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たまたま出来たのがおまえだった

楽しい出来事よりも悲しい出来事の方がよく覚えているのはなぜでしょう。どう考えたってコスパが悪すぎると思いませんか。

友だちの前で怒鳴りつけられたこと、約束していたおやつを買ってもらえなかったこと、話しかけて無視され続けたこと、1人だけ家族旅行に連れていってもらえなかったこと、プレゼントを贈って目の前で捨てられたこと。

溜まり溜まった悲しい出来事がもう目から溢れるのも止め、

楽しい出来事のかけらを集めるのにも飽きて、

私の中から自己肯定感が徐々に消え失せた頃、

代わりに私の中には、異常なほどに

膨れ上がってしまった承認欲求がありました。


私が他の人より長けていたのは、おそらく「忍耐力」でした。ずっと耐えて、我慢して、何も考えちゃいけないって思うことに特化していた。

でもそんなものはいつか限界が来ます。

『その時』はすぐそこまで来ていました。

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ある日、私は両親にこういう質問をしました。

「おとうさんとおかあさんはどうして私を生んだの?」

これは小学5年生の時、教室で流行っていた質問でした。両親にこの質問をしたら高確率で「あなたに会うためだよ」と答えられるという説が立っていたのです。水曜日の番組みたいに、説立証のために私たちは検証に入りました。

やめとけ!それだけは聞くな!

後悔しかありません。深く考えていなかったんです。

この質問をすることは、私の存在を全て否定される可能性を孕んでいたことを、10歳の私は想像することが出来ませんでした。この質問をしたときの、上からコンクリートブロックを叩きつけられたような衝撃と、花嫁さんが着ているドレスの色ぐらい目の前が真っ白になったことは多分一生忘れないでしょう。

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望まれてこの世に生まれてきた友人たち。

たまたま出来ただけの私。

あ、やっぱりそうだったんだ。

この世界に、私を認めてくれて、私を必要としてくれて、私に興味を持ってくれる人なんて誰もいないんだ。

何を言われても結構耐えていた私でしたが、正直、この言葉を乗り越えるのには無理がありました。

愛して欲しい、私を見て欲しいと思う気持ちと、

やめよう、この人たちに執着するのは良くない、早く離れないといけないと思う気持ちが、

拮抗して、

対立して、

相打ちに相打ちを重ねた結果、

共存しようとし始めていました


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