見出し画像

到底論文にはできない卒論不要学部卒のわたしによる村上春樹と島本理生、二人の作品に見る夫婦関係について

どちらかが不倫をした夫婦がその関係を立て直すとき、許しを乞うのはどちらなのだろう。

どう思いますか?どっちだと思います??


国境の南、太陽の西 / 村上春樹

を最近、と言っても1ヶ月半前くらいに読みました!


本や映画の趣味が合うとても頭が良くて頭の使い方が上手な知人の影響で、ずっと挑戦してみたいなと思いつつも、「それはわたしが足を踏み入れるには、既にいささか完成しすぎてしまっていた」という印象があった村上春樹作品デビューしたのが、昨年末のこと。

まだ読んだ作品数も10に届かないくらいの新参者ではあるのだけれど、すば抜けて好きだなと思ったのがこの「国境の南、太陽の西」。

ノルウェイの森とか、騎士団長殺しとか有名どころは知ってたけど、これに関しては名前すら聞いたことなかったので、「これなんかはわたしが好きだと思うよ」と言って、勧めてくれたその知人には感謝しかないですね。

画像1


読んでどうだったか、ここの部分の理解はこうなのか、みたいなとりとめもない話をするわたしに、いつも付き合ってくれるので毎度話しすぎてしまうんだけど、安定に話しすぎているうちに、わたしが「こういう表現Redでもあったと思うんですけど、好きなんですよね〜」と言ったら、ふと彼が「もしかしたらこれとRedには共通するところが意外と多いのかもしれないね」と言ってきたので、こんな話を書くことになりました(笑)

Redというのは、わたしの代名詞(自称)である Red/島本理生 のことなのだけど、年に2〜3回はこれを読み、映画も2回劇場に足を運んだ上で酷評し、全国の劇場の出口で原作配りたい!自費でいいから!と原作を推し続けるわたしのキチガイじみた熱量に押されて(というか押して)、彼も過去に読んでくれていたのです。


わたしたちが挙げた共通項は6つ。

・既婚者自身の不倫
・相手は今は独身
・相手はぽっと出ではなく過去にルーツのある人物
・最後はなんだかんだ家庭に戻る
・片方が健康体ではない
・帰れなくなる石川


それぞれの詳細は、まあ読めばわかるので割愛するとして、似通った点が多い中で決定的に違うふたつのこと。

・不倫をする主人公の性別
・家庭に戻るときに謝る方


と、ここで冒頭に戻るわけです。

どちらかが不倫をした夫婦がその関係を立て直すとき、
許しを乞うのはどちらなのだろう。


「国境の南、太陽の西 / 村上春樹」では、

夫の方が不倫をして、このまま帰れなくなって妻にバレてしまえばいいとかなんとか言いながらも、結局は妻の元に戻る。このときの妻の言葉がまたいい。「資格というのは、あなたがこれから作っていくものよ」なんていうの。なんて出来た女。

不倫を許す妻が「出来た女」なのではなくて、この言葉が出てくることに対して敬意を込めて「出来た女」だなと思う。そして、この夫婦は「どちらかが不倫をした夫婦がその関係を立て直すとき」の典型な気もする。立て直すか立て直さないかという問題はあるけれど、それはここでは関係ないので置いておく。

対する「Red / 島本理生」では、

妻の方が不倫をして、バレたら困るのは自分なのに気づかない夫に腹を立てたりしつつも、結局は不倫相手なしにも夫を捨てて、夫の方から戻ってくるよう迫らせた上で譲らないところは譲らずして夫の元に戻る。

不倫して、夫にも姑にも限りなく黒に近くばれかけた挙句、娘は連れて夫を捨てる妻、そして夫を捨てた生活の中に不倫相手はない。Redだけ読んでいると、なんか特に違和感を感じないというか、普通にストーリーとして摂取してしまうんだけど、これ、異常では?


個人的な観測として、「国境の南、太陽の西」は、不倫の起点が島本さん(不倫相手)に対する僕(夫)の感情にあるけれど、「Red」は、相手が偶然再開した『元恋人』の鞍田さん(不倫相手)だっただけで不倫の起点は真くん(夫)の不足や彼への不満にあったことが大きな差なのでは、と思う。

そして、不用意に主語を大きくするのは好きではないけれど、なんとなく世の中の不倫の大方がこれに当てはまるような気がしなくもない。

不倫を詫びて家庭に戻る夫ってなんかわかるけど、不倫を詫びて家庭に戻りたがる妻って、ちょっとそんなに数多くはいなさそうな気がしない…?


もちろん言うまでもなく、人は十人十色で、人と人が夫婦になるわけだから夫婦は千差万別。不倫に至る夫婦には、その夫婦なりの事情があるし、我らが宇垣様の言葉で言えば「人には人の地獄がある」。

事情なり地獄があるからと言って、不倫をしていい理由にはならないけれど、「する側」が絶対に悪いとも、「される側」にも問題があるとも言い切れない理由は、これなのかもしれないな、なんてことを考えた。


この話、いろんな人の見解を聞きたいのに、なかなか村上春樹と島本理生の読者層って被らないよね。わたしも彼と知り合わなければ、国境の南は読まなかっただろうし、彼もわたしと知り合わなければ、そしてわたしがキチガイRed狂じゃなければーそんなことはもちろんないわけだがーRedは読まなかっただろうし。

そう思うと、一人でできてしまう“読書”と言う趣味ではあるけれど、人との会話によってその体験が何倍も濃度を増すこともあるし、なんかそういうのって一人じゃなくて社会に生きてる醍醐味だなと思ったりもしました!


この2作、共通項が多いねって話になったときに、その頭が良くて頭の使い方が上手な彼が「文学部だったらこの議題で論文が書けそう」と言ってたけれど、卒論不要学部卒のわたしが書いたらこんなことになってしまいました。

村上春樹で卒論を書いたらしい彼には、とても読ませられません。

絶対見つからないと思うけれど、見つからないといいな。笑

この記事が参加している募集

#読書感想文

188,902件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?