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「エモい」の歴史を辿れ!#1

「エモい」とは

「エモい」
「感情に訴えかけて来るものがある」「心が動かされるようだ」「情緒を感じる」「趣がある」「グッとくる」というような説明しがたい感慨を述べる表現である。「エモい」は英語の emotional(エモーショナル)に由来する省略表現である。……「エモい」という表現の起源は、おおむね1990年代~2000年代の、音楽シーンにあるといえる。当時は「エモ」(emo)と呼ばれる音楽ジャンルに連なる曲風であることを「エモい」と表現していた。……
実用日本語表現辞典

とのこと。今までいくつか「エモい」の説明を目にしてきましたが、個人的には実用日本語表現辞典のこの説明がしっかりしていて、私の実体験とも合致していて、一番私の感覚と近いなと感じました。

実体験に合致していると書きましたが、私は世間一般で「エモい」が使われるようになる数年前から「エモい」を使っていました。では、それはどこで使っていたのか?

そう!音楽シーンです!

私は中学2年生のころからバンドにはまって今もずっと好きなのですが、私にはいわゆる音楽垢、バンド垢のような音楽好きな人と繋がっているTwitterアカウントがありました。そこで、話すのは当然音楽、もっぱらバンドのことなんですが、そこでよく「エモい」という言葉をバンドや曲に対して使っていました。

エモやスクリーモ(スクリーム+エモ)、ピコリーモ(ピコピコ+スクリーム+エモ)などジャンルのバンドを聞いて、「ブルエンの新曲エモいな」などとフォロワーと語っていたわけです。

「エモい」のギャップ

そうして気が付けば年月が流れ、自分の身の回りの人たちも「エモい」を普通に使うようになり、「エモい」のは音楽だけではなくなり、写真、映画、状況などさまざまなものが「エモい」と表現されるようになりました。すごいですよね。偶然にも新しい概念と言葉が広がる一部を見届けられたわけです。

私自身いろいろなものに対して「エモい」という表現を使います。友達が言う「エモい」ものに共感することも多々あります。しかし、「これってエモいのかな?」と他人がいう「エモい」に違和感を抱くことが増えたのです。

私はこの違和感の原因は私の「音楽シーンで使用されてきた狭い意味でのエモい」と他人の「一般的に使用されるにつれて意味や対象が拡張されたエモい」にギャップがあるからではないのかと考えています。
なんでそう考えるかというと、同じような音楽を聴いてきた音楽が好きな知り合いが話す「エモい」にはあまり違和感を抱かないからです。同じ「エモい」を共有してきたからズレが少ないのだと思います。

ここまで考えて私は思いました。音楽の「エモい」から出発して、「エモい」はどんな道筋をたどり、今現在さまざまなものに「エモい」と表すようになったのか知りたいと。そしてそれを知ることができれば、私は「エモい」に違和感を感じるたびにモヤモヤしなくてすむはずです。

誤解がないように言っておくと、「エモい」の定義はこれが正しい、あれが間違っている、なんて言うつもりは一切ありません。私の「エモい」があって、あなたの「エモい」があっていいじゃないですか。人それぞれの「エモい」があっていいんです。

ただ「感情に訴えかけて来るものがある」「心が動かされるようだ」「情緒を感じる」「趣がある」「グッとくる」ものすべてに「エモい」が使えるわけじゃないと思うんです。
例えば「趣きがある」と似たような意味だとしたら、個人的な感覚としては「夏の日の祖母の家の縁側に吊るされた縁側」は趣きがあるけれど、あまりエモくなくて、「高校生二人が夕方制服のままブランコに乗って語らう公園」は趣きもあるけどどちらかというと「エモい」という言葉のほうが似合います。なにかしらの制限がそこにはあると思います。
「エモい」を知り使い始めた時期による「エモい」の使用制限の違いは何なのか、
探っていきたいと思います。

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こちらは「文章を読んだとき」に感じる「エモさ」についてですが、個人的にとても納得がいく部分が多かったです。ぜひ読んでみてください。

私は、ひとつ仮説を持っている。
決して同じ体験をしたわけではないけれど、映像が頭に浮かび、追体験したような気分になる。この時、人は文章にエモさを感じるのではないか?

こちらのサイトは、「エモい」の起源、さらには音楽シーンを遡り「エモ」の起源について書かれています。

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