ゴルフの歴史【Ep1】ゴルフの起源を探る
このシリーズではゴルフ史の紹介をしていきます!
ただの趣味の範疇での翻訳です。
感想や訂正等、何でもいつでもコメントお待ちしています。
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ゴルフの起源
現代でも老若男女問わず万人に愛されるスポーツ、「ゴルフ」ですが、実はその起源は定かではないと言われています。
ローマ帝国で戦士たちが、羽を丸めたものを曲がったスティックで打つ「Paganica(パガニカ)」と言われるフィールドホッケーに似たスポーツを楽しんでいました。
一説では、1,300年代中期から後期の明朝時代、中国の宮廷で親しまれていたChuiwan(捶丸)と言う競技がヨーロッパに伝わりゴルフへ発展したとも言われています。
また、同時期の1,350年にイギリスのグロスター大聖堂に入れられたステンドグラスにもゴルフのようなCambucaというスポーツの絵が描かれています。
Jeu De Mail(ジュ・デ・メル)
中世後期(1,400年代)のフランスでは上流階級の間でJeu De Mailというスポーツが親しまれていました。これはイタリアが起源で、後にビリヤード、クロケット、ゴルフに発展したとも言われています。日本史では室町時代ですね。
長い持ち手の木槌で大きな木製のボールをいかに少ないストロークで鉄の輪や穴に打ち込めるか?というゲームで、ターゲットまでの距離は880ヤードほどあったと言われています。
Pall Mall(Ball-Mallet)
後の15世紀にJeu De Mailは、イタリア、フランスからスコットランドへと広がり、Pall Mall(Ball-Mallet)としてプレーされ、17世紀にはイギリスへ伝わり、支配階級により更に広まっていきました。
特に16〜17世紀に最も盛んにプレーされたと言われていて、1,629年チャールズ1世は熱心なPall Mallerで、1000ヤードに渡る広大な聖ジェームズ宮廷でPall Mallをプレーしていたとも言われています。日本史ではちょうど江戸時代ですね。
Chole(jeu de crosse)
13〜15世紀、南フランスとベルギーで楽しまれていたクロスカントリースポーツがCholeです。(読み方はクロエではなくチョレかな?)
しかしこれはとても危険で野蛮なスポーツだったと言われています。
ゲームは現代のホッケーに類似する点が多く、チーム戦形式で、木製の卵型のボールを鉄製のクラブで打つゲームでした。ゴールは木々や門、教会のドア、目に入るもの全てと言っていいほどで、より少ない打数でターゲットに打ち込めるかを競い合いました。
Kolven
一方オランダではKolvenという、ゴルフとよく似たスポーツがプレーされていました。
当時の絵画や陶器・タイルのペイントにボールとスティックを持つ人の絵が描かれています。このKolvenは、オランダ北部で今日でもプレーされているそうです。
Colf
最も現代のゴルフに近かったスポーツは一体なんだったのでしょうか?
それは『Colf』という競技ではないかと言われています。
1,292年にはオランダにコルフコースなるものが存在していたことが明らかになっています。
4ホールで全長4,500ヤードあり、敷地内には教会や墓地、風車小屋、一般の家も含まれていました。男たちは賞品のビール樽を巡りコルフを楽しみましたが、後に、怪我や物損の補償が絶えないなどの理由からコルファーは奥地へと追放されてしまい、冬の間は氷上でコルフを楽しみました。
Colfは400年間ものあいだオランダでプレーされていましたが、不思議なことに1,700年にはパッタリと消滅してしまったと言われています。
Golf
一方で、スコットランド東部では、1650年、既にゴルフがプレーされてました。
当時、オランダとスコットランドの貿易はとても活発に行われており、両国間でコルフボールの輸出入を行なっていた記録も残っています。
スコットランドで発展したゴルフは、ティーからターゲットへの距離が短くされ、また、グリーンの巧みさが追加されました。また個々に独立してプレーし敵からの妨害をうけない形式になり、今日のゴルフに近いものへと発展しました。
当時のスコットランド人の多くがカルバン派だったこともあり、宗教的背景も大きく影響しているのではないかと言われています。カルバン派(キリスト教プロテスタントの中のカルバン派)の教えは、大罪は大罰に値する、そして大罪はいつも内からくるものであると言うもので、ゴルフに通ずるものがあると考える人が多かったようです。またカルバン派は商人の間で広まっていった宗派なので、ゴルフも同時にオランダからスコットランドへと一気に広まって行ったことが伺えます。
ゴルフの禁止令
このゴルフが誕生した初期、既にゴルフは中毒性があり危険なものとする意見もありました。
実際に、公式な書物にゴルフの存在が示されたのは、ゴルフは国家安全を脅かすためプレーを禁ずるというゴルフ禁止令の公布でした。
1,457年、スコットランドはイギリスと戦争の真っ只中でした。スコットランド王、ジェームズ2世は、兵士達が当時の最大戦力である弓矢の訓練をサボるため、ゴルフとサッカーを禁止する法令をだしたのです。
続くジェームズ3世、4世も同じくゴルフ禁止令を公布しましたが、ゴルフの人気は水面下で高まっていきました。
1502年、ジェームズ4世がイギリス王ヘンリー4世の娘と結婚したことをきっかけに、イギリスとスコットランドの争いは終幕を迎え、同時にゴルフも解禁となりました。日本でいう安土桃山時代です。
実は、ジェームズ4世自身も熱心なゴルファーであったとされていて、実際に会計記録にはゴルフ用具の購入やゴルフ賭博に関する記録が残されています。
逸話では、1567年、時のスコットランド女王マリーは夫が殺害された翌日も優雅にゴルフをプレーしていたとして、彼女が夫の殺害を企てた容疑が強まりました。その後、夫の殺害容疑で捕まっていた犯人が無実として釈放され、後にマリーと結婚したことが物議を醸し、彼女は王位から強制退位することとなりました、なんてお話もあります。
ゴルフコースの誕生
1,604年イギリス王は、ロンドン近郊のブラックヒースに7ホールのゴルフコースを建設する計画を立てます。
そして、4年後の1,608年から今日までRoyal Black Heathは世界で最も古くに建設されたゴルフ場として世界中のゴルファーに愛されています。(正式にゴルフ場として認められたのは1,766年です)
ゴルフの大衆化
17世紀、ゴルフは大衆化され、王家の承認に関わらず、庶民も楽しめる娯楽になりました。
エジンバラのリース・リンクスの筆録によると、当時ゴルフにルールは存在せず、日曜日のプレーを禁ずるなどと言った簡単なガイドラインが存在する程度で、もちろん試合や公式競技もありませんでした。
スコットランドではこのような無秩序なガイドラインの下、3世紀に渡りゴルフが楽しまれていました。
スイング理論
当時のスイング理論は、地元の名手のテクニックを真似をする傾向が強く、まずセットアップしてからスイングをすることで、変化の激しい天候にも対応できると考えられていました。
スコットランドの海岸沿いは、いつも海風が吹き荒れていたため、成功をおさめたゴルファーは、風の影響を受けないよう弾道を低くすることが勝利の秘訣だと既に気づいていました。
当時はスタンス幅を大きく取り、ターゲットの右にアライメントを向け、ボールを右に置き、膝を大き曲げ、フラットにクラブを振ることで低弾道の球を打つ打法が流行っていました。
この打法では、キャリー150yardを60cmほどの高さで打つことができるため、ベアグランドに着弾させることができれば、そこから大幅にランで飛距離を稼ぐことができたんだとか。
ゴルフが各地へ広がるほど、地元チャンピオンの数も増え、同じくしてスイングメソッドの数も増えていきました。
やがて、ゴルフの名手達はその土地1番のゴルファーを決めるため、街から街へ旅をするようになります。そして今日の私たちが知るゲームが形作られていきました。
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参考:
THE STROY OF GOLF written by GEORGE PEPER
Medieval French Chole (Golf)
Golf Information.info
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