♯1 わたしと潰瘍性大腸炎について

今朝もあったかいそうめんを食べた。ほぼ汁なし(理由は薬をめっちゃ飲むから汁っけを取ると薬と水を入れるスペースがなくなる)

どこかの誰かはお粥かもしれないし、パンをもそもそとちぎって食べたかもしれない。‥もしかしたらうどんかもしれんな!なんにせよ、食べただけ偉い。


そんなスーパーハイパー超絶偉い朝を過ごしたわたし。

♯0で【潰瘍性大腸炎】ということを話した。

じゃあざっくりと潰瘍性大腸炎ってどんな病気なの?って調べると割と分かりやすくは出てくるけど専門用語も含まれるし実際に自分がそうじゃないと読み飛ばしちゃいがちで良くわからない気がする。

ので、ここではこれからの日記で出てくるわたしについてと、この日記に出てくるであろうざっくりした人物相関図と、わたしのスタンド(守護はしてくれない)である潰瘍性大腸炎というヤツがどんな感じのヤツなのかをざっと話そうと思う。かなり長いページになる!


難しい説明はしないし、あくまで『わたしの』潰瘍性大腸炎の話であるということを念頭に、もし不安なのであれば必ず医療機関にご相談を。

きっと貴方の力になってくれるお医者さんがいる。

話はほんの少し脱線するが、わたしは身の回りに友だちを含めて医療に関わっている人がまぁーーー多い。このご時世になる前からわたしにとって病院はたまに行くところとかのレベルじゃなくて"いつも行くところ"という認識なので、コロナ禍になり、医療現場がきりきり舞いになっていき、しわ寄せが全部現場に来て、終わりのない長距離マラソン強制参加させられているような状態で文句を言わせてもらえないのに、いつもの様に患者に接する努力をする医療関係者。ほんとにありがとう。本当にお疲れ様です。医療現場以外でもたくさんいる"見えない努力"を強いられてるお仕事の人。お疲れ様です。今の世に安寧などないけれど、それでも、崩壊していると好き勝手誰かの口が騒ぎ立てる中で崖際に立ち続けていられるのは貴方たちのおかげです。本当にお疲れ様です。


これから先の主な登場人物

わたし ‥ わたし

潰瘍性大腸炎 ‥ わたしの潰瘍性大腸炎

母 ‥ わたしの母。天然と冷静のハイブリッド

父 ‥ わたしの父。気はきかないが優しい

姉 ‥ わたしの姉。割とシスコン同士

じいちゃん先生 ‥ 産まれた時から知ってる町医者

熊先生 ‥ 最初に気づいてくれた先生

主治医 ‥ わたしにとっての病気のパートナー

その他 ‥ 高校の同級生、親戚、初診の先生、など


わたしの歴史秘話ヒストリア(※3)

わたし ‥ 関東在住27歳。14歳頃からお腹に不調や違和感を持ち続けて下痢や腹痛が連日続く。めちゃくちゃ考えすぎて雁字搦めになってずっこけて怪我するタイプの典型的なネガティブ。

症状が出てからは町のお医者さんみたいなところにあちこち行きまくるが、「思春期特有の、過敏性腸症候群(※1)でしょう。ストレスとかためてない?胃薬と、整腸剤出しておくから。それでも続くようならまた来てくれる?とりあえずそれで様子見しよう」という「思春期の」「ストレス」「整腸剤で様子見しよう」の三コンボテンプレートを食らい続けて嫌になる。

あと『過敏性腸症候群』だとしてもマジで辛いから、潰瘍性大腸炎じゃない過敏性腸症候群の貴方がもしいたとしたら貴方も頑張りすぎないでくれ。心当たりがある人は一度ちゃんと診てもらってほしい。下痢とか腹痛とか、ちょっと学生時期にはデリケートで恥ずかしいだろうけど、それでもたった一度医者に相談してみるだけでもしかしたら何かがガラッと変わるかもしれないから。老婆心の閑話休題。

中学を卒業するくらいになると、自分の腹痛や下痢に謎の波があるのがなんとなく分かってくる。

高校はバス通学。三十分くらい乗るバス怖い。田舎すぎて途中で降りたら遅刻確定なので乗り過ごせない。ここらへんからわたしの身体が謎の特技を見出す。

特技・精神と身体のスイッチを断ち切る

朝起きた瞬間から腹痛でトイレ。腹痛で起きるのか、起きて腹痛なのかのニワトリ論争が出来る状態。腹痛の合間を縫って歯を磨き顔を洗い制服に着替え全ての準備をする。全てトイレの合間に。腹痛の合間にご飯を食べ、またトイレに駆け込み激痛に脂汗かきながら、痛すぎて吐き気して上と下の大洪水状態で過ごし、バスの時間になるギリギリまで便器に顔突っ込んで吐きまくって腹痛い腹痛いと蹲っていたくせに、いざ玄関を出ると身体中のスイッチがオフになったように機能しなくなるという技。

バスの中でも、学校の中でも、一度そのスイッチがバチンと入るんだか切れるんだかすると「普通っぽく」なる。効力はかなり優秀だけど、授業のラスト五分あたりに効力が切れると地獄。脂汗かきながらひたすらチャイムが鳴るのを待ち続けてトイレへ駆け込む。これを毎日終業時間まで繰り返す。スイッチ効力が効きっぱなしの時もたまにあって、そういうときはチートモード。

天敵はお昼ご飯。口に物入れた瞬間に腹に激痛が走るという謎の現象があるため食べるのが嫌。ただお弁当を毎日持たせてくれる母に詰まったお弁当を返すことはどうしてもしたくなくて困っていたが、当時の同級生たちは「分からないなりにわたしを分かっていた」ので、「わたしは病弱でめっちゃ痩せる時期がある」「なんだか分かんないけど飯を食うのが嫌だが弁当を残すのも嫌」「よう具合悪くなる。それはしゃーなくね?知らんけど」という感じでわたしの弁当をモリモリ勝手に食べてくれた。ありがとう食欲旺盛な女子高生!

高校を無事に卒業出来たのは、彼女たちのおかげ。

卒業後の進路は必ず就職か進学かを選んだ状態じゃないといけないという変なポリシーのある学校だったのと、わたしはこんなんでも割と楽しくいい感じにすごしていたので大学に行きたかった。(頭良くないけど勉強するのが好きな奴いると思う。ああいう感じ。)

ただ、もう高校三年間を謎の特技で乗りきっていたようなわたしに進学や就職出来る程の体力は残っておらず、結果専門学校という進路先だけ決めていわば自宅療養体制に切り替えることにした。ここで就職や進学をした同い年の友人たちと一方的に劣等感や距離を感じて一時期連絡を取るのが苦痛になって、逃げまくっていた結果あだ名がツチノコになる。

この時期は一番辛く、手当り次第大きな病院にも行ったし町の病院にも行った。三コンボ食らって終わり。

ようよう今はこの【潰瘍性大腸炎】という病気が広まっているけれど、わたしが病院に行きまくっていた頃はあまり若い女性がかかりやすいものという認識ではなく、むしろ若い男の子に多い病気だと思われていたらしい。

いや知らんがな。性別で判断しないでぇー。


二十歳になる。成人式事件が起こる。

二十歳頃はもうほぼ人ならざるもの状態のわたし。ほぼ飲まず食わずでも人って生きられるもんなんだ、ということを否が応でも体験する。寝てても辛い起きてても辛い。ひたすら毎日蛆虫のように這ったり座ったり蹲ったりして痛みの少ないポジションを探しながら永遠に近い一秒を過ごす。一秒の繰り返しが一分、一時間、一日。

気絶する様に意識が落ちても五分ほどで腹が痛くなるのでほぼ寝られない。気が狂う。狂ってたかもしれないけどよく覚えてない。食べてないから胃液をひたすら吐いて、食べてないのに水みたいなもんがお尻から出るもんなんだと人体の不思議にブチ当たる。

特技のスイッチは家から出られる状態にならず機能しなくなっていたけれど、その代わりに胃液の色や匂いや粘度で、水分を取るべきか何か無理やり口に入れて腹痛を起こして吐くべきかある程度分かる様になっていく。

もう腹痛はデフォルト。お尻から便じゃなくて水がじゃばじゃば出たり、食べてもないのになんだかドロドロした真っ赤な粘液みたいなのがお尻から出てきたりするのもデフォ。驚かない。それでも死なないんだぁと思ってた。

そんな状態でわたしどんな感じの身体だったの?と思う人は一度、かの有名な『鋼の錬金術師』(※2)という漫画の主要キャラクターである弟・アルフォンスに後半で兄・エドワードが会う場面を調べてみてほしい。真理の扉をもう一度開いた先にいた人間の身体のアルフォンスのあの感じにそっくり。

わたしは155cmほどの身長だけれどあの当時体重は35kgもなかったのではないか。

まあ肋骨は浮いて鎖骨は尖って肘は骨で骨盤は人体模型で膝はぼっこり浮いて踝は刺さって痛え。

猛暑でも寒くて冬服着て毛布被ってガタガタ震えてたくらいにとっ散らかってたけれど、それでも病院には原因を探しに行っていた。家族ありがとう。


ここまで読んでくれている人がいたら思ったのでは。

「内視鏡検査とかやりゃよくね?」「そこまで酷かったら総合病院で全身の検査とかしてもらえそうじゃないの?」「さすがにその感じで整腸剤で様子見って事はないんじゃない?」などなど。

そう、ズバリ【内視鏡検査】。

母はもう外から見ても分からないなら中を直接覗いてくれと総合病院の初診外来の先生にめちゃくちゃ訴えてくれていた。わたしはもうこの頃の病院は何万回と同じ説明しすぎて話す気力もなければ三コンボのテンプレートを受け止める気力もなくてあんまり覚えていなかった。

町の内科医で内視鏡検査をやっているところがほぼなく、(そのくらい田舎って事なのかもしれないが)やるなら総合病院でという感じだったため、紹介状もなく殴り込みで初診の先生にそう言ったら返された言葉が

「若くて痩せている人に内視鏡はあまりやりたくない」

こんな感じのことだった。つまりリスクの問題。

多分あの先生は内視鏡をやるに当たっての必ずしなければいけないリスクの説明をしたんだと思うけれど、その返しに母がぷっつーんとしてしまった。こんなめちゃくちゃ誰がどう見ても何かありますって感じの人を前にしてよくそんな態度でその話出来ますな?!という様な気持ちになったらしく、結局それでもいいからと一度は言ったらしいが(背に腹は替えられぬってこういう時に使う言葉かな)、渋々‥というような態度の先生に(疲れてたんかな初診って大変だもんね)「他を当たります」と言って結局そこでは内視鏡はやらず帰宅。

手当り次第病院に殴り込みに行っていたが、本当に内視鏡ってやってないもんなんだよね。その当時はなんでやねん、って思ってたけど今はそりゃそうよなぁ。

もう一度初診で総合病院に行って頼もうか、と思っていたあたりで伯母(看護師さん)から神の一声。

「じいちゃん先生が、もし自分が内視鏡検査をしてもらうなら腕のいい医者がいいだろう、自分ならこの人に頼む。っていうお医者さん調べてくれたんだけど、ここってもう行ってみた?町医者だけどまだ内視鏡やってるみたい」

じ い ち ゃ ん 先 生 !!!!

そこに行けば受付の看護師さんたちに「サイトウ(仮)がこーーーんな豆粒だった頃から知ってるわよぉー!」「あらぁ!サイトウ(仮)ちゃん!風邪引いちゃったのぉ?」とワラワラと声をかけてもらえる伯母の勤めている小さいが地域密着型の町の内科病院のじいちゃん先生こと大先生のところには中学の頃の腹痛時よく行っていた。(整腸剤しかくれなかったけと)

内視鏡もやってないし整腸剤はいらないので行かなくなっていたが、わたしのことを気にかけ伯母から話を聞いて内視鏡の上手いお医者さんを探してくれたらしい。

カンダタが蜘蛛の糸見つけた瞬間ってこんな気持ち?釈迦の糸を掴んだときってこんな気持ちなの?!と思いながらちょっとだけ遠いけれど内視鏡を求めて必死に蜘蛛の糸を登っていった。

登っていった先に待っていたのは釈迦ではなく地獄でもなく、熊のような先生。ずんぐりむっくりしてた。

愛想はないし、つっけんどんな感じだったけれど、こっちも体調悪すぎて態度悪かったと思うしオアイコだ。とにかくその当時のわたしは病院で先生に「どうしました?」「実はこれこれこうで、ああで、」という説明をするのがまぁーーーーーーーー苦痛でしかたなく、勝手に口からべらべらと機械のようにいつからどんな感じでこういう風でこうなんだとのべつまくなし話したて、それで終わり。あとは三コンボ待ちの整腸剤エンド。という感じだったので、熊先生に内視鏡やってもらいに来たというのをすっかり忘れ、母が隣で「内視鏡検査をしてもらいたい」と補足説明していた気がする。

「ここの内視鏡検査が予約制なのは受付で聞いた。何ヶ月も待つんだとしてもそれでも構わない。総合病院に行ったがその時の先生の対応があまりにもでそこでは頼みたくない。娘はもう何年もずっと過敏性腸症候群だろうと言われて、その"だろう"の様子見で苦しい思いをしているのだから、どうか何ヶ月先でもいいから内視鏡をやってくれ」と母が伝えると、熊先生はわたしにトイレの回数や、起きる頻度、吐く頻度、下痢の状態、便の状態なんかを聞いてきて、わたしは「トイレの回数なんて覚えていないくらい行ってて覚えられない。起きる頻度というか寝られない。吐くのはトイレに行くたびセットで吐いてる。下痢なのかも分かんない。水。水というかもう血みたいな水の色してる。便みたいなやつが出てくるとベタベタしてて真っ赤になってる。あとはもう形なんかない」と初めて自分が毎日毎日何十回も見ているものを伝えた。

血便(読んで字のごとく血の便)や粘液便(これまた読んで字のごとく粘液をまとった便)と呼ばれるものを毎日見てるとそれがヤバイものだと認識しなくなるらしい。わたしは全くヤバイもの思ってなかった。だってそいつらが自分の身体から出てくるのは普通だったから。

それを伝えると熊先生は「過敏性腸症候群なんかじゃねぇなそれ」と端的に一言。ねぇんかい。

「内視鏡はやる。明日すぐにやる。なんにもしなくていいから昼に来い」と言われトントントーンとあっという間に内視鏡の予定が立った。

次の日お昼に行って内視鏡をやったけど、もう身体がしんどすぎて熊先生が上手いのか上手くないのかすら分からなかった。痛くなかったということは上手い先生だったんだろうな。本当に覚えてない。多分上手い。

そうして内視鏡で撮った写真を診察室で見せられながら言われたのが

「これは多分だけど、確実に近いくらいの確率で潰瘍性大腸炎。それが君の病気だな」

目から鱗。寝耳に水。青天の霹靂。

雫ちゃんが西だと思ってた少年が実は天沢聖司だったときくらいの驚き。酷い裏切り!空が落ちてきたみたい。

わたしと潰瘍性大腸炎の出会い。小田和正のイントロがかかった瞬間であり、ジョーと力石の様に切っても切れない名前のつかない関係になった瞬間でもある。


ここで【潰瘍性大腸炎】というワードと意図せず食パン咥えて曲がり角で大激突を果たすことになり、わたしはとりあえず栄養点滴をされながら熊先生の話を聞いた。

「これ、サイトウさん(仮)の腸の中」

(サンプル画像:検索 潰瘍性大腸炎 炎症画像 参考)

もし気になって検索してみる方、もしかしてちょっと苦手な人は見るのが苦手かもしれないので、グロテスクなわけではないけれど腸の中身ってあんま見慣れてないと思うから一応閲覧自己責任でご注意を。(ちなみにわたしはこのとき中程度ほどの炎症だった)

「なんか、霜降りみたいな‥白いし赤いし、浮腫んでる?腸の中見るの初めてなんでちょっと良く分かんないです」

「これ全部炎症起きてんの」

「へぇ」

「爛れてるってことね。君の腸の中は全部爛れてんの」

「へぇ。爛れてる‥‥」

「痛いでしょ」

「痛いですね」

「とりあえず薬で炎症を落ち着かせることを第一にやってく」

「あ、じゃあ治るんですか?」

「正確に言うと、炎症を落ち着かせる」

「どう違う?」

「一回炎症治してもまた炎症が起きるかもしれないし、死ぬまで起きないかもしれない。あ、これ潰瘍性大腸炎のパンフレットあげるから」

「あ、すごい。パンフレットなんてあるんですね」

「サイトウさん(仮)、疑いだけど潰瘍性大腸炎だと思うよ。ていうか多分そうなんだよなコレ。大きな病院じゃないから診断断言出来ないけど、これは潰瘍性大腸炎の症状と状態と一致しすぎる。潰瘍性大腸炎っていうのは国で難病指定されてる病気なのな。難しいの色々」

「‥‥‥‥‥‥‥なんて?????」

大体こんな感じだった。

潰瘍性大腸炎だという病名と、その病気は指定難病と呼ばれるもので、上手く一生付き合っていくしかないものだということを一度に飲み込んだ。

いやいや飲み込めないでしょ。飲み込めなかったよ。


例えばいまこんな長ったるい顔も知らないわたしの歴史ヒストリアを読んでくれている貴方が、腹痛で検査したら急に医者に「君の病気は難病指定されてるの。症状が落ち着いたら普通に暮らせるけど、またいつ症状が起きるかは分からないんだよ。一生付き合っていこう」と言われたとして。

「そうなん、ですねぇ」としか多分言えない。

母はわたし以上に「病院や医者が手続きしなきゃいけないところは全部やるから、お母さんはすぐに指定難病の手続きをしなさい。この病気は治療が大変だから、役所に届け出て、きちんと申請をしてきなさい」とめちゃくちゃ指示されていたから大変だったと思う。

すぐ申請が通るわけではないので、しばらくして母や熊先生が色々と頑張ってくれてわたしはめでたくもなく【潰瘍性大腸炎】というスタンドを手に入れた。

「潰瘍性大腸炎なんだって」

「うん」

「指定難病って言ってたね」

「言ってたね」

「とりあえず薬で良くするって」

「良くなるもんなんかね」

「整腸剤じゃないんだから良くなるよ」

「ステロイドって言ってたね」

こんなような会話をしながら帰り、実感もないままその日からステロイド治療(この病気の炎症を抑えるには割と普通で特別どひゃあ!という治療法ではない)というものが始まった。と言っても苦っげぇ錠剤飲むだけ。

ステロイド治療はよく効いた。

ぐんぐんきいて、みるみる良くなった。(といってもめちゃくちゃ時間かかった。毎日微々たる右肩上がり‥?を繰り返した結果のみるみるぐんぐん。)すんごいびっくりした。医学の進歩って凄い。治療ってこういうことか。医者ってとんでもねぇな。アホみたいな感想を持ちながら、しばらく規定通りにステロイド治療を行い、終了と同時に一般的な潰瘍性大腸炎の薬に切り替えて過ごしていた。

結構上手くやれてんじゃん!サムズアップ!

そしてぶっきらぼうではあるがわたしの病気を心配し(ファーストコンタクトがあまりにもだったかららしい)、定期検診に行くたびに「風邪はひくな。風邪というかもうこの世の菌という菌に気をつけろ」と耳にタコが出来るくらい言っていた熊先生。

愛想もあんまりなくぶっきらぼうであるが故に患者としょっちゅう喧嘩してたけど、実は凄い患者思いの熊先生の忠告虚しく、わたしはめちゃくちゃ気をつけていたのにその年の冬に父経由でインフルエンザにかかってしまった。

インフルエンザにかかり、潰瘍性大腸炎の必ず飲みなさいよのお薬すらも飲めない状態になってしまい、ご飯も水分もほとんど取れない、高熱、脱水、からの多分それが原因での炎症復活、ありとあらゆる悪循環に陥り、すぐさま熊先生のところへ飛び込んだ。

「インフルになって薬飲めなくってぶりかえした」

「すぐ点滴!!!!というか駄目だこれ入院!」

あれよあれよと点滴をつけられ(脱水と栄養失調)、「お母さん!今から総合病院に紹介状書くからこれ持ってこの後すぐ行って。もう入院させなきゃだめだこれ栄養失調になってるからそのほうがいい」と急ピッチで熊先生が紹介状を書いてくれた。

母が総合病院の初診で嫌な思いをしたというのをしっかり覚えていた熊先生は、「そこの先生の名前が分かりゃいいんだけどな、わかんねぇから仕方ない。とりあえずそれ書いとくから!あと今から紹介する先生は、総合病院の中でこの病気の患者をたくさん診ていて凄く腕のいい先生だから。内視鏡だって上手いから」とある一人の先生へわたしを引き継いだ。

(熊先生とはこれっきりなのだけれど元気かな)


紹介状を手に総合病院へ行くと、去りがけ熊先生が連絡を入れておくからと言っていた通りすぐさま消化器内科の先生のところへ案内された。

熊先生とは真逆のスラっとした優しいを固めましたという雰囲気を醸し出している先生がわたしを見るや、「初診で来たときに嫌な思いをしたみたいですみません」と謝り、すぐさま「熊先生の診断書も紹介状もしっかり目を通しました。熊先生の治療法は今までもちゃんと合っていて、サイトウさん(仮)は潰瘍性大腸炎で、インフルエンザがきっかけでまた炎症が起きちゃったっていう認識で間違ってないよ」と優しく説明してくれた。

「これから貴方の担当になります」

わたしの主治医の誕生である。

主治医は家族に入院の手続きをさせつつ、わたしにまた潰瘍性大腸炎との付き合い方や治療方針についての話をして、そうして最後に、「熊先生がやった内視鏡検査の画像見ました。これはね、辛かったよね。よくここまで頑張りましたね」そう言った。

たった一言。たくさんの潰瘍性大腸炎の患者を受け持っていて、主治医にとってわたしはただのほんの一人。辛かったよね。シンプルにただそれだけだったけど、わたしはこの病気じゃなかったのかもしれないあの中学生の頃から今の今までのわたしの全てを肯定された気がして、「これは辛いよ。よく頑張ったね」という言葉が頭の中で何度も何度も音になった挙句、結果号泣。

人前で泣くなんて‥‥いい大人が‥‥

無意識にめちゃくちゃ泣いて、その時『いや自分そうよな、辛かったんよな〜〜〜〜〜!めっちゃくちゃ辛いよもう毎日辛い!なにもかも辛い!世の中恨めるくらい辛い!誰か呪えるくらい辛い!まじで頑張ったんだよほんとに!今日ここまで!ほんとに頑張ったよ!』とか思ってた気がする。心の中で。


初対面・号泣という出会いを果たした主治医とわたし。

すぐさま入院し、すぐさま首にCV(中心静脈カテーテルと呼ばれるものらしい。腕に入れる点滴より高カロリーな栄養を入れるには太い血管でないと詰まってしまうらしく、太い血管に太めの点滴管を入れる。わたしは首だった)を突っ込んで絶食完全点滴栄養をやりながらまずは炎症を完全に落ち着かせるという治療になる。

(CVは下記画像参考。ただわたしは画像でいうと静脈の挿入部位近くからカテーテルを入れて首元で固定していたので鎖骨下ではない)

画像1

首に管!しかも入れっぱ!と思うけど慣れると案外気にならなくなる。そりゃあ二三日の話じゃないから慣れるもんは慣れる。


首から栄養を入れようが、どんだけいい先生から先生へバトンをパスされようが、忘れないでほしい。

寝る間もなく腹痛によってトイレへ引っ張りこまれ、腹痛から胃液を吐き、それを繰り返して疲れきった瞬間を狙って気絶するように眠り、五分と足らずに再び腹痛によってトイレへと引きずり込まれるルーティーンはこのときもまだ続いている。

ただ、治療を始めたという一点のみ。

主治医という自分と同じく、それ以上にこの病気を知り尽くしている人間ができたということは確かに拠り所ではあったけれど、それでもこののたうち回る痛みや辛さは誰も変わってくれないし、薬を飲めば収まるものでもない。割とずっとしんどかった。


しんどい理由として、【潰瘍性大腸炎】という病気にはパターンがいくつか存在する。

熊先生が言っていた「炎症」「むくみ」「爛れ」という症状が現れる部分が、人によって三パターンほどにわかれる。

画像2

フリーのサンプル画像で分かりやすいのがあった。

誰に使うんだろう、と思いながらいそいそ保存したのでわたしのような人のための分かりやすい画像なんだな。

紫が炎症が起こる部分で、それぞれ範囲が違う。

画像3

これが大腸の全貌。大腸にも場所場所に名前がある。

ざっくりと盲腸と呼ばれるところを終点(または始点)として考えると、肛門に至るまでが結構な長旅。

医者は患者の炎症の範囲がどこからどこまでなのかを判断し、じゃあ今はどこからどこまで炎症が起きているのか、どの程度なのかを見極めて治療する。大変だ。

わたしは一枚目の分類画像で言うと【全大腸型】。

つまり、二枚目の名称画像の長い長い盲腸のらへんから正しくお尻、肛門までの『大腸』と呼ばれる部分全部に炎症が出る。

毎回大腸全部に炎症が出るわけでもなく、今回はここまで来てる、今回はこれだけの部分、と割とフレキシブルだ。そんな柔軟性ちっともいらないけど。

そして何度も出てくる「炎症」という言葉。

ちなみに専門用語で炎症期間や炎症が落ち着いている間の期間にも名前がある。豆知識(↓)

炎症が起きて悪化してる期間 ‥ 再燃期(さいねんき)
炎症が落ち着いている期間 ‥ 寛解期(かんかいき)

潰瘍性大腸炎の炎症って、どういうの??口内炎みたいな感じ?それともヤケドみたいなもの?血が出るってことは刃物で皮膚を切っちゃった時みたいなのかな?といまいちピンとこないと思う。

当事者ですらピンとこないときあるから仕方ない。

ただ、想像してほしいのはひとつだけ

口内炎が口中にめちゃくちゃ出来て、その時に飲んだり食べたりするとめちゃくちゃ痛くない??

ヤケドしちゃって傷口が膿んでるところをそのままにして、ついでにずっと何かに擦れてたら痛くない??

毎回毎回なんでか知らんけどおんなじ部分を刃物で傷つけちゃってたら傷口治らんしむっちゃ痛くない??

そんな感じ。

自分が経験した事のある怪我や傷、目に見えるそのいじくったら痛いから絆創膏とか貼ってそっとしとこう。ついでに薬塗って安静にしとこう。っていうのを直接絆創膏貼ったり薬を塗り込んだり出来ない皮膚の中、腹の中でやってる。ということ。

痛くても直接触れない、痛くても直接薬を濡れない、痛くてもどうすることもできない。腹切り裂くしかない。そんなこたぁ出来ない。だからその為の治療法がある。


♯0で【目に見えない辛さが分かられない】と言った理由。この日記を自分のために書こうと思った理由、這いつくばるその一瞬が耐えきれないほど辛い貴方に「わたしもそうだよ」と言いたい理由。


学校で、職場で、家で、電車で、バスで、トイレで、

もしかしたら友だちが、先輩が、後輩が、先生が、同僚が、部下が、上司が、隣り合った人が、前に座ってる人が、並んでる人が、駆け込んでくる誰かが、【潰瘍性大腸炎】かもしれないということ。

外に出られている=普通に生活できる状態

じゃないということを。

外に出るためにめちゃくちゃ普通ぶってるだけかもしれないし、本当に普通に外に出られてるかもしれない。つまり見えないから分からないということ。

めちゃくちゃ難しい話になってきたよ!

だけどこれがこの日記の肝でもあって

『あの人めちゃくちゃお洒落してるし化粧してるのにヘルプマークとかつけてるじゃん』とか、

『は?ぱっと見普通なのになんでトイレの順番譲らないといけないの?』とか、

『席譲れとか座らせてくれとか何言ってんの?』とか、

潰瘍性大腸炎の患者は外に出ると見分けがつかないから、本当にお腹の傷がジクジクと血を流して膿んで傷ついている瞬間も誰にも理解してもらえない度が高い。

もちろん、外出時に病気の症状が出ちゃってヤバイ!トイレ!となっても順番待ちできる人だっているし、みんながみんな譲ってくれ優先してくれと言いたいわけじゃない。ここぞというときの話。ここぞ。

ここぞ、という話そのうちしようと思う。わたしが「あ、自分人間辞めたんか。尊厳どこ行った。」と心を殺した話。成人式事件とか、トイレ事件とか。

なんとなく察し‥という人もいるだろうけど話す。

この日記はそのための日記だから。

だからもし、そこの読んでくれてる貴方がもし!学校のトイレの中で、どこかの草薮の陰で、車の中で、道端で、「あ、終わった。」と思って絶望して「こんなんも我慢できないのか、人として終わってんな自分」とふと頭の中をよぎったなら、「大丈夫!わたしもそうだよ」と声を大にして挙手をするから。

不安で惨めで惨めで辛くて辛くて仕方なくて、それなのにって一人で小さくなって絶望するたびに、わたしもそうだよと声をかけさせてほしい。辛さは乗り越えられないし、トラウマたくさんあるし、前向きになんてなれなくても、遠い隣にはわたしもいる。必ずいる。

もちろん乗り越えられたら乗り越えてっていいし、トラウマなんてなければ最高で、前向きになれて一歩も二歩も進めそうなら背中を押したい。めっちゃ押すよ!


この日記は、前にも後ろにもいる貴方や、前にも後ろにもいない貴方とわたしの日記。

そしてわたしと、わたしの潰瘍性大腸炎の話だから。


ちなみにさっきわたしはワンタンスープにパンを千切って入れて食べるというダ・ヴィンチも真っ青になるくらいめちゃくちゃ凄い偉いことしたので今日も百点◎


※1 『歴史秘話ヒストリア』‥ 『歴史秘話ヒストリア』(れきしひわヒストリア)は、2009年4月1日から2021年3月17日までNHK総合で放送されていたNHK大阪放送局制作の歴史情報番組

※2 『鋼の錬金術師』‥ 『鋼の錬金術師』(はがねのれんきんじゅつし)は、荒川弘による漫画。またそれを原作とした派生作品。『月刊少年ガンガン』(スクウェア・エニックス)にて2001年8月号から2010年7月号まで連載

※3 『過敏性腸症候群』‥ 過敏性腸症候群とは、通常の検査では腸に炎症・潰瘍・内分泌異常などが認められないにも関わらず、慢性的に腹部の膨張感や腹痛を訴えたり、下痢や便秘などの便通の異常を感じる症候群。 腸の内臓神経が何らかの原因で過敏になっていることにより引き起こされると考えられている。

めっちゃ辛いだろうから心当たりのある人は病院行ってちゃんと先生と相談して。ちゃんと治そう。治せなくてもその時その時に合わせた治療をして楽な方をとろう。我慢する必要はないし、病気には大きいも小さいもなければ辛さは人と比べるものじゃないから、過敏性腸症候群の貴方も、頑張りすぎないで。