「はじめる」の難しさ
大人になって感じるのは、「恥をかくのが怖くなってきた」ということだ。
…大人になるといっても、私はまだ学生だ。しかし、ちょっとずつ社会に触れることが多くなってきた。そこで社会経験の無さをまざまざと見せつけられるのだ。
「こんな歳にもなってそんなこともできないの」
「知らないなんてあり得ない」
ええ、ええ、すみません。知らないんです。だからそう言われてしまうと思って、できる限り予習してきたんですが、だめでしたかね。だめでしたか。わたくしの努力不足でございました。完。
こういうことが結構多いんじゃないかなあ、と思う。
そのことを否定したいわけじゃない。不親切だとも思わない。開き直ろうだなんて馬鹿なことも思っていない。だって今まで社会で成功してきている人は、そういう初歩的なことをしっかりこなしてきたから、信頼を獲得しているのだろうし。私はそういうひとのことをとても尊敬している。
だけど、やっぱり「知ってる前提」「できる前提」で話が進むというのは、なかなか怖い。
「できない」ということは、あんまり許されなかったり、恥ずかしいこととして捉えられがちだし、私自身もそういうふうに感じることがとても多い。
それは結構何にでも通じていて、この歳になってくると「〇〇やってるんだよね」というと、「その分野に割と精通している」と思ったり、思われたりすることが多い気がする。実は全然そんなことはない。だから言わない。結果話が進まない。
そして時々思うのが、少なくとも私自身は、「それっぽくできる」ことじゃないとやらない、ということ。「全くできない」ということへのハードルが、とてつもなく高く感じるのだ。
音楽を作ってみたくて制作アプリをインストールしてみたが、まったく分からずアンインストールした。それっぽいもくそもない。
逆に、成人式の髪飾りを作るためにやってみたつまみ細工は最初でもなんとなくそれっぽくなって、うまくいったので続けてみた。今はやっていないが、多分復習すればズブの素人よりはできる。
だから本当に、恥をかく覚悟で「やってみる」ということができる人って、本当にすごい。
私もいつかそうなりたい。
なのでズブの素人ですが、私もnoteをはじめてみました。
元々文章を書くのが好きだからハードルが高かったわけではないのだけれど、やってみる。
改めまして、日記です。
絵とカメラと本が好き。音楽も好き。だけど別にめちゃめちゃ詳しいわけではありません。正直言って、詳しい人ってカッコいいので私もそうなりたいと思って、歴史とかちょっとした基礎常識とか、ちょっと勉強しようかなぁとは思っている。今特に勉強したいのは美術史について。
雑学という知識は人生を豊かにすると思う。そういう「無駄」って言われちゃいそうなことは割と好き。
あと、マナーとか言葉遣いもちゃんと勉強したい。社会に出て「初めて」って結構怖い目で見られるイメージがあるので、ここだけは「知らなくて何が悪いんだ!」と開き直らない方がいいと思っている。私自身は「知らなかった」と言われたら、「じゃあ覚えてね」と言える大人になりたい。
おしゃべり大好き。ひとが好き。
はじめての人を笑わずに、応援できる大人になりたいです。そして自分も、挑戦し続ける…というのは照れくさいけど、できそうなことはどんどんやってみたい。
まだまだ未熟ですが、何卒宜しくお願いします。
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