先月、父が他界した。

父は8年前から闘病生活を送っていた。
その病気の5年生存率は80%と言われていたくらいなので、なんだかんだ生きていくんだろうな~と勝手に想像していたけどそう甘くはなかったらしい。

わたしは看護師をしていて、その病院で2番目に亡くなる人が多い科がある病棟に属していたので、ある程度ひとはどういう亡くなり方をするかとか こうなると死期が近いという予兆も知っていた 自分の中で悲しい気持ちがありながらも少しはひとよりも慣れてしまっている部分があるから、わたしは遺された家族を支える側になろうとずっと考えていた
でもやっぱり現実はそういうわけにはいかなかったよ、悲しいもんは悲しい なにもできなかったな
親戚にも、お母さんをよろしくねってたくさん言われたけど わたしには無理だ 父の代わりにもなれないし、わたしじゃあまりにも頼りないんだ
自分の居場所がない(気がした)実家から、一時期母と仲が悪くなってしまった状況から逃げたくて家を出た、という事実がどうしようもなく突き刺さって 情けなくて不甲斐なくて、その申し訳無さを拭うようにいま実家に頻繁に通っています。



この数ヶ月、離人症のような症状があって、なんだか自分が自分じゃないような、第三者の視点で物語を見ているような感覚がしてしまっていて 辛いとか悲しいとかうれしいとかを感じづらくなってしまっていたんだよね だけど父が亡くなったときぶわっと感情が溢れ出てしまって そうなるようにしてくれたのかな、ともいまでは思うこともある

亡くなる当日の真夜中に病院から電話がかかってきて、呼吸が苦しそうだって呼び出された
すぐに車出して駆けつけて、たしかに苦しそうな呼吸で意識もなくて でも穏やかな顔をしていたんだ
そこから12時間、わたしたちはずっと同じ空間で過ごした。あの時間は本当に宝物のような時間で。
ずっと悲しむわけでも母と妹となくなんでもない話をしたり、時々手を握り返したり目を開ける父に話しかけたり 親が再婚して父を加えた家族4人で過ごした中で一番、わたしにとっては穏やかな時間だったんだ

息を引き取るという言葉があるけれど、息が止まってからも心臓が止まるまでに父は少し時間がかかって 頑張ってる証、もうすこし生きたいという心の叫びそのものだった すごいなぁひとって、生命って 何人も見送ってきたけど、ずっとずっと苦しかったな 慣れるもんでもないし慣れちゃいけないし、それにわたしこれをあと親戚とか母親とか何人見届けなきゃいけないんだろう?とふと我にかえったりした とてもじゃないけど耐えられないなぁってずっと先のどうしようもないことを考えて勝手に辛くなったりした

わたしは鬱病になってから、なる少し前からずっと希死念慮があったけど、もう家族の前ではしにたい消えたいなんて言えないなと思えるようになった
生きたくても生きられない人に寿命は全部あげたいし状況も変わって差し上げたい気持ちはあるけれど ちゃんと頑張ってる姿を最期まで見せてくれた父に申し訳なくなるから、とりあえずいまはちゃんと生きるをしなきゃなと思えた 生きるならせっかくだし、自分のやりたいこと好きなことを全うしていくかと思った たのしいこと、しなきゃね 
ときどき父の真似をしたり、父がいいそうな言葉を言ったり、父が好きなヤクルトスワローズの試合を母と妹と見たりしています

うちの父と母はずっと仲良しだったんです
わたしは結婚に対していい印象もない上に子どもさんも苦手なんですけど 両親を見ていると、あぁ悪くないのかもって思えたんですよね そして父は本当に一途だし母は愛情深いひとだし
わたしもそんなひとに出会えるのかはわかりませんが、父と母みたいな関係性は素敵だし、ふたりともとても尊敬します。ふたりがまた穏やかに時間を共にできる日が来ますように

父が煙になって空に登った日から、台風が消えて雨もなかなか降らなくなりました。晴れ男だったのかな、なんて 今日も空から見守ってくれてるかな
お父さん(祖父)にも会えたかな
ご飯いっぱい食べてるかな
今日もわたしは空を見上げています



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?