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田舎はいいぞ〜

 都会に時々行くと、人間が創り出した構造物や多数の人の中の1人となる。それに慣れていくと人や人が生み出した構造物以外の自然、例えば虫や植物、天気など、人のコントロール外のモノやコトを毛嫌いするようになる。見えにくくなるといった方がいいかも。個人的にはよくそういう感覚に陥る。   
 更に都市化が進み、人とその他の動植物が離別していく。精神的にも物理的にも。だけど、魚や動物を見たい人は一定数いる。大体は水族館や動物園で、アフリカや太平洋に出る人は殆どいない。それらは全て人間が創り出した構造物。ビジネス対象である。価値提供と価値取得欲のwin-winの関係性が成り立っているように見える。檻に入れられた動物に対して何とも思わないのだろうか?それは本当の価値だろうか?
 欲深い人間は欲を満たせば新たな欲を欲する。企業はESG投資とかいう言葉を使ってるが、そもそも企業を維持するうちは環境破壊は進んでいく。人間は地球が本来持つバランスを崩している。田舎住みだから感覚的に分かっている(つもりかもしれない)が、都会の人は10年ほど田舎に来てみると、何かが変わるのではないか。
 朝はキジバトやウグイスが鳴き、昼は、特に夏はミンミンゼミが耳をつんざくような音(笑)で鳴き、少し外に出れば、自生の竹がある。竹をしっかりグラブしたことはあるか?物凄く逞しいものを感じたぞ。夕方になるとカラスが鳴き始め、夜になるにつれてコオロギが鳴き始める。もちろん家にはゴキブリや蜘蛛が出ることは日常。最近は減ったがムカデは水回りによく居た。庭にはトカゲの家族がいる。朝の水まきでヒョロヒョロヒョロ〜と突然現れる。そんな自然が沢山ある。それでも15年程前、小学生の時に遊んでいた、1ヘクタールほどの空き地は全て道路と住宅と化して、外で子供の姿を見かけることは殆どなくなった。噂では家でゲームをすることが多いらしい。
 そもそも自然との共存という言葉があること自体がおかしい事に気がつくべきだ。共存することは当たり前だろ。いちいち頭で考えることではないはずだ。簡単に食や寝床が手に入るのは人間の知恵によるところもあるが根深い欲望でもある。結果、共存することを「心」が忘れ「頭」で再考するようになったと考えている。
これ以降の時代は、もう一度、「人は自然の一部であり何も特権を持たない存在であること」を「心」で感じる時が来て欲しい。

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