子ども部屋は誰のため?

以前読んだ本の中で、国によっては、マスタールーム。つまり、一家の主の部屋を最重要視するという内容を見ました。一方、日本は「子ども部屋ありき」という価値観な気がしています。中古マンションを探していたとき、ほとんどが3LDKでした。両親の寝室と、子ども2人の個室+LDKというイメージでしょうか。家を購入した一家の主たちは個室を確保しなくとも、子どもたちには個室を提供しようと躍起になります。それに対して、「日本の親は教育熱心」だとか、「子ども想い」だとか、美談として捉えられることが多いように感じます。ですが、果たして本当にそうでしょうか?

僕の幼少期を思い返してみます。アナログタイプな両親だったため、「勉強しろ」と口癖のように言われており、学校での成績を非常に気にしていました。そして、僕には4歳離れた兄がいて、小さい頃から兄と相部屋で過ごしていました。そんな兄が中学生となり、中学校での成績が芳しくなかったため、「勉強できる環境にないからだ。」と考えた両親は、今までリビングだった部分を無理矢理個室にし、僕はそこへ追いやられることになりました。そして、元々兄弟で過ごしていた部屋は兄の個室に。(実家の構造上、両親の寝室と兄の個室が2階にあり、僕は1階で一人という構図になりました。)その結果、個室で生活することになった小学3年生の僕は、夜、眠れない日が増えました。そして更には、夜間に喘息の発作が起きるようにもなりました。発作が起きたときだけは、両親の寝室で一緒に寝かせてもらったことをよく覚えています。大人になり、色々学んでいく中で、あれは子どもなりの「誰か構って!」と言うサインだったんだと思っています。兄と離れ離れになったことに加え、両親の意識が「兄(の成績)」にしか向けられていないことを子どもながらに察していたのだと思います。そんな中、発作が起きれば両親が構ってくれるので、自ら病気を作り出していたのではないか。余談ですが、案の定兄の成績も上がりませんでした。

そんな経験も踏まえ、子どもに個室を提供したいという親たちの心情を考察してみました。ただ単に、「そうするのが当たり前だから」、「みんなそうしているから」という人たちもいるでしょう。それ以外だと、我が家のように、個室を与えることによって、子どもに「勉強しろ」と言っているのかもしれない。そうすると、親が子どもに勉強を強制することの「本当の理由」ってなんだろう?という疑問に行き当たります。「子どもの将来のため」。その裏にあるのは、子どもが偏差値の高い学校や大手企業に勤めることで、親としての承認欲求が満たされることなのかもしれない。もしくは、子どもが安定した高給を得ることで、自分たちの老後の安心感を得ることができるのかもしれない。そんな下心はないと胸を張って言える人はどれだけいるでしょう?

それとは別の視点で考えてみます。人と正面からきちんと向き合おうとすると、思っている以上に大変ですし、疲れるということを30年と少し生きてきて感じています。夫婦や親子などの家族間は距離感が近い分、余計かもしれません。そして更に、大人になり会社勤めをすると、仕事そのものはもちろん、会社での人間関係にもかなり神経をつかうようになります。そんな中、仕事を終え帰宅したら、家でくらい一人にさせてほしい。何も考えずにゲームしたり動画を観たりお酒を飲んだり、ダラダラ自分本位に過ごしたい。しかし、子どもはそんな大人の事情お構いなしに愛情を欲しがる生き物です。帰宅早々、「パパ、ママ、あのねあのね・・・」と始まるかもしれない。しかし、「今日は疲れているから今度にしてくれないか?」とは言いにくい(映画やドラマではこんなシーンをよく見かける気がします。)。そんなときに、「子ども部屋」、さらに、現代だとスマホやタブレットを与えておけば、子どもが個室にこもっておとなしくしてくれるかもしれない。先の「勉強しなさい!」は、子どもを個室にこもらせておくこともできる都合のいい言葉なのかもしれない。親としては、「個室を提供すること」や「勉強しなさい!」で、子どもを傷つけずに、子どもの将来を慮っている風を装いながら、自らが一人になるための時間を確保できると内心思っているのかもしれません。(実際のところ、子どもは傷ついていると思います。)

こんな風に思い巡らせていくと、子ども部屋を巡る至るところに「親のエゴ」が透けて見えてきて、子どもに個室を提供することは、実は「親自身のため」という側面が大きいのかもしれないと思っています。そんなことを踏まえ、僕がいつか子どもを授かったとしても、子どもが自発的に「個室がほしい」と提案してこない限りは、個室を提供するつもりはありません。なので、広い家に住みたいとも思っていません。頑張って働いてお金を稼いで広くて立派な家に住んで子どもに個室を与えることよりも、個室のない狭い家でもいいから、ほどほどに働き、子どもと正面から向き合う時間を確保して、きちんと話を聞いてあげられるような親でありたいからです。実際に親になると考えがまた色々と変わるのかもしれませんが、この想いは忘れたくないと思っています。

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