幼なじみとの会話

ちょうど1週間前、
緊急事態宣言が解除されてから初めて”友達”に会った。

彼女とは小学1年生の頃からの付き合いだから
20年弱の付き合いになるかな。
いやはや、数字にするとその年月に驚く。

数ヶ月に一度、
何か共通の用事で買い物に出たり、ストレス発散と称して何時間もカラオケに閉じこもったり。
そしてその道中で色んなことをしゃべる。

今回は小学校の同級生の結婚式に向けて、マナー難しいね、なんて言いながら2人で街中をぶらぶらした。

「最近どう?」
「まぁ、ぼちぼち。」
みたいな会話から始まり、

新しく買ったスカーフの話、
自粛期間中に料理ができるようになった話、
共通の友人についての話、
など、とりとめのない話をする。

1番おもしろかったのは、
小学校の時の、私の裁縫ド下手エピソードを思い出して2人とも笑いが止まらなくなったこと。

小学5年生だったか、
林間学習に持っていくナップザックをミシンで手作りする課題があったのだけれど、
私のものだけ異様に細く仕上がってしまったという。

一通りキャハキャハ笑った彼女は、
「そういうとこあるよね。でも可愛いからいいやん。私も不器用に生まれたかった」
と少し困ったように笑い、

「でも不器用な人ほんまに嫌い(笑)見ててイライラするし結局全部自分でやってしまう!(笑)」
と屈託なく口にする。

私は彼女のそういうところが好きだ。
いつも自分に正直で、言葉に嘘がない。

全然知らない人から言われたらグサグサ傷付いているのかもしれないけれど、
彼女との場合は、そうやって互いの長所短所を知り尽くし(そしてそれがまた真逆で)、その上で認め合っている実感があるからなのか、安心感さえ感じられる。

(もちろん彼女の心の大きさや人柄にも幾度となく救われているが)

きっと、短所は短所で受け止めてくれればそれだけで良いのだ。
長所で上書きして見てほしいわけではなくて、短所も含めてまるまるの私なのだから。

「仕事辞めたいと思ったことある?」
社会人3年目になるとそういう話題にもなる。

「認められる環境って大事だよね」
とか、

「でも、これから先の将来の夢ってあんまりイメージできていないかも」
とか。

書いてみると少し長くなりすぎたから、これはまた今度まとめるとして(今回の記事も下書きから大分と削ったのだけど)

「人間誰にでも、”思い出の人”っているんだろうね。」
とか、

「別れない=結婚なのか」
とか。

過去の出来事も、
現在の考え事も、
未来への不安も。

心が溶けていくのと同じスピードで、程よく、少しずつ話せるのがとても心地良くて、

また、

同じ時の流れを、時には分かち合いながら、
時にはそれぞれで色々と感じながら生きているという事実が心強くて、

言葉にはできないけれど
もう全てが尊くて、愛しくて、仕方がなかった。

友達って多分色々な形があって、
歳を重ねるごとにその形が変わったり、変わらなかったりするんだろうけど、
きっとどれもはなまるで。

形が変わるのが自分や相手の成長ゆえだったらそれは少し淋しいけれど、

SNSの普及によって、無意識下で友人関係の取捨選択さえできてしまえそうな時代だからこそ、

今大切にしたいと思える関係は、そう思える限りずっと大切にしていきたい。

ひとつ、Wikipediaの友情ページが優しかったのでご紹介。

《友情(ゆうじょう)は、共感や信頼の情を抱き合って互いを肯定し合う人間関係、もしくはそういった感情のこと。》

お時間あれば是非読んでみてくださいね。

〜今日はここまで。読んでくださりありがとうございました〜


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