見出し画像

自分の子どもはどうだろう。公教育について考えてみた。

公教育はどうあるべきなのでしょう。
「日本の教育はダメだ」、と僕の周辺では度々聞かれるけれど、理想はどんな姿なのでしょう。

「自分に子どもがいたとしたら」
そんな視点で考えてみました。

成人する前に子どもに養って欲しいことは、

1. 得意・好きを見つけること
2. 自分の意見を考える癖がついていること
3. 読み書きそろばん・コミュニケーション
4. (可能であれば)勉強が楽しいと気づくこと


まとめて、知識・対人関係・意欲という3つの柱に大別できそうです。


まず前提として今の制度では、起きている時間の半分程度は”学校”で過ごすことになります。
同じ”学年”で括られ、授業の進行は苦手な人に合わせる場合が多いと思います(年齢や学校にもよる)。

特に都会では勉強を頑張りたい人は塾に行き、部活も遅くまで頑張るのが正しいとされていました。
公教育としては正解を当てる詰め込み型教育の側面がまだ強く、教師は teacherであってcoachやfacilitatorではありません。

現状の公教育では知識に重点を置いており、必要な知識は私の中では十分。
小学校レベル、多目にみても中学校で事足ります。

対人関係も最低限は学校の集団生活でカバーできると捉えてもいいかもしれません。ADHDやASD等の発達障害に関する対応が弱い(より正確に言えば担任ガチャ)・生徒の自主性があまり認められていないなど負の影響もありそうですが、最低限は超えているでしょう。

圧倒的に足りていないと感じるのが、意欲。
evidenceのない”型通り”に固執していて、個人の特性とか創造性はあまり考慮されていない印象です。得意を伸ばす<苦手でも頑張る といった空気や、みんなと同じことを求める圧力。とても、自分の意欲を伸ばす環境ではありません。


初めに私が挙げた「子どもに養って欲しいこと」を改めてみると、日本の教育にはあまりマッチしていないようです。学校以外で育むという選択肢も大事なのですが、意欲面に関して、学校でむしろマイナス影響を被りそうです。

今の時代では、知識に関しては学校に行く必要は年齢が上がるほど必要ありません。youtubeやスタディサプリ等の動画教材で、学校よりわかりやすく、しかも個別最適で学ぶことができます。
30人集めて黒板で講義なんて、残念ながらナンセンスです。

集団生活や医療・保健(成長や虐待のスクリーニングなど)の側面で、学校は必要だと思っています。
必要ですが、集団生活や最低限の読み書き算盤に重点を置いた、もっとミニマムな学校が最適だと考えます。


意欲に関しては、伸ばすことが学校で出来るのであれば学校で、難しければ放課後に外注した方が上手くいきます。
必須の知識以外は、課外活動も含めた多くのパッケージの中からやりたいことを選んでもらう形がベターではないでしょうか。「選んでいる」という主体性があるので、やらされるより効率も上がります。
そのようなプログラムを提供できる/したい企業や団体もすぐ集まると思います。


大人が多く関わると性被害などのリスクが上がると思われますが、教員の性犯罪に関する規制もガバガバなのでどっちもどっちです。

どちらにせよ、子どもに関わる大人の選定は必要だと思われます。



まとめ

日本の教育は、意欲を伸ばすのが苦手
→ 意欲を伸ばす方にシフトするか、ちゃんと外注する(その分、学校の時間は減らす)

これが出来ないようであれば、自分の子どもに関して海外なのかなーと思ってます。


教育分野の知識を学んでない状態での雑感を書いてみました。
ディスカッションできれば楽しそう。

的外れなことも多々あると思うので、教育分野の考え方とかevidenceを学んでまた考えようと思います。

おすすめあれば教えてください!



こういうのやってます。


スキ, フォローしてくれると、とっても嬉しいです。 シェアも大歓迎です。