ぱんだの成長記録①(~学生時代)

迷子だから、色々とりあえず思い出す
自己紹介すらかける気がしないから

☆~3才

・ぱんだは小さい頃静かでどこにいるのかわからない子どもだった。
・家族で車に乗っていて一人っ子のぱんだは後ろに座っていて、急に前で運転してる親が振りかえる「よかった!乗ってるよね!」って

・よく吐く子どもだった、上手だった
・自家中毒だった
・体調悪いのは言うと親が自分を攻めてしまうから限界まで言えなかった

☆幼稚園

・初めての行事などほとんど体調不良で参加できず、たぶん吐いていた
・お泊まり会はすごく不安だった
・眼科検診の日、友達に「目を一回取って検査するんだよ」って言われて本気で怖かった
・おえかきちょう真っ白
・父親が出ていき、父の日のお父さんの顔書けないとわがままを言う

・与えられた環境で楽しんで生きていこうと思う
・父親出ていったのは自分のせいだと思う(母親と出会っていなければ自分は生まれていない。存在全否定されるより、自分のせいのが楽だと思っていた)

・友達に誘われ3才から公文に通う

☆小学生

・1年生前半、椅子に座っていられない子ども
・担任をあだ名で呼ぶ
・学校大好きになる
・作文、絵は書けない
・「なんで24時間笑ってるの?」と言われる。笑っていれば楽しくなると思っていた

・小学校にクーラーがないことが嫌で、親に「なんで学校にはクーラーがないの?」と聞いたら「私立に行けばあるよ!」と言われ中学受験を決めた小4の夏
・勉強は塾に行ってる時だけ。自分ではできない
・算数、理科はそれでも大丈夫だったが、国語と社会がボロボロ。理科の先生に「社会勉強して!」って言われたけど、2科目受験にする

・父親戻ってくるが、またいなくなる。

☆中学、高校

・私立の女子校
・途中からは入部できないテニス活にはいった。クーラー求めて受験したのに、夏休みはずっと校庭の矛盾。テニスは全く上手くならない
・数字は好きだった。中1の前半で数学のノートをとらなくなる。黒板ガン見で理解
・数学以外の科目はノート取るけど、追い付けないこともあった。もちろん内容は頭に入っていない
・移動教室、合宿苦手。食べられない、寝られないで1日1キロペースで体重減って帰る
・高校の修学旅行で笑いすぎて過呼吸になる。これが過呼吸の始まり

・中3の頃親が離婚、高2で再婚。小、中、高と卒業証書の名前が違う
(名前なんて自分を読んでることがわかればいいと特に気にしていなかった)

☆大学

・家から通える数学科をひたすら受験したら、合格したの女子大だった。女子校10年
・知的障害をもつ子どもと遊ぶサークルに入る。毎週基本休まず参加。子ども以上に全力で一緒に遊ぶ。ここで考えること、考えを伝えることを少し身につける
・単位落としまくり4年生頑張る。教職は「教師論」3回単位落として実習行けず諦める

・自分が中学3から通っていた個別指導塾で教える側になる(数学のみ)
・障害児の放課後デイでバイト。ここでも、子どもと楽しく遊ぶ

☆専門学校

・大学生の頃、教職諦めたときに就活し、塾と介護で内定もらう。介護の道に進もうと決め、ヘルパー2級受講。そこでこんなんでできるの?と思い、講師で来ていた先生に「どこの先生?」と聞きに行き入学。介護福祉士の専門学校通い、社会福祉士の通信ダブル
・介護福祉士は卒業と同じに取得。社会福祉士は受験資格のみ取得
(社会福祉士はいまだに不合格のまま、毎回あと3~4点で落ちる)

勉強はしないけど、学校は好きだった

友達もいた
「そのままでいいよ」と言ってくれる
「そのままでいてね」と言ってくれる

この頃は気づかなかったけど
学生の間は守られていた

苦手なこと、沢山あったけど
環境がとてもよかったと思う

困ることはあまりなかった

幸せだった