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"わかる/わかってもらう "よりも"わかりたいと思えるか/わかってほしいと思えるか"

ここ数ヶ月、諸悪の根源かのように扱って、怖がってきた「結局自分はひとり」の気持ちについて今日また考えていた。「結局自分はひとり」って思ってちゃだめなのかな。この気持ちは私の「人と繋がりたい」という願いと強く結びついているのだけど、私にとっての「繋がり」って何なのか?

コーチングを受け始めてからずっと自己探求をしているけど、正直自分のことも完全にわからない。なのに、他人のことなんてわかるんだろうか。わかった気になって良いんだろうか。この考え方って「結局自分はひとり」が根底にある気がする。これが前提にあるから、自分と相手をちゃんと分けて、フラットに人と向き合えているのかもしれない。表面だけ見て勝手に納得しないで、その奥にあるものを見ようとできるのかもしれない。そう考えたら、「結局自分はひとり」の質感て変わるんじゃないか。

私にとっての「繋がり」って完全にわかりあうことじゃなくて、相手のことをわかりたいと思って関われるか、自分のことをわかってほしいと思って心を開けるか、そんなニュアンスな気がしてきた。そう思ったら、私はもう色んな人と繋がれているのかもしれないな。

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