名をとどろかせ、11年にミランに加入します。当初は限定的な起用も12-13シーズンは主力の座を掴みます。優れたボールコントロール、スピード、時折見せるトッリクプレー、常にゴールを狙う積極性と攻守のさまざまな局面で顔を出す献身性を持ち合わせたアタッカーとして前半戦は大活躍。バロテッリが加入した後半戦は2得点と大ブレーキ。バロテッリがCFとして中央に張るので、中に切り込んだり、中央のスペースに飛び込みシュートを打つシーンが減ったことも理由のひとつでしょう。しかし、37試合16点はとても素晴らしい成績です。バロテッリとともにイタリアを担うアタッカーと期待を集めました。ただ、このシーズン後半戦以降、なかなか本調子とはいかず、怪我での離脱もかさなり、チームの不振もあり多くの批判を受けるなど不遇の時を過ごします。14-15シーズンのラツィオとのリーグ戦初戦では本田圭佑のゴールをアシストしたのは記憶に新しいかと思います。14年11月8日サンプドリア戦、622日ぶりにセリエAでゴールを決め、涙をながします。 しかし、再度怪我による長期離脱。そして15年5月24日にミランのホームでトリノ相手にドッピエッタの活躍、3-0での勝利に貢献しました。残念ながら15年の夏、モナコへのレンタル、その後ローマへのレンタル・完全移籍を経て19年に中国スーパーリーグの上海申花へ。はやくも欧州復帰の噂もありますが、イタリア代表にも招集されていますし、これからも活躍してくれるといいなと思っています。

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|ジャンパオロ・パッツィーニ 1984.8.2生 ITA
182cm/77kg FW(12~15年)

アタランタでプロキャリアをスタートさせた彼は元々サイドバックの選手でした。フィオレンティーナ、サンプドリア、インテルを経て、アントニオ・カッサーノ+金銭トレードでミランに加入します。カッサーノとはサンプドリアでコンビを組んでいました。彼は高さとスピードとテクニックを高いレベルで備えたストライカーでしたが、サンプドリアを除く、所属したチームで2番手ストライカーとされることが多かったのも事実です。ヴィオラ時代はルカ・トーニアルベルト・ジラルディーノが、11-12シーズンのインテル時代はディエゴ・ミリートが彼よりも重用されたからです。12年夏、ミラン移籍後は期待に応え、順調にゴールを積み上げてくれますが、冬にバロテッリがやってくることで、バックアッパーとしての起用が中心となってしまいます。なにかと不運な彼は15年契約満了とともにフリーでヴェローナへ移籍していきます。ミランでは12年9月1日ボローニャ戦でのハットトリックなど要所で活躍する記憶に残るストライカーでした。18年1月キャリア初の海外へ。ラ・リーガのレバンテへローン移籍し、レアル・マドリード戦1点ビハインドの77分から途中出場し、デビュー戦で同点弾を決める輝きを見せました。その後、ヴェローナに戻ってきましたが、19-20シーズンを最後に退団し、2020年11月に現役を引退。ゴールセレブレーションは自身の両目を片手で指さし「今の観た!?」

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|エムベイェ・ニアン 1994.12.19生 FRA/SEN
184cm/70kg FW(12~18年)

セネガルにルーツを持つフランス人として、各アンダー世代のフランス代表(A代表はセネガルを選択)に選出される将来を期待された逸材です。フランスのカーン(現リーグ・ドゥ)での活躍もあり、ミランだけでなくアーセナル、エバートン、トッテナムが獲得に動いたが、最終的にミランに加入。2012年12月13日、コッパ・イタリアのレッジーナ戦(3-0勝利)に出場したニアンは70分にゴールをあげ、17歳350日でミラン史上2番目に若いゴールスコアラーとして歴史に名を残すことになります。ただし、12-13シーズンは途中出場がほとんどで、大きなインパクトを残せないでいました。残念なことにミランでは「才能は間違いない。しかしプロとしての資質に欠ける」との評判がついて回る悪童ぶりを発揮します。シーズンの初めに彼は、運転免許なしで運転し、ミラノの警察に捕まった際、警察に「オレは(チームメイトの)トラオレだ」と言って誤魔化したと報じられています(本人はもちろん否定)。また14年2月、レンタルでフランスのモンペリエでプレーしていた彼は、フェラーリを木に衝突させ、11人が負傷したひき逃げ事故の罪で執行猶予18ヶ月の判決を受けています。あわせて無免許運転でも起訴されました。 さらに16年3月、ニアンは週末に自動車事故を起こし、左足首の嚢膜靭帯損傷と左肩に打撲傷を負ってしまうなど、なかなかのやんちゃぶり😰14年1月、ニアンはモンペリエにレンタルで加入しました。 19試合に出場し、4得点を記録しましたが、2015年1月にはジェノアにレンタル。ジェノアでの14試合で5ゴールとまずまずながら、負傷後にミランに送り返されました。16–17年にはワトフォード、17-19年はトリノ、18–19レンヌへ加入し、現在もリーグ・アンで活躍しています。まだ26歳。FWの選手は年齢を重ねてから得点を量産するパターンもあるので頑張ってほしいですね。あとづけで申し訳ありませんが、ミハイロビッチ監督の元では重要な選手として活躍。歴史にもしもはありませんが、彼が交通事故で長期離脱しなければ15-16シーズンの結果は良い意味で違ったものになっていたかも・・

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|マリオ・バロテッリ 1990.8.12生 ITA
189cm/88kg FW(13年1月~14年/15~16年)

ガーナ移民のバルウアー夫妻の長男と生まれるも貧しさから、両親は泣く泣く3歳の彼をイタリアのバロテッリ夫妻へと養子に出しました。高い技術と抜群の身体能力、左右から繰り出される精度と威力の高いシュート、セットプレーも得意で特にPKキッカーとしては世界最高クラスの決定率を誇っています(プロ入り以降継続していたPKの連続成功が21)。FWとして必要なすべての才能を持って生まれた怪物で「スーパーマリオ」と呼ばれる一方で、若くからスターの片鱗をみせるもピッチ内外での武勇伝の多さから「バッドボーイ(悪童)」とも呼ばれます。12-13年の冬にマンチェスター・Cから加入し、CFとして相手ゴール前に君臨し、後半戦だけで12ゴールと驚異的な得点能力を見せつけます。13-14シーズンも14得点とチーム内得点王となりますが、シーズン終了後、ルイス・スアレルの後釜を探していたリヴァプールに引き抜かれ1600万ポンドの移籍金を残してミランを去って行きます。ただ、リヴァプールでは全28試合に出場し、わずか4ゴールと、当時最悪の移籍と評される成績で15-16シーズンにローンでミランに戻ってきます。しかし、リーグ戦20試合でわずか1ゴールと振るわず、リヴァプールに戻るも、ユルゲン・クロップの構想外であり、リーグ・アンのニースへフリーで移籍していきます。ニースではキャリアハイとも呼べる時期を過ごし(リーグ戦18得点)、19年マルセイユを経て、イタリアのブレシアに戻ってきます。ブレシアは19-20年のセリエAシーズンの終わりにセリエBに降格し、バロテッリとの契約自動更新オプションが消滅したため、退団。20-21シーズンはセリエBのモンツァへ。元ミランのチームメイトだったケビン・プリンス・ボアテング、クリスティアン・ブロッキ監督、クラブオーナーのシルビオ・ベルルスコーニ、会長のアドリアーノ・ガリアーニと再会を果たします。まだ30歳。精神的に落ち着いてくれれば素晴らしい活躍を見せてくると思っています。なにかと劇的なゴールを生み出してくれる彼のことを私は大好きです
彼の逸話は多く、他のチームの選手だけでなく、チームメイトや監督との取っ組み合いや舌戦を繰り広げ、インテル時代にはミランのシャツを着てTV番組に出演し大問題となったり、同時に複数の女性と付き合ってみたり、自チームのユース選手にダーツを投げつけたり、駐車違反・レッカー移動は日常茶飯事、祝勝パレードやファン交流をすっぽかしてバカンスに出かけたり、タバコがばれたり、試合前日にストリップクラブで夜通し遊んだり・・・。いろいろあるので興味がある方は調べてみてください。また、多くの人種差別被害にあっており、差別に対して強い怒りを持っています。イタリアでは相手チームだけでなく、自チームのサポーターからも差別的なチャントを浴びせられるなど、特にひどかったように思います。

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|サリー・ムンタリ 1984.8.27生 GHA
180cm/79kg MF(12~15年)

18歳でウディネーゼにて2002年11月6日、対ミラン戦でセリエAデビューを果たします。その後、プレミアリーグに移籍したいという希望を持っていた彼はポーツマスへ2007年5月に約710万ポンドのクラブ記録で移籍し、07-08シーズンはリーグ戦29試合に出場し、4ゴールの活躍を見せます。08年7月にはインテルのモウリーニョ新監督が彼に関心をもっているなどの報道があり、最終的にインテルへ。インテルでスクデット獲得に貢献します。11年1月、インテルはムンタリが公式に移籍要求したことを認めたため、多くのプレミアリーグのクラブが彼に興味を示し、最終的にサンダーランドへのローン移籍となります。しかし、あまりパッとせず、インテルへもどるもまたローン移籍となり、ミランにやってきます。ミランではデビュー戦をゴール飾るなどの活躍をみせ、MFとしてミランの中盤を支えました。元左サイドバックで、守備力と機動性、豊富な運動量をもったMFであり、時には左ウイングとしても活躍。またエリア外からの強力な左足のシュートも持っていました。ハードタックルを厭わないプレースタイルのため、カードをもらうことも多かった印象です。友人とのビーチサッカーで靱帯損傷の大怪我を負ったこともありました。15年7月に双方合意の上、アル・イデハド(サウジアラビア)へ移籍。19年にはアルバセテ(ラ・リーガ2部)に所属していましたが、現在はフリー。今後の去就は決まっていない様子です(未確認です、情報があれば教えてください🙏)

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|リッカルド・モントリーヴォ 1985.1.18生 ITA
181cm/76kg MF(12~19年)

イタリアのベルガモ生まれ、イタリア人の父とドイツ人の母を持ち、イタリア語とドイツ語を操る。03年にアタランタでトップデビュー、06年フィオレンティーナを経て、12年にミランへ。マッシモ・アンブロシーニの退団後、2013年から2017年までチームのキャプテンを務めました(17年いきなりやってきたボヌッチにキャプテンを奪われる😢)。繊細なボールコントロール技術と創造性あふれたゲームメイク、運動量も豊富でボール奪取もできる現代的なMFとしてミランの中盤に君臨しました。ミラン暗黒期を支え続け、中盤のいかなるポジションでも対応し、走り回る姿はミラニスタなら記憶に新しいと思います。在籍7年で手にしたタイトルは16年スーペルコッパ・イタリアーナのみ。18-19シーズンは出場機会もなく、フリーで退団。同じく退団したアバーテとサパタがファンに見送られてサン・シーロに別れを告げたにも関わらず、ベンチ外だったモントリーヴォは、ファンに挨拶する機会を与えられることなく、ひっそりとチームを去り、その半年後に引退を発表しました。07年にセリエA若手最優秀選手に選出されてからイタリア代表として66試合に出場した選手としてはあまりにさみしいキャリア晩年だったと思います。またキャリアを通じて怪我に苦しんだことも不運でした。今後の彼の人生に幸あれ、、と願わずにはいられません。

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|マッティア・デ・シリオ 1992.10.20生 ITA
183cm/74kg DF(11~17年)

10歳からミランのアカデミーに所属し、11-12シーズンにプリマヴェーラからアッレグリによってファーストチームに呼ばれ、 2011年9月28日にCLの舞台でプロデビューを果たします。ミラン生え抜きのスター候補であり、偉大なバンディエラになることを期待されます。12-13シーズンからデ・シリオは背番号2を背負い、過去に同じ番号を背負ったマウロ・タッソッティやカフーのような偉大な選手になると宣言。シーズンを通して、高パフォーマンスを見せ、レギュラーに定着します。パオロ・マルディーニの後継者と言われることもありました。以降のシーズンは怪我を繰り返し、コンディションが整わない時期もありましたが、プレーの安定性、ポジショニング、戦術的理解力、そしてゲームを読み取る能力を高く評価されており、左右のサイドバックを遜色なくこなす貴重な戦力でした。不名誉なエピソードとしては15年5月3日に行われたセリエA第34節ナポリ戦で、開始43秒でレットカードを受け退場するセリエA最速退場記録を作ってしまい、その際にはかなり批判を受けました。そして17年7月、デ・シリオはユヴェントスに去って行きます。ミランの低迷に加え、自分を抜擢したアッレグリが監督を務めるユヴェントスに大きく傾いているとの報道やファンからの襲撃事件(サン・シーロから両親とともに帰宅中、移籍報道に激怒したサポーターに車を囲まれ、罵声を浴びる)など要因は様々でしょう。現在はリーグ・アンのリヨンにレンタル移籍中です。

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|クリスティアン・サパタ 1986.9.30生 COL
187cm/82kg DF(12~19年)

04年コロンビアのデポルティーボ・カリにてプロデビュー。U-20W杯での活躍によりウディネーゼに加入します。05~09年までレギュラーとして活躍します。ヨーロッパの複数のトップクラブが彼に興味を示し、サパタは11年7月ビジャレアルに加入します。2011年8月17日、奇しくも11-12シーズンCL予選のウディネーゼ戦でデビューします。1シーズンで12年8月、ビジャレアルからミランへローン加入。CBだけでなく、サイドバックとしての出場もあり、加入当初はスタメン出場も多かったものの、絶対的な存在とはなれず、怪我もあり、2番手CB、守備のバックアッパーとしての起用が中心でした。当初は恵まれた体格・フィジカルの高さでボールを跳ね返す、ハードタックルを厭わないスタイルでしたが、年齢を重ねてからはフィジカル頼みではなく、鋭い読みでボールを奪うクレバーなタイプに。ミラン在籍7年間で公式戦148試合に出場し5ゴール6アシストを記録しました。本田圭佑と“親友”なんて報道も日本ではよくありました。コロンビア代表としても活躍。そして19年7月、彼はジェノアへフリー移籍。ジェノア初のコロンビア人選手となります。余談ですが、サパタの叔母リンナイナ・サパタさんは13年5月1日に誘拐され、誘拐犯は身代金で1億5000万ドルを要求、翌日、コロンビアの国家警察によって犯人は逮捕され、叔母さんは無事救出されるという事件がありました。こわい。

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さて、今回はここまで。ともかく12-13シーズンまではセリエAでも、まだ上位につけていましたし、まだ希望の持てる陣容でした。しかし、このシーズン以降、暗黒期に突入していきます。先ほども少し触れましたが、首脳陣のゴタゴタやFFP問題、監督人事などなど・・・。と言うことで、次回は13-14シーズンをお届けします。

最後に今シーズン、20-21シーズンのミランはユヴェントスに1-3に破れ、無敗記録がストップするものの、次節のトリノ戦では2-0できっちり勝利。コロナや怪我人の影響でなかなかベストな布陣で望めない状況でも、崩れること無く、首位をひた走っています。17節終了時点で勝点40で首位、2位のインテルとの勝点差は3。今シーズンはCL出場の4位以内が目標とはいえ、このままできるだけ首位でいてほしいなぁなんて欲も出てきます😁ともかく、久々に明るいシーズンを過ごしているミラン。SNSなどでも「最近ミランのファンになりました」なんて方を見かけるので嬉しく思っています。この記事を書き始めたコンセプトは「ミランを通じてサッカーを好きになってもらうこと」ですが、まだまだ力及ばず・・とりあえず、息子は立派なミラニスタになりました笑。良ければTwitterなどで拡散していただけると嬉しいです。今後とも宜しくお願いします。

ではまた。。Forza Milan🔴⚫🔥

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