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good bye,baby



「引越しするんだよね、俺」

ふーん、とハゲたネイルを塗り直しながら、短く返事する。相手の顔は見ていない。真っ黒なネイルカラーが爪の上で鈍く光っているのを、ただ見つめていた。顔なんて、見れなかった。


「どこ引っ越すの?」

ようやく視線を向けた頃、その人はスマホをいじっていて、いつものことだというのに、酷く距離を感じてしまう。同じ沿線上にない駅名にある新居は、今の家よりさらに広いらしい。

それって新しい女ができたから?とか、真剣に付き合う女ができたから?とか、嫌なことばかりが頭の中で浮かんでは消えてを繰り返す。それを聞けない私は、結局好きになってしまっていた。割り切った関係だなんて言いながら、週1で会うこの関係にどっぷりハマってしまっていた。

「私が自転車買わない限り、会えなくなるね」


茶化してそう言ったのは、否定して欲しい気持ちが半分と、相手の反応が知りたかったのが半分。私たちの関係は、ただ徒歩圏内だからだったのかなんて、信じたくないけれど教えてほしかった。それだけの理由で会っていたとは思いたくなかった。微かな希望を信じたかった。

「いや、買えよ」

ケラケラと笑うその人は、私の髪を指先に絡ませて遊び、そのまま耳に触れる。耳たぶから顎先までの輪郭をなぞる指先が、唇をスルリと撫ぜて、止まる。

「寂しいの?」

答えを言わせようと唇をなぞる指先に噛みついた。少し上から見下ろす様な形で、瞳の奥にある私の心の中を覗き込まれているような気がした。私の弱さを見抜かれているのが悔しくて堪らない。寂しい。なんで遠くにいってしまうの、と、そう言えたら可愛げがあったのか。もう遠くにいったら会うことなくなるんでしょ、そんな不貞腐れた言葉しか出てこない私を、その人は、まるで分かっていたかのように小さく笑う。

「会いに来るよ。だからお前も来いよ」

両手にタトゥーが入っていて、見た目は完全に年下とは思えない貫禄があるくせに、意外と甘いものが好きで、どこか子どもみたいな表情をする、そんなところが好きだった。



きっと私たちは、
もう会うことはなくなるだろう。

分かっていた。最初から。
悲しいことに、この夜が1番良かったなんて死んでも言わない。



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