Chat-GPT論争から過ぎゆく時代を振り返ってみる
いつも読んで頂きありがとうございます。
Amuletの迫頭です。
毎朝新聞を読んでいる私ですが、最近はChat-GPTというワードを目にしない日はありません。
メディアが話題に取り上げた昨年11月あたりは「すごいね」の一辺倒でしたが、ここ最近では利用を巡っての論争が繰り広げられています。
特に教育の分野では様々なコメントが出ています。
積極的に利用する、あるいは禁止といった両極端な意見があり、言い分としてはどちらも間違いではないと思います。
ただこの一連のやり取りを見ていて、過去にインターネットが広がった20年以上前のことを思い出しました。
当時私が大学生くらいで、ちょうどWin98が爆発的に普及し、利用が拡大していった時期でした。
この当時も両極端の意見がありました。インターネットで調べるより図書館で調べろという意見と、広く積極的に使って知見を深めるという意見。
ウェブからの情報には誤情報が混じっていたり、玉石混交な情報を危惧してとの意見と、一方それも含めて判断することが重要という意見。
Chat-GPTの利用論争と、ほぼ同じ構図です。
20年経って利用するツールが変化しても、意見が酷似していることに気付かされます。
要するにツールが進化しても、本質は何も変わらないわけです。
Chat-GPTをより正確に、より有効的に利用するにはプロンプトが欠かせません。
当時のウェブでの検索では、どのようなワードで検索するかというセンスが必要でした。
「ググる」が定着した今となっては、禁止するという議論は起こりませんので、おそらくこのChat-GPTについても同じような流れになるのだと思います。
いつの時代も想像を超えたツールには様々な意見が飛び交います。
そしてそれが定着すると、そんな論争があったこと自体を懐かしく思うのです。
おじさんになると最新のツールについていくのも必死ですが、こうやって過ぎゆく時代を振り返られるのは味わい深く、楽しいなと思った今日この頃でした。
さ〜次は一体何が出てくるのか、ワクワクしてこの文章を書いています。
あっ!ちなみにこの文章はChat-GPTを利用しておりませんw
また来週お目にかかりたく思います。
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