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【実験ノート】独習数学【大学初年級】

 

 数学の独習の記録を残します。1サンプルとして参考になれば幸いです。

 なお、「独習」とは、「生身の人間の教師との間に比較的多くの媒質を介し、かつインタラクションが比較的弱く感じられる学習」、程度のニュアンスである。

 高校までの数学に引き続き、大学の数学の独習をおこなっていこうと意気込んだのだが、一つ問題があった。「大学の数学」とは一体なんだろうか。
まずはこれを知る必要があったのだが、手掛かりは偶然得ることができた。
それは、Twitterで

という方のツイートを見かけたことだった。
ツイートのリンクで飛んだ下のブログの記事で、

大学の1年次の数学では,主に「解析学」と「線形代数」の2つを学ぶ。

1年生の間は,解析の基礎と微分方程式論に加え,
線形代数と統計学の初歩をみっちり身に付けよう。
これら全てが,2年生以降に進むための基礎となる。

との記述を発見した。そこで、まず解析学(微分積分学)の教材を探し始めた。

微分積分学

 高校数学まではWEB上の教材で学んだので、大学の数学も同様に学べるのではないかと思った。ちょうど、上のブログでWEB上に公開されている講義ノートや演習問題のリンクをまとめてくれていたので、その中から、照井章先生が公開されている微積分の講義動画を選んで、学習を始めた。一から大学の数学を学ぶという時に、動画というのはやはり取っ付きやすく、ありがたかった。

 学習の仕方は次のとおりである。まず、講義動画を、一緒に公開してくださっている講義ノートを片手に視聴する。そして、その講義の教科書に指定されているテキストを読んで予習・復習をする。
 結果、ダメだった。詳しく言うと、講義の方は簡潔で、かつグラフ等を用いた直感的な理解を助けるものであったが、他方で教科書に書いてあることがほとんど全く理解できなかった。1つのページに書いてあることを理解しようとして1時間以上かかり、結局理解できたのか分からないが、それでも自分なりに納得して先に進む、といった感じで微分の章まで読み終えたのだが、次第に分からないことが積み重なっていき、それ以上読み進めることができなくなってしまった。この時は「極限」と「連続」の区別すらはっきりとはついていなかったと思う。
また、少し後に、演習にも取り組まねばと思い、Amazonで、評価が高く比較的に簡単そうな演習書、

寺田文行、坂田泩、斎藤貞四郎、『演習微分積分』、1975(新版2009)、サイエンス社

を見つけてやってみたのだが、最初の数ページですら問題が解けず、解説を見てもまだ分からない、という状態だった。
 以上のようであったから、期間にして1カ月程格闘した末に、講義動画と教科書、演習書を中断し、他の学習方法を探すことにした。

 今振り返って原因を考えてみると、それは、高校数学と大学数学のギャップに苦しんだ、ということだと思う。大学の数学では、高校数学ではほとんど見かけなかった、公理、定義、定理とその証明、そしてこれらによる論理の積み重ねが、その上厳密な仕方によって展開されていく。特に私の場合は高校数学を大雑把に済ませたこともあって、余計に難しさを感じたのだと思う。
 したがって、上に挙げた教材が分かりにくいものであった訳では決してない。そして、この、ギャップに苦しむということが、学習において必要なプロセスであったのではないかと考えている。

 次に試してみたのは、同じく先に挙げたブログで紹介されているもので、黒田紘敏先生が公開されているテキスト、

『微分積分学入門』(リンク先のページにファイルのリンクがある)

である。
このテキストを見ると、まずその文量に驚かされる。頁数は540程もある。だがこれは私にとってメリットであった。
 Web上の教材は、断片的でコンパクトなことが多い。しかしそれだと、未知の学問、特に数学のように厳密な体系を為しているものを学ぶ際には、どうしてもその断片的な情報を信用してよいものか不安に感じられる(大前提として、無償で教材を公開されている方々には感謝するばかりなのだが)。だが、この『微分積分学入門』は、その情報量と、大学一年の微積分全体が一体系として構成されていることによって、一定の信用が担保された数少ない教材だった。
 もちろん、信用の指標としてはその情報の「質」の方が本質的なのだが、これから学習する対象についての情報の質を識別することはできない。そのため、レビュー等によって信用を仮定することが困難であるWeb上の教材で学ぶ際にはこの種のリスクは避けられない。
しかし私はこの時、「高校数学までそうだったから大学数学も同様にWEB上の教材で学べるはずだし、先の挫折もあって紙の参考書で学ぶのは何かハードルを感じる」、というような考えを持っていたので、このテキストで学ぶことにした。この判断に合理性は無いのだが、結果的には良い選択だったと思う。

 『微分積分学入門』を現時点約440頁まで学習した体感から、このテキストにはいくつかの特徴が挙げられると思う。
 一つは初学者向けの丁寧な記述である。テキストの冒頭は高校数学の復習から始まる。定理の証明や演習問題の解法で頻出する、三角不等式、部分分数分解、三角関数の定理等について解説してあり、高校数学の知識を補填することができた。そして、重要な概念、例えば、イプシロン・デルタ論法、実数の連続性、テイラーの定理、リーマン積分等々、の導入の際には要点の解説がついている。さらに、例題が非常に充実している。例題数が多いこともさることながら、そのほとんどに詳細な解答が付されているのは、他の多くのテキストには見られない特徴だと思われる。
 また、厳密性の高い記述がされていると思う。いや、実際には現在学習中であり、厳密性を判断することは困難であるのだが、ほとんどの定理・命題に対し(ε-δ等を用いた)証明が為され、綿密な論理展開がされている。著者も端書にて、「実数の構成に関する部分以降,つまり上限定理を認めた後は初等関数の定義以外ほぼ厳密な議論をしています.」と書かれている。
 扱っている内容についても、一般の数学科あるいは理工系のカリキュラムと比較してどうであるかといった詳細は分からないが、先ほどの引用から推測するに、割と数学科寄りのボリュームではないかと思う。
 加えて嬉しいことに、巻頭に関連図書、先生お勧めのテキストのリストを載せてくれている。大学数学について得られる情報が限られている身として非常にありがたく、多く参考にさせていただいた。

 このテキストでは学習の仕方を変えて、定義、定理と証明、例題を全てノートに書き写すようにした。その結果、読むだけに比べて格段に時間がかかるようになったが、書かれている論理や数式を正確に理解しようとする習慣がついたように思う。最適な方法かどうかは分からないが、現在も続けている。
 テキストを変えてからも、ある程度の理解に至るまでに相当の時間と労力を要した。一つ一つの定義、定理と証明、例題の理解を心掛けながら読み、以前学んだ概念が再び出てきたら大体忘れているので都度復習する。このようにして積分の章の辺りまで進んだ時に最初の方を読み直してみると、イプシロン・デルタ論法やそれを用いて定義された数列の極限、関数の極限、連続関数等の概念に対するイメージが徐々に描けるようになってきた。また、積分の章を終えた辺りで一度中断した演習書をやってみると、自力で解ける問題もいくつか出てきたので、再び取り組み始めた。

 この段階で、大学の数学に慣れてきた、という感じがする。これは大学の数学が簡単に思えてきた、ということではない。内容は相変わらず難しいのだが、言わば、どのように学習をすれば良いのかが次第に掴めてきて、学習を少しずつ積み重ねていけば、数学的概念をある程度理解し、先の内容に進むことができる、という安心の感覚である。それまでは、内容の理解が進まず、どのような状態が理解している状態かも分からず、学習の方法は適切なのか、また今学習している対象は本当に自らの目的に適うものなのか、といった疑問や不安が常にあったのだが、一つ軌道に乗った感じだった。
 何故このような感覚に至ったのか考えると、それは、試行錯誤しながら、時間的に長く、労力的に多く、数学に触れていたから、ということに尽きるのではないかと思う。この点においては、数学に対する「厳密」、「論理的」といったイメージとは裏腹に、リスニングやスピーキングの反復が効果的な語学学習と類似する所があると私は思う。しかしこれは、数学も、いわゆる自然言語も、共に人間の用いるコミュニケーション・メディアの一種であることを考えると、当然のことなのかもしれない。すなわち、単語・文法・発音・慣用等の習得を通じてその規定する世界観を内在するのと同様に、定義・定理・例題・演習の一連からその数学的思考様式を導入する。

・・・
 
 黒田先生の『微分積分学入門』を500頁くらいまで学習したところで、新しいテキストに切り替えることにした。そのテキストは、

笠原晧司、『微分積分学』、1974、サイエンス社

である。このテキストは確か、学習に行き詰っていた時期に、Amazonで調べて評判が良かったので購入したものだったと思う。しかしその時は読んでみると難しくて、使うのを断念し、しばらく寝かせてあったのだった。
 テキストを切り替えた理由は、『微分積分学入門』で、重積分の変数変換公式の証明が大まかな方針を述べるにとどめられていたからである。応用上十分な記述がなされているということなのだが、せっかくなので詳細に学習したいと思ったので、それが記載されてあった『微分積分学』を使い始めた。
 上のような経緯から、このテキストは必要なところだけを選んで「つまみ食い」する使い方をしている。例えば、初等関数の定義、面積確定の定義、逆写像定理、変数変換公式等の部分である。実際、はしがきにもあるようにこのテキストは章毎のまとまりがとれており、各章の独立性が高いので、こうした使い方に適しているように思う。もちろん、このような使い方ができるのは先の『微分積分学入門』で基本的で重要な事項をしっかり押さえることができたからである。『微分積分学入門』から『微分積分学』への難易度の上がり具合は丁度よく、特に大きな困難もなくスムーズに移行できた。
 また、微分方程式論、ベクトル解析、ルベーグ積分といった応用・発展分野についても言及されており、それらの分野の基礎的・入門的な知識を得るのにも役立つと思う。
 文章による解説と数式とが一体になったような記述であり、議論の筋道が非常に明快に感じられるテキストである。
 

 次は線形代数について紹介する。

線形代数学

 線形代数の場合は、WEB上でメインで使うのに適当そうな教材が見つけられなかったので、紙のテキストをAmazonで探した。それで選んだのが、

川久保勝夫、『線形代数学[新装版]』、2010(旧版1999)、日本評論社

である。
 このテキストを選んだ根拠は、Amazonのレビューに依った。重視した点は、レビュー数が多いこと、平均評価が高いこと、詳細なレビュー文があることである。数学の参考書は、数学の長く広い歴史もあってか、各分野における定番の書があるようで、選択肢を絞るのは難しくなかった。その中でこのテキストは、レビューを総じるに、扱っている内容は充実しており、かつ初学者、独習者にも分かるように平易に書かれている、とのことだったのでこれに決めた。始めた時期は、『微分積分学入門』と同じである。

 テキストを使ってみた感じは、評判の通り良いと思った。書かれていることを考えながら読み、演習問題もなるべく自分で解いて、忘れた事柄を適宜復習していけば、挫折することなく読み進められる。
 数学の学習で行き詰まる典型的な場合として、演習問題が解けず、解答も載っていなくて延々悩むということがあると思うのだが、このテキストではそういうことはまずない。演習問題はそれ以前に書かれた内容を使って解くことができるものがほとんどであるし、解答の略もあまりない。
 最後の章はそれまでより一段難しく感じたが、通読することができた。

論理・集合・位相

 先に紹介した黒田先生のテキストの参考文献リストに紹介されていたのを見て、

金子晃、『数理基礎論講義 ―論理・集合・位相―』、2010、サイエンス社

というテキストを購入した。実は、論理・集合・位相とはどんな分野なのか全く知らなかったのだが、黒田先生の「基礎を理解するために必要な内容を補うのに(中略)とりあえず数学科以外の学生ならばこの一冊があれば大丈夫かもしれません.」という書評に興味を引かれて、学習を始めた。
 論理学・集合論・位相空間論という分野について少なくとも言えることは、それぞれが大学1年生で学ぶ数学の基礎にもなっている、ということである。微積分、線形代数の両方でこれらの分野の知識や概念が用いられていることを後から知った。その一方で、本格的に学ぼうとすると非常に専門性の高い分野でもあるようだ。
 『数理基礎論講義』では、これらの分野について、主に数理・情報系の学生向けに僅か260頁程で書かれており、大体3分の2が論理学・集合論、残りが位相空間論で構成されている。第1章にあるように、はじめは素朴な議論から出発して、章を下る毎に徐々に公理に依拠した議論が導入されていく。
 はじめのほうは、微積分や線形代数で半ば常識のように用いられている概念(例えば、写像についての基礎知識や、任意∀・存在∃、否定¬、→、同値、対偶等の論理学的な操作)を、明確に把握して使えるようにするのに大いに役立った。
 後半部は学習途中だが分かる範囲で紹介したい。論理・集合パートの後半部は、集合や論理について専門的に研究する分野である「数学基礎論」の入り口となる無限集合論や公理的集合論、形式論理学について、興味深くて、これからの学習が楽しみになるような事実を教えてくれる。論理・集合パートの最後は「不完全性定理」の証明、もとい解説となっている。紙数を考えれば当然のことだと思うが、後半部は必ずしも厳密な構成とはなっていない。証明の省略があったり、記述が直観にたよる部分も出てくる。しかし、先述のようにこのテキストが扱っている分野は、他のほとんどの分野の基礎となっている反面、本来非常に専門的である。従って、恐らく理系の学生であっても、これらの分野について必ずしも数学的に厳密な方法によって学ぶとは限らないのだと思われる。このテキストは、そのような分野について、限られた紙数の中で適度な厳密さで議論が展開されているため実用に耐え得る知識を得ることができ、また扱っている内容が多岐にわたるので発展的な学習の足掛かりにもなるという特徴があるのではないかと思う。
 また、時折余談や、かわいい顔文字が挿まれたりして、著者、金子先生の講義を受講している気分も味わえる。
 全体として、少ない紙数の中で幅広い分野を扱っており、かつ内容の質をなるべく落とさないようにしてあるため、肉を削ぎ落して骨格が保持されている、という感じがする。それ故に「行間を読む」ことが必要なところもあるように思う。見た目の装丁に反して、重厚な印象を受けた。

副読本

 次は副読本を紹介する。1冊目は

ベル、E.T.、2003[原著1937]、『数学をつくった人びとⅠ・Ⅱ・Ⅲ』(田中勇、銀林浩訳)、早川書房

である。この本は、ロボ太先生という方が公開されている講義資料の参考文献に挙げられているのを見て知った。
 この本を一言で言うと、紀元前500年頃から紀元1930年頃にかけての数学の発展を概観し、同時に各々の時代の数学をつくった人びとの生涯を物語る、数学概論兼伝記風小説である。
 当書の数学の解説はとても参考になった。微積分や三角関数などの高校数学までで馴染みのある内容については、それらの概念が生み出された歴史的背景を踏まえてより深い解説がされている。また、大学2年次以降で学ぶような高度な分野についても、予備知識無しで、その分野の起こりや主な関心について、雰囲気を教えてくれる。
 また、著者、ベルの語る、数学をつくった人びとの生涯は生き生きとしていて、勇気づけられたり、切なくなったり、滑稽さを覚えたりしながら読んだ。そうして彼らの生き様や、彼らの生きた時代を垣間見ることで、彼らの名前が付いた定理にも不思議と親しみが持てるようになった。
 数学を学び始めたばかりで、数学のイメージが漠然としていた頃の私に対して、この本は数学全体を見渡す視野をもたらし、進むべき方向を示してくれたと思う。原著の出版は1937年であり、この本自体が歴史性を帯びているところもあるが、この本の数学概論の役割と、人間批評の痛快さは、今読んでも褪せていない。

 『数学をつくった人びと』を読んで微積分と力学の間には密接な関係があることを知り、力学や物理学全般について漠然と興味を持った。それでまずは高校物理から始めようと思ってAmazonで探して買ったのが

山本義隆、2004[旧版1987]、『新・物理入門 <増補改訂版>』、駿台文庫

である。この本は大学受験の参考書なのだが、Amazonのレビューにあるように、それにしてはかなり高レベルのものであるようだ。私は大学の微積分を学び始めたばかりの頃にこの本を読み始めたのだが、微積分についての記述がなかなか理解できなくて苦労した。結局第3章まで(古典力学・熱力学)読んだが、理解できている自信がない。

 それからまたしばらくして、今度は電磁気学を学んでみようと思った。

砂川重信、1987[旧版1977]、『電磁気学』、岩波書店

を読んでみたのだが、これも最初の60ページくらいまでで挫折してしまった。電磁気学では「ベクトル解析」という微積分の発展分野を用いるのだが、このテキストでは必要な数学の知識は補って書かれているとはしがきに書いてあったので、ベクトル解析を学ぶ前に読み始めた。初めの方は順調だったのだが、定理の証明が何か腑に落ちない。その後も数学の記述でさらっと書いてあるのに分からないところが出てきて、つらくなったので一度読むのをやめた。やっぱりベクトル解析を学んでからでないとダメなのかなと思って、上で紹介した笠原先生の『微分積分学』と、千葉逸人先生の『これならわかる工学部で学ぶ数学』という本のベクトル解析の章を読んで少し勉強した。それからまた読み直したのだが、それでも同様に分からないところが次々と出てきた。

 ここでも、行き詰ったのは数学的な記述の部分である。このような状態に際して、logician(論理学者)である竹内外史先生の、物理学に対するユーモアのこもった考察は、妙に納得できるところがあった。曰く、

一番困るのは数式を用いて計算する所である.いかにも数学のように見えて我々にも何とかなりそうに見える所が曲者である.しまいには物理学者は力学,電磁力学…と教育をうけている内に色々なクセを身につけて,そのクセで計算しているので,あれは数学でないと邪推した程である.その一つの理由は,数学の場合は原則及びその状況を明確にしてその上で推論又は計算をするが,物理学では暗黙の約束があって,そのことにふれずに計算を進めるようである.これは数学者にとっては苦手である. 

Reproduced with permission from Ref. 竹内外史, 1996, 「物理学者への期待」, 『日本物理学会誌』, 51巻3号, 194, https://www.jps.or.jp/books/50thkinen/50th_03/006.html(閲覧日2022年9月13日). 
(c) 1996一般社団法人 日本物理学会.

無論、竹内先生の「分らない」と、私の「分からない」は比べるのもおこがましいのだが。

 ともあれ、これらの経験から学んだのは、数学を学んでも、数学を用いて記述される物理学などの学問が自動的に理解できるようになるわけではない、ということである。多分、数学には数学の、物理学には物理学の文脈や形式、あるいは雰囲気のようなものがあって、それらを体得するには数学や物理学のそれぞれと、長く多く付き合わないといけないのだろう。私が物理学を少しでも理解できるようになるためには、初めて大学の数学を学んだ時と同じくらいのハードルを超えねばならないのだと思う。

確率・統計

 次は確率・統計について紹介する。しかしその前に、「大学初年級で学ぶ確率・統計」に関する事情について、私にわかる範囲で整理しておこうと思う。これがやや入り組んでいて、初学者にとって混乱を招く元になり得ると思うからだ。

 この事情の根幹にある問題は、大学初年級の段階では確率論を学ぶための数学的な予備知識が不足している、ということであるように思われる。
 確率論では、確率を議論するために、あらかじめ「確率モデル(確率空間)」というものを構成するのだが、これを構成するのに用いる集合・集合族(集合の集まり)・関数は「ある特別な性質」を有することが要請される。また実際に事象の確率を求めるために積分を用いるのだが、これは大学初年級で学ぶ ”普通の” 積分、「リーマン積分」ではなく、「ルベーグ積分」というものを用いるのである。そしてこれら「ある特別な性質」と「ルベーグ積分」について扱うのが「ルベーグ積分論(測度論)」である。ならばと思って、ルベーグ積分論の定番の教科書の内の一つ『ルベーグ積分入門』(伊藤, 1963)の序を読んでみると、そこには、この教科書を読むための予備知識として微分積分学と線形代数学を仮定し、また簡単にではあるが集合論と位相空間論の知識を使うと書かれている[1]。
 つまり確率論ではルベーグ積分論を使い、ルベーグ積分論では大学初年級の数学を使うのである。そして統計学においては、現実のデータを分析する手段として、またその理論的基礎のために確率論が用いられる。

 これだけを聞くと、大学初年級で確率論、および統計学を学ぶのは不可能ではないかと思われるかもしれない。ところが、ある程度においては、そうとも限らないようである。
 先程、確率モデルを構成するための集合は「ある特別な性質」を持つと言ったが、小針(1973)はこの性質は普通に考えられる集合は殆どすべて持っていると思ってよい、と(あえて強調している節もあるかもしれないが)述べている[2]。
また『ルベーグ積分入門』には次の定理が載っている。

 定理16.2 f(x)が区間[a, b]でRiemann積分可能ならば、Lebesgue積分可能であって、両方の積分の値は相等しい. [3]

このことは取りも直さず、ある確率分布に従う事象の確率をルベーグ積分によって求めようとするとき、もしその確率分布関数がリーマン積分可能であれば、その計算をリーマン積分で代用しても構わないことを意味している。
 よって、上記二点から推察するに、
 ⅰ) 確率モデルが構成できることを認めて(仮定して)しまった上で、
 ⅱ) リーマン積分可能な確率分布(及び離散な分布)に議論を限定すれば、
大学初年級において確率論を学ぶことは可能である、と言えるのではないかと思う。
 そもそも何故リーマン積分ではなくルベーグ積分を使うのか。笠原(1974)によると、ルベーグ積分とはリーマン積分を精密化してそれを包含する概念であるという[4]。そしてその緻密さが、確率の議論において重要であることをウィーナー(1948)は論じている[5]。恐らくは、大学初年級の確率・統計の講義では、その精密さの必要が全面化しない範囲までを扱うということだろう。

 この問題に対する解決策の一つとして、では学部二年次以降に準備が整ってから確率論を学べばよいではないか、というのが即座に思いつく。しかしそう簡単ではないようだ。『ルベーグ積分入門』の序で伊藤は、「数学科以外の学生に対してLebesgue積分論の講義をする時間的余裕は皆無に近く」、また「数学科においてさえも、Lebesgue積分論を(中略)完全に学生がこなせるようにするだけの時間がいつもあるとは限らない」という時間的制約に起因する問題があることを述べている[6]。つまり確率論を専攻する学生でなければ、確率論を学ぶための準備がいつまでも整わない可能性がある。
 また、主眼を確率論ではなく統計学のほうに移したとき、また異なる説明を与えられるのではないかと思う。『統計学入門』(東京大学教養学部統計学教室, 1991)には、統計学の根本にあるのは「現象の法則性に対する人間のあくなき実際的関心」だと書かれている[7]。そして、分野や問題ごとに「それぞれ特有の方法や理論をもつ数理統計学の体系がつくられ」、かつそれらの諸分野に共通の体系が最近200年くらいの間につくられてきた経緯があるという[8]。このように、関心や必要がある特定の現象に向いており、また、統計学特有の方法論を学ぶ必要もあるわけだから、確率論を厳密にやった後でないと統計学を学ぶことはできない、という考えは少し悠長過ぎるのかもしれない[9]。
 加えて、確率・統計が科学の諸分野、あるいは現代社会全体において果たす役割は非常に大きい。だから、これらを実際に ”使う” 立場の人でなくてもこれらと無関係ではいられない。それどころか、日常生活レベルで常に関わりを持っているといっても過言ではないだろう。従って、準備ができないからといって多くの学生がこれらの分野を学ばず終いというのは望ましくない。

 以上のような事由を総合的に鑑みた結果、確率・統計は、専門科目と別に教養科目として、理論的正確さとのバランスを取りながら、なるべく普遍性を追求する形で扱われている。このような事情があるのではないだろうか。ただし、上で引用した文献は少し古いものが多いので、現在の教育事情は異なったものになっている可能性があることに留意されたい。

 これらを踏まえて、私が使ったテキストを紹介する。それは次のものである。

小針晛宏、『確率・統計入門』、1973、岩波書店

このテキストには、あとがきにテキストの構成の詳しい解説が載っているので、その内の特に初学者にとって重要と思われる部分についてまとめようと思う[10]。
 まず第1章は、主に確率モデルの構成について書かれている。だが上で見てきたように確率モデルの構成を厳密に議論するには予備知識が足りないので、ここでは、確率モデルの構成に立脚して議論する立場は避けずに、予備知識を準備することを避けている。だから、この部分を完全に理解しようとする必要はない。ただし、ここでの著者の意図、すなわち、現実の事象の確率を議論するためにある種主観的に導入される確率モデルと、現実そのものを明確に区別する、ということに注意を払うことが重要である。
 続く第2章では条件付確率や1変数分布の平均・分散、第3章では基本的な分布の解析、第4章では多変数分布の初歩、…、といったように全体としてはオーソドックスなテーマが扱われている。しかしその扱い方に特徴がある。まず一つに、大学初年級で学ぶ数学、特に微積分については、詳細な扱いをしているという点が挙げられる。従って式変形などを丁寧に読み込む必要があるが、それだけに、その部分については曖昧さを残さず理解することができる[11]。それと同時に、例題が豊富に盛り込まれており、また各々の概念や分布についてそのイメージ・意味するところについての説明も詳しく、感覚的な理解の助けになる点も特徴である。
 第5章では正規分布について同様に詳細な議論がなされている。第4節ではフーリエ解析について議論しており、ここは大学初年級の知識では理解できないことが多かったが、そこでの著者の主張を見るだけでも大いに価値があると思った。続く第6章はやや独立した章で、乱歩について扱っている。ここで語られていることも、非常に興味深い。
 第7章では、統計学的に重要な、標本についての性質やχ^2分布・F-分布・t-分布等についての数学的構造の説明が為され、第8章ではそれらを用いて推定・検定の例題を多く扱っている[12]。

 率直に言って、この本は難しかった。それは、計算にしても、理論的な解釈にしても、実際的な限界まで ”ごまかし” がないからだと思う。そしてそれは、あとがきにあるように、上で見たような複雑な事情の中で、著者の「強い個性」の下に、確率・統計という分野の枠を大きく超えていく普遍性を追求した結果なのではないかと思う。’ ふだん, あまり世の中のお役に立ちそうもない数学ばかりやっているので, せめて統計の講義ぐらいではお役に立たんとネ ’ という彼の言葉が「逆説的」だというのは、きっとそういうことだろう[13]。

[1]伊藤清三, 2017[原著1963], 『ルベーグ積分入門(新装版)』, 裳華房, ⅲ-ⅳ.
[2]小針晛宏, 1973,『確率・統計入門』, 岩波書店, 14.
[3]伊藤清三, 前掲書, 116.
[4]笠原晧司, 1974, 『微分積分学』, サイエンス社, 299.
[5]ウィーナー, 2011[日本語版第1版1956],『サイバネティックス―動物と機械における制御と通信』(池原止戈夫・彌永昌吉・室賀三郎・戸田巌 訳), 岩波書店, 104-107.[原著Wiener, Norbert, 1948, Cybernetics: John Wiley.]
[6]伊藤清三, 前掲書, ⅲ-ⅳ.
[7]松原望・縄田和満・中井検裕, 1991, 『統計学入門』, 東京大学出版会, 2.
[8]竹内啓, 1991, 「序文」, 『統計学入門』, 東京大学出版会, ⅶ.
[9]そうなると気になってくるのが、実際に仕事や研究等で(色々な程度に)統計を活用している人々は、測度論に依拠した公理的確率論に習熟しているのだろうか、しているとしたらどの程度だろうか、またその必要はあるのか、ということだ。しかしこれは私にはわからないことである。
[10]池田信行,・笠原晧司・ 森毅・ 森本治樹, 1973, 「あとがき」, 『確率・統計入門』, 岩波書店, 293-297.
[11]第3章でマクローリン展開や級数の項別微分、第4章で重積分と累次積分、及び重積分の変数変換を用いるので、微積分と並行して学習するなら進度の調整をしたり、必要な結果をとりあえず認めて使うといったことを適宜行うとよいと思う。
[12]このように、このテキストでは確率論的な議論が多くを占めており、統計学の手法に関する記述は多くない。
[13]池田信行,・笠原晧司・ 森毅・ 森本治樹, 前掲書, 293.

まとめ

 今回数学の独習をしてみてわかったことは、数学を独習することは可能だということである。まず、数学を学習するための情報を得るのは容易である。一番初めの取っ掛かりが少し問題であるが、今回紹介したブログなどのネット上の情報から初めに何を学べばよいかはすぐに分かる。その後に学ぶことも、大学のシラバスとかテキストの参考文献とかを見ればわかる。各分野の教科書は充実していて、Amazonで簡単に入手できる。Web上に公開されているテキストも有用である。そして、金銭的コストは低いほうだろう。数学を学ぶのに必要な物は、教科書と、計算用紙やノートといった紙、あと筆記用具とか、椅子とか机とかそれくらいである。教科書は専門的なものだとやや値が張るが、一生使えるものであるし、中古や図書館も活用できる。ただし、時間だけは莫大にかかる。しかしこれは他の趣味とか勉強とかについても同じことだろう。
 だが、数学を研究するとなると話が別だと思う。私にはこれが未だにわからないまた、大学のカリキュラムと比べると、私の学習の進み具合は遅いように思う。やり方が悪いのか、かける時間が足りないのか。これもわからない。きっとこういうことについて手助けをしてくれるのが大学というところなのだろう。正直なところ、教えを乞う師が欲しい、難しいテキストを一緒に輪読するような仲間が欲しい、と思ったことは何度もある。だから、私は数学をやるのに大学は不要だというつもりはない。

 まだ書き残したことがあるので、随時、加筆修正を行いたいと思う。

 最後になるが、もし、これを読んでいる人で、数学の独習をやろうという人がいたなら、私よりうまくやることを、勝手ながら祈らせていただく。

































 学部に在籍していた時のことである。その頃はデータ・サイエンスが一般の注目を広く集め始めていて、私も情報社会論の講義を履修したのをきっかけにこの分野に興味を持った。そこで、履修登録の時に目に入った、教養科目の統計学の講義を履修してみようと思った。(データ・サイエンスと統計学は雰囲気的に何か関係があるだろう、程度の動機である。それくらいこれらの分野のことを知らなかった。ちなみに今もよくわからない。)しかし、他の講義との日程の調整が上手くいかなかったため、その講義は結局履修しなかった。ところが、何故かその講義のシラバスに載っていた参考テキストは買ってみたのである。それが『確率・統計入門』だった。
 その時は数学の知識がまるで無かったため、この本の内容を理解することはできなかったのだが、ページをめくると現れる“軽妙な語り口”と、はしがきの文章に興味を惹かれた。はしがきは著者、小針晛宏の親友だったという広中平祐によって書かれたものであり、小針の人柄や、この本が執筆された当時の大学の様子について書かれていた。中でも次の言葉が、私が数学を学び始める遠因となったことは、今思い返すと疑いようがない。

「 ’頭がよいから数学に強い’ とか ’彼の数学のできるのは頭がよいからだ’ といった, 日本の特に受験生, 大学の初年学生に往々にしてみられる偏見を彼は憎んだ. 数学は面白く学べる筈だと彼は信じていた. その方法をさぐって, 彼はあがきもした. 」[13]












数学という信仰














覗空の夢






















「死人に引っ張られるぞ.」




忘れやすい故郷












[13]広中平祐, 1972, 「序にかえて」, 『確率・統計入門』, 岩波書店, ⅶ.

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