そら

「どちらかといえば」の人生で本当に良いの?

『物事を深く考えすぎる傾向がある』
「その物事の重要さによって変わるなあ……。うーん、どちらかといえば当てはまらない、かな」

『休日には活動的にすごす』
「体調と天気によるわ! どちらかといえば……当てはまる」

こんな調子でパソコンに向かい始めて、早10分。あと5分以内に残りの質問に答えないと。
現在大学4回生の人には、一体この作業が何なのか分かるはず。(記憶に新しいですよね)就職活動の選考として行われる〝性格適性検査〟だ。
上に挙げたような質問が約100問あり、10分〜15分以内に全て答えなければならない。企業はこの検査を通して、企業風土に合っているか・仕事の適性があるか・嘘をつかない素直な子か……などを判断し、就活生に合否をつける。

「こんな検査、念のために実施しているだけでほとんど選考に関係ないでしょ!」と思う方もいるだろう。
しかし、侮ることなかれ。私は性格適性で落ちたことがある。
それも、約1時間半に渡る面接を通過した後に。

1時間半、面と向かって話して得た私の印象 << たった10分のweb診断
というわけだ。悲しいことに。

何が言いたいかというと、それほど就活において
「企業の雰囲気と性格が合っているか」「一貫性のある考えを持っているか」が重要視されているということだ。

私は性格適性検査が本当に苦手だ。
だって、今までずっと「どちらかといえば」で生きてきたから。

「どっちが良い?」と聞かれても、「これが良い」と言い切ることができない。「どちらかといえば、こっちかな」とか「どっちでも良いよ」「なんでも良いよ」としか答えることができない。
自分の意見を正直に伝えることが怖い。人から嫌われることを極端に恐れているから。

嫌われないように、空気を読んで、周りにいる人のタイプを考えた上でそこに合った役割を探してきた。
「家族」「恋人」「中学の友達」「高校の友達」「大学の友達」「サークルの友達」「アルバイト先」
おそらく、周りの状況によって少しずつキャラが変わっている。
ほぼ無意識に周りに合わせている。
まるで、楽器の音をチューニングするみたいに。
ある和音を奏でる時、私の音は少し低い音程で吹いた方が良い響きになるかな、みたいな感じ。

「誰とでも上手くやっていける人やな」
「お前のこと嫌う人はおらんと思う」
「ちゃんと話を聞いてくれるよね」

そんな風に周りから言ってもらえることが多い。きっと褒めてくれているのだと思う。嬉しい……嬉しいはず、なのに
純粋に喜ぶことができない。

誰とでも上手くやっていけて、人と衝突することが無い。
そんな〝差し障りのない人〟に私は本当になりたかったのだろうか?

誰とでも上手くやれているのではなく、衝突する前に逃げているだけ。
猛烈に嫌われることもなければ、好かれることもない。
自分の考えを伝えて否定されるのが怖いから、ただ相手の話を聞くことしか出来ないだけ。

そうやって周りの目を伺って、「どちらかといえば」で生きてきた結果が(適性検査)不合格というわけだ。

それなら、もういいや、と。
誰かに嫌われても、「それは違うんじゃない?」と否定されたとしても、私の好きなもの・ひと・考え、わたしという人間を、伝えていこうと。
正直、こんな風に書いた文章を公開することもとても怖いけれど。

「どちらでもない」の人生よりも、
「私はこれ」と言い切れる人生のほうがきっと楽しいと思うから。


ということで、note、始めてみます。


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