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ゴルフの歴史【Ep2】世界最古のクラブの誕生

このシリーズではゴルフ史を紹介しています。
ただの趣味翻訳ですがお楽しみいただけたら嬉しいです。

画像の出典は画像下に、
参考資料は最下部にまとめています。

前回のお話はこちら
↓ ↓ ↓ ↓

それではEpisode2スタート。

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ゴルフ史上初の試合

1,744年の3月、日頃からリース・リンクスでプレーするゴルファー達は、毎年恒例の試合で商品として「銀製のクラブ」を提供するようエジンバラ市を説得しました。

銀のクラブを持ったパレードの様子

この試合は「貴族、紳士、その他ゴルファー、グレートブリテンおよびアイルランドに住む全てのゴルファーに参加する権利がある」とし、勝者は「The Captain of the Golf」としてゴルフに関する議論の決定者となる称号を与えられるものでした。(各ゴルフ場で今日でもおこなわれているキャプテン杯はここから来てるのでしょうか?)


しかしながら、参加の声を上げたのはわずか12名。実際に試合に出場したのは内10名、地元の若者達です。

この試合の勝者は、エジンバラの外科医、ジョン・ラトレイでした。414〜495 yardsのホール、5ホールを往復する競技方法で、彼はスコア60を記録しました。現代のクラブを使用するならば、各ホール600 yards ほどの体感なんだそうです。600 yardsを10ホールでスコア60は、決して悪いスコアではありませんよね。

ジョン・ラトレイ 出典: Stephencdickson

この試合はゴルフ史上、初の試合とされ、リース・リンクスのゴルファー達は、パブリックコースでありながら世界初で正真正銘のクラブ「Honourable Company of Edinburgh Golfer (HCEG)」として名声を得ました。

数世代に渡り、この組織は移転を繰り返しましたが、1,891年に東エジンバラのミュアフィールド(Muirfield)に腰を下ろし、そのまま現在に至ります。


ゴルフルールの起源

そして忘れてはならないのが、1,744年、初めてルール制定の下ゴルフが競技としてプレーされました。これが有名な「The Original Thirteen Rules of Golf」という、最初のゴルフルール13条です。

とても寛大で、ルール違反に対する罰則はなく、この簡潔なルールが約100年適用されました。

出典:Did you know: The Original Rules of Golf fit on one (big) page

当時のルールは下記の通り。

(1) “YOU MUST TEE YOUR BALL, WITHIN A CLUB’S LENGTH OF THE HOLE.”

ティーアップの際、ホールから1クラブレングス以内にティーアップすること。


(2) “YOUR TEE MUST BE UPON THE GROUND.”

ティーは土に触れていること。(当時は土を山のように盛りティーアップしていました。)


(3) “YOU ARE NOT TO CHANGE THE BALL WHICH YOU STRIKE OFF THE TEE.”

ティーショット後は同じボールを使い続け交換しないこと。


(4) “YOU ARE NOT TO REMOVE, STONES, BONES OR ANY BREAK CLUB FOR THE SAKE OF PLAYING YOUR BALL, EXCEPT UPON THE FAIR GREEN & THAT ONLY WITHIN A CLUB’S LENGTH OF YOUR BALL.”

ボールを打つために、石・骨・壊れたクラブであっても取り除いてはならない。ただし、フェアグリーン上で、かつ1クラブレングス以内の範囲なら取り除き可能。


(5) “IF YOUR BALL COMES AMONG WATTER, OR ANY WATTERY FILTH, YOU ARE AT LIBERTY TO TAKE OUT YOUR BALL & BRINGING IT BEHIND THE HAZARD AND TEEING IT, YOU MAY PLAY IT WITH ANY CLUB AND ALLOW YOUR ADVERSARY A STROKE FOR SO GETTING OUT YOUR BALL.”

ボールが水・ぬかるみにあるとき、ピックアップしハザードの後ろにティーアップできる。どのクラブを使用してもよいが1ストロークの罰則。(相手に譲歩)


(6) “IF YOUR BALLS BE FOUND ANYWHERE TOUCHING ONE ANOTHER, YOU ARE TO LIFT THE FIRST BALL, TILL YOU PLAY THE LAST.”

2つのボールが接触していたとき、後方のボールのプレーが終わるまでボールを拾い上げておく。


(7) “AT HOLLING, YOU ARE TO PLAY YOUR BALL HONESTLY FOR THE HOLE, AND, NOT TO PLAY UPON YOUR ADVERSARY’S BALL, NOT LYING IN YOUR WAY TO THE HOLE.”

ボールをホールへ打つときは、その他プレーヤーの球を目がけて打たないこと。ホールに向かって打つこと。


(8) “IF YOU SHOULD LOSE YOUR BALL, BY ITS BEING TAKEN UP, OR ANY OTHER WAY, YOU ARE TO GO BACK TO THE SPOT, WHERE YOU STRUCK LAST & DROP ANOTHER BALL, AND ALLOW YOUR ADVERSARY A STROKE FOR THE MISFORTUNE.”

ボールを奪われたり、またその他の理由で紛失したときは、その球を最後にプレーした地点へ戻り、別のボールをドロップする。1打の罰則。(相手に譲歩)


(9) “NO MAN AT HOLLING HIS BALL, IS TO BE ALLOWED, TO MARK HIS WAY TO THE HOLE WITH HIS CLUB OR, ANYTHING ELSE.”

ボールをホールに入れるとき、クラブやその他の物でパッティングラインをマークをしてはならない。


(10) “IF A BALL BE STOPP’D BY ANY PERSON, HORSE, DOG, OR ANY THING ELSE, THE BALL SO STOP’D MUST BE PLAYED WHERE IT LYES.”

ボールが人や馬、犬、いかなる物に止めらた場合でも、あるがままの状態からプレーしなければならない。


(11) “IF YOU DRAW YOUR CLUB, IN ORDER TO STRIKE & PROCEED SO FAR IN THE STROKE, AS TO BE BRINGING DOWN YOUR CLUB; IF THEN, YOUR CLUB SHALL BREAK, IN, ANY WAY, IT IS TO BE ACCOUNTED A STROKE.”

ボールを打つためのスイング中に、クラブが破損した場合はいかなる理由でも1ストロークとする。


(12) “HE, WHOSE BALL LYES FARTHEST FROM THE HOLE IS OBLIGED TO PLAY FIRST.”

ホールから遠い順にプレーする。


(13) “NEITHER TRENCH, DITCH, OR DYKE, MADE FOR THE PRESERVATION OF THE LINKS, NOR THE SCHOLAR’S HOLES OR THE SOLDIER’S LINES, SHALL BE ACCOUNTED A HAZARD; BUT THE BALL IS TO BE TAKEN OUT/TEED/ AND PLAY’D WITH ANY IRON CLUB.”

リンクス保護のために設けられた堀・水路・土手・泥、また学者の家・兵士の列などはハザートとみなされない。罰則なしにボールを拾い上げ、ティーアップし、どんなアイアンクラブでプレーしてもよい。

当時のゴルフ場


もちろん、当時のゴルフ場とはまさに現代の牧草地のようなもので、スコットランドの沿岸部に点在していましたが、いわゆるリンクスランドと言われる土地で、海風にさらされてできたうねりが強い砂丘とも言える砂地が特徴で、海岸と内陸の間の荒れ果てた耕地のような場所でした。


イメージ

氷河期に海面下にあった土地は、下層土が砂っぽく、水はけさえ良かったものの長い雑草と低木に覆われていました。

人が芝刈りを始めるまでの400年間は、野生のウサギや羊などの草食動物がグリーンキーパーのような存在だったと言います。そしてこの動物たちこそが当時のゴルフ場の設計者と言ってもいいかもしれません。時を経て、彼らが敵から身を守るための巣穴が風にさらされ拡張し、ハザートとなり、現代のバンカーへと変化を遂げたのです。

このような自然に作られたコースには、ティーグランドもフェアウェイもグリーンもなく、数百ヤードおきに、ただ穴が空いているだけでした。この穴でさえも予測不可能で、時にはウサギが蹴ったような浅い窪み、時にはボールを取り出すことが大仕事のような深い穴までありました。

出典:The Press and Journal

とはいえ、当時のゴルフコースにはホール数の規定がなかったため、コースによりホール数は様々でした。リース・リンクスは5ホール、ノース・バーウィックは7ホール、プレストウィックは12ホール、そしてなんとモントローズは25ホールもあったんだそうです。

セントアンドリュース

出典:paul birrell, CC BY-SA 2.0,

スコットランドのセントアンドリュース、現在のザ・オールド・コースに位置する土地にて、大司教ジョン・ハミルトンはウサギのシチューの供給源になることを条件に、ウサギの巣穴の維持を名目にこの土地の権利を勅許されました。これに伴い、1,552年、大司教ジョン・ハミルトンは市民に対して、この地でゴルフやサッカーのプレーを承認しました。

The R&Aの誕生

The Royal and Ancient Golf Clubのクラブハウス
出典:Natlaff - Own work, CC BY-SA 4.0,

リース・リンクスでのクラブ誕生から遅れること10年、1,754年5月4日、スコットランドのファイフ王国の22人の貴族・軍人・地主などの上流階級の男性たちにより、毎年銀の優勝杯をかけてゴルフの腕を競うため、The Society of St. Andrews Golfers(クラブ・グループ)が創設されました。

すぐさま、エジンバラのHCEGが制定した13条のルールを取り入れ(5番と13番の変更あり)、ドレスコードも同じく明るい赤いコートを着用するよう義務付けました。

このクラブが後の1,834年に、イギリスのウィリアム4世の支援のもと、今日まで続く世界ゴルフの総本山であるThe R&A(Royal and Ancient Golf Club of St Andrews)となります。

世界最古のクラブは?

一説では、1,744年のthe Honourable Company of Edinburgh Golfersの創設前に、世界最古のゴルフクラブが存在したとも言われています。それが1,733年に創設されたthe Royal Burgess Golfing Society of Edinburghです。このR&Aの前身である、The Society of St. Andrews Golfersは実は3番目に古いクラブとも言われています。(New York Timsの記事より)


セントアンドリュースの改修

出典:PGCC

1,764年、セントアンドリュースでは初の大改修がおこなわれました。当時のオールドコースは、海岸沿いに伸びる長細い12ホールから構成されており、行きは1〜12番、帰りは10番〜1番と巡る、全22ホールが1ラウンドとされていました。ところがセントアンドリュースのゴルファー達は、最初の4ホールが短かったため、長い2ホールにしてしまおうと考えました。これにより、行きが1〜10番、帰りが8番〜1番の全18ホールへと改修されました。(後の1,840年代初めに現在のオールドコースへと改修されています。)

この初の改修工事から3〜10年の間に、現代のゴルフでも使用されているホールの大きさがスタンダートとされるようようになりました。(4と1/4インチ)


セントアンドリュースの暗黒期

そんなゴルファーに愛されるゴルフコース、セントアンドリュースですが、1797年にセントアンドリュース市が財政破綻したことを皮切りに動乱の時代を過ごすことになります。なんとリンクスは地元の商人へと売却され、うさぎを育てる養兎場へと転換されてしまいます。そしてここから「Rabbit Wars(うさぎ戦争)」の幕開けです。ゴルファーと養兎業者による、法的・物理的な戦いが20年以上に渡りこの地で繰り広げられました。そして1821年、地元の地主とストラスティラムのゴルファー、ジェームス・チーパーが土地を買い取ったことをきっかけにゴルファー側の勝利でこのうさぎ戦争は幕を閉じたのです。


女性のゴルフ進出

VICTORIANA Magazineより

女性のゴルフへの進出はどうだったのでしょうか?

19世紀、女性のスポーツはクロケットとアーチェリーと制限されていました。

1811年マッセルバーグでは初の女性のみの試合が開催されたとしています。
その後、1867年、the Royal and Ancient Golf Clubのメンバーが自分の娘たちにレクレーションの一環としてゴルフを勧めたことをきっかけに、世界で最初の女性のゴルフクラブ(グループ)がセントアンドリュースで誕生しました。このSt. Andrews Ladies’ Golf Clubは、創立から19年後の1886年には会員数が500人にも及んだんだとか。

1893年には初の公式戦である全英アマチュア女子選手権が開催されました。優勝は、長いバックスイングと男性も顔負けの圧倒的な飛距離を誇ったと言われるレディー・マーガレット・スコットです。彼女はそのまま3連覇を果たし、結婚を機に引退しました。

1948年に、St. Andrews Ladies’ Golf Clubは、the Ladies’ Putting Clubへと改名し、オールドコースの側のグリーンでプレーしていました。

ゴルファーの減少

1,800年代初期、ゴルファーの数は広まるどころか縮小していきました。

これまで集団の気晴らしとして親しまれていたスポーツが、富裕層や特権階級の娯楽になってしまったためです。

これはボールの希少価値が高まったことによる影響もあると言われています。



続く…


参考資料: 

Scottish Golf History

Did you know: The Original Rules of Golf fit on one (big) page

St. Andrews Ladies’ Golf Club

Golf in Scotland

HISTORY OF SAINT ANDREWS LINKS: THE HOME OF GOLF

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