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開成を蹴って慶應に入った話。━━━京大多浪交流会創設者の受験失敗記part1 高校受験編

 中学時代、私はとにかく自信がなかった。自分は本当になんの取り柄もないつまらない人間なんじゃないだろうかと不安だった。でも、人一倍自己顕示欲は高く、理想と現実のギャップに苦しんでいた。そんな自分をどうにかする手段が受験だった。これは、勉強に人生を愚弄された不器用人間のノンフィクション泥臭青春ストーリー。

高校受験決断

 私の親はちょっと不思議な人(婉曲)だったため私は私立小学校入試をし、小中高大一貫の学園に入っていた。成蹊というところだ。また別の記事にするが、私は私立小学校が嫌いだった。空気感が合わない。しかし、入ってしまったからには進学せねばならない。私は中学校まで成蹊に進むことになった。

 中学生というと多感な時期だ。私はあまり社交的な人間ではなく中学では浮いていた。とにかく自己肯定感がなかった。クラスには、喋りが面白い人・スポーツが得意な人・面白い趣味を持ってる人などがいたが、私はといえば休み時間は窓の外をぼーっと眺めているだけの人間だった。私は特別になりたかった。

 勉強はどちらかというと得意だった。中学校入学前の春休みに兄のお下がりの中学英文法の本を見つけてほぼほぼ全範囲マスターするくらいには賢かった。でも、せいぜい凡人の域を脱してないんだろうなと思っていた。私立にいると世の中の平均が分からないのだ。

 そんな折、早稲田アカデミーに出会った。ちょっと入塾テストを受けてみることにした。そして私は自分が賢いことを知った。このつまらない人生を打破する希望の光が見えたような気がした。成蹊という親の敷いたレールは放棄することにした。

環境

 私の周りには高学歴がいない。父親は明治大学、母親は短大卒だ。幸い教育にお金はたくさんかけてくれる家だったが、勉強に関する情報に乏しかった。特に母親は変なところから「〇〇塾にみんな行ってる」だとか怪しい情報を仕入れて私に教え込む癖があった。今、周りの東大生や京大生を見てみると、家族に高学歴がいる人が多い。実際、後述する私の後悔は高学歴なメンターの的確なアドバイスがあれば避けられたはずだった。

 私は塾漬けだった。今思えば、塾の数を絞って効率的に勉強することができたはずだ。情報がなかったんだから仕方がない。かつて外苑前にあった青山数学教室や渋谷にあるZENITHに通っていた。たしかに、これらの塾は有益だったが、今塾講師をやっているともっと良い教育があったはずだと考えている。これもまた別の記事にするかもしれない。

 最終的には早稲田アカデミー一本になった。SK1という一番上のクラスになった。中三になると日曜日にお茶の水で特別授業があるのだが、そこでは開成・筑駒向けのクラスであるTKというクラスに配属された。これは早稲田アカデミーの上位30人くらいを寄せ集めたクラスらしい。

スポ根的受験勉強

 早稲田アカデミーはスポ根みたいな受験勉強をするところだ。あのときは本当に頑張ったと思う。中3の夏休みは一日10時間くらい勉強してたかもしれない。

 メンタルは良くなかった。学校は馴染めないし、塾でストレスを受けるのだ。それでも、生きがいを感じていた。自分が「特別な人間である」という傲慢な勘違いが私を救ってくれた。

 余談だが、早稲田アカデミー時代の友人3, 4人とは進路もだいぶ別々なのに10年経った今でも付き合いがある。(1人だけ音信普通になっているがいつかまた会えると信じている)

のちのち呪いになる開成模試

 私はコンスタントに駿台模試上位100人とかに入っていた。特に中3の正月に行われた開成模試は私の自信になった。のちに、3年後私を学歴厨にする呪いになるのだが。


開成高校合格

 受かった。感動した。蹴った。

慶應義塾高校入学

 私は慶應義塾高校に進学した。当時私は「開成はガリ勉ばかりで格好悪い」「慶應は格好いい」という偏見を持っていたためだ。実際には開成高校は頭いいし自由だしめちゃめちゃカッコいいことを今は知っている。一方で慶應はただただ金持ってるだけの面白みもない生徒を大量に集めただけの学校だ。

 筑駒は受けていない。受験日が慶應と被っているからだ。昔は筑駒もいいなと思っていたが、卒業した友達の話を聞くとちょっと微妙かなと思う。

 なぜ、このような意思決定になってしまったのか。これはひとえに周りに私の進路選択を止めてくれる人がいなかったことにある。母親も「開成行って勉強でつまづいて苦労する可能性」について示唆してきたりしたのもある。もちろん、小学校受験のときとは違って最終決定を下したのは他でもない私だ。後悔している。

10年後からの反省

 いいから黙って偏差値高い高校に行けよ。情報がないのであればちゃんと卒業生とかから話を聞くべきだった。学校の説明会くらいしか参考にしていなかったのはこの情報化社会をなめていたとしか言いようがない。

 もし、開成に行っていれば大学受験で学歴に固執して苦労することはなかったかもしれない。あるいは、開成のカリキュラムや空気感で生きていれば現役で東大に行けたかもしれない。

 これが、私の最初のジョンバール分岐点である。次回、競技クイズで高校生活の全てを失う話(追記:やっぱこれはpart1.5にします。まだ書いてない)。乞うご期待。

part2書きました→https://note.com/__tatsuya__/n/nba92d97dd30d

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