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定期くっつけ男街歩く

久しぶりに、自分の育った街に帰ってきて生活をしていく事になり、何を思い出すでしょうか。

私の素敵な大学生ライフは主に京都で行われていたし、私にとってヒロシマと言うと、一人でいる時間がこれまでで一番多かったであろう小学生時代に行われた数々の黒歴史事が頭に浮かびます。

高校時代の友人と会って話すのは、

文化祭の肝試しで、山下達郎病院やったよねとか

家庭科の糠塚先生が、教壇で椅子に座ったまま滑って、ぎゃー!!!ってこっち側になだれ込んできて、アイドル席だった私の机ごと押し出されたよね。

のような話

一方、自分の私の小学生時代は

"定期くっつけ男街歩く"

だったと思います。

言葉に深い意味はありませんが、小学生の私の何らかに対するおまじないワードだったのではないでしょうか

小学生の頃、とある日課として、通学時に利用していた交通機関(主に広電バス)で皆様にご挨拶をして回ると言うのがありました。

人へのご挨拶と

自分のフルネームをかっこよく言う事、

これらがマイブームであった私は、主に薄暗い公共交通機関に現れました。

人見知りをなくしたらもう誰にもいじめられないし、友達も沢山できるのではないか、けど、まだ明るみに出るにはハードル高いと考えた私の唯一の解決策だったのでしょう。あくまでも薄暗い交通機関です

挨拶回りの際、トレードマークとしておデコにくっつけていたのが、広電バスの定期券でした。

おデコから定期を落としてはいけない、そして定期くっつけ男街歩くんだぁ!と心に唱えながらヒロシマの皆様に挨拶続ける事数年、

小学校高学年になった私は、ある日その日課に終止符を打つ事となります。
人より成長が早く、いわゆる学生帽子頭から浮いてる系の小学生だった私。

大人から変な目で見られ始めたのです

次に私が現れたのは、街の公園の一番左のブランコでした。

次回へ続く…