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正解と教授法

社会と教育はつながっているということで、
教育について学んでいる。言うは易し、行うは難し。

言葉って難しいと思うのは、”教育と学習”の関係性。
旧来はひとりのエキスパートが壇上に立って知識を伝達する係、だったのが
オンラインテクノロジー+VUCAなどの状況変化でその役割は変わってくる。

前者は「教育」という名前でよかったのだが、これからは教授も含めて「学習」していく、という方が正確になっていくのではないかと思う。ただしLearning Objectivesは存在するのだ。フリーディスカッション、ただの雑談ではない。その学習目標というか、科目にしたがって、学びを伝えるのではなく引き出していく。

例えばこんなディスカッションがあった。
・事前課題でそのテーマについて皆予習してきた
・授業当日、はじめにテーマの理解を記述式で問うてみたら、誤解がある
・教授は、果たしてどう授業を組み立てるべきか

ここでの「テーマの正解」は脳科学とか社会学などで証明済のものだとする。それでも「学びを引き出す」ことは尊い、という話になった。
尊いと書いたのは、、効率性を優先するのならば、正解と誤解を並べて正解を「教える」ことでいいだろう。ただそれでは情報を受信させることに留まってしまい、生徒に「知っているけど、理解していない使えない」という事態を招いてしまう。

・まずは生徒たちの理解を場に出して
・なぜそう思うか、について生徒同士意見交換して
・学説として正解だと言われているものを提示し
・自分たちの議論と比較する
・なぜ違うのか、どんな時に使うからどちらを適用するのかを考える

などを教授主導ではなくて、
生徒同士の交流の中からその現象を生み出していく。

日本に適用するとしたら、教授(先生)の役割を分割する必要があるだろう:
1)その科目に詳しい(正解と思われる理論を持っている)人(authority)
2)それに基づいてカリキュラムを作る専門家(course designer)
3)実際に授業を担当するファシリテーター(faculty)

例えば、小中学校の授業なら:
1)はYoutubeで一番PVのある算数授業45分でいい。科目について自分が一番詳しい必要は必ずしもない。
2)が重要。どこでYoutubeを止めて解説するか、類題を出すか、理解度に応じてどんなクラス編成にするか、一方向授業ではなくて生徒相互の教え合いや議論をどう組み込むか、etc.を授業の形に組み立てる
3)2で作られた授業を、実際の教室現場で実行する
4)必要であれば、生徒の評価と、コメントを生徒にフィードバックする、など。

1)2)はレバレッジが効く。たとえば県単位、国が作ってくれれば、現場教師の負担は減るのではないか? 全て1人の教師が授業計画を作り、評価し、部活動まで見ていてはさすがに疲弊してしまう。願わくば統一化されたデジタルツールがあればいいが、Zoom、sli.do、Minerva大学のForumシステムなどでも、差はあれど今の授業より効果的な教室はつくれるだろう。理解度別のクラス編成についても、オンラインなら他学区と連携すれば可能ではないか。

もちろん、このやり方ですべての授業が運営されるべきだということではなくて、例えば国算理社の授業をこの「型」で運用できれば、もっと他のところに時間が使えないだろうか。Build & Buildでは組織が疲弊してしまう。まずは予算をつける、余裕をつくる、ということから、「学校とはなにか」について本質的な議論が進められれば嬉しい。

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