見出し画像

生命力に溢れた国、カンボジアの話をします

外出自粛でとても暇なので、学生時代にインプットしたことをアウトプットしてみようと思ってnoteを始めてみました。試行錯誤で書いています。

確かにおうち時間は苦痛だけど
ご飯が食べれて、生きていられて、コロナが収束したらまた学校に行ける。
それができることが幸せだとわかれば、苦痛なおうち時間も乗り越えられるかなと思います。

私は文を書くのが大の苦手で語彙力もないので不安ですが、誰かの心にこのお話が残ればいいなと思って書きました。



大学1年生の春休み、私はNPO法人HEROのツアーに参加してカンボジアに行きました。

ちなみにHEROは楽しいプロジェクトをたくさん企画しているので、興味ある人は是非!
(私は個人的に次は花火のプロジェクトに参加したいです)

画像1

このときは人生2回目の海外、人生初めての東南アジア、人生初めての途上国、そして人生初めてのボランティア。

たった10日間の経験だったけど、自分の価値観が180度変わったと思っています。それくらい意味のある経験でした。


【観光と勉強編】

初めての新興国。たくさんの驚きがありました。

バイクの4人乗り、物乞いをしている子供達、大規模な交通渋滞、初めて見るトゥクトゥク、ホテルのシャワーから出てくる変な色の水、、、

空港から出た瞬間、見るもの全てが異次元でした。

画像2


キリングフィールド
トゥール・スレン収容所
アンコールワット

など、首都プノンペンと​大都市シェムリアップの有名な観光地を訪れました。

アンコールワットは、世界遺産です。
春分の日と秋分の日だけ、
朝日がこの真ん中のてっぺんから登るように作られてるそうです。
何の技術もない古代の人たちが作ったと思うと、驚きます。

私がアンコールワットに行った日は、春分の日まであと数日だったので、少しずれていました。

画像3


観光中、特に衝撃的だったのはトゥールスレン。
ここではポルポト政権の大量虐殺について学びました。

実は約50年前、カンボジアでは内戦があり、知識人を中心に国民の3分の1である約300万人が老若男女構わず無差別に虐殺されました。
ただメガネをかけているだけで、知識人だと思われ、収容所に入れられ、死を待つ過酷な生活をしていたそうです。
知識人を殺す理由は、政府に反逆させないため。

トゥールスレンには2年9か月の間に14,000~20,000人が収容されたと言われ、

そのうち生還できたのは、たったの

8人

私は言葉を失いました。
こんな世界があっていいのか。
怒り、悲しみ、虚しさ、驚きで何も言えませんでした。

なによりも残酷だったのは、このトゥールスレン収容所は、もともと子供たちが勉強していた学校であったということ。

画像4

画像5

実際にこのベットの上で拘束されていた方がいます。

他にも血のあとや、HELPと刻まれた壁など彼らが生活していたまま生々しく残されていましたが
私は怖くて写真を撮ることができませんでした。

また、キリングフィールドでは、
今でも雨が降ったあと
亡くなった方の骨が見つかることもあるそうです。

当時、小さな子は、太くて大きな木に打ち付けられて亡くなりました。

あれから50年たった今、その木はそのまま成長しています。
子供が打ち付けられた部分は、色を変えて大人の目線より少し上にあります。

画像6


この悲しい出来事は、
みんなが知るべき過去で
絶対に忘れてはいけない
絶対に繰り返してはいけないものだと思います。

【小学校建設編】

内戦中に知識人が殺されてしまったので、カンボジアでは学校も先生も足りていません。
そこで、多くのNPO団体が学校の建設に取り組んでいます。

HEROもその1つです。
私たちはシェムリアップからバンに乗って3時間くらい?の農村地域に行きました。

画像7

学校に行くまでの道はこんな感じ。
痩せこけた牛?(不明)がたくさんいました。


学校では気温30度越えの中、子供と遊んで校庭の遊具を作っての繰り返し、、、

大変だったけど
何よりも、この暑さで長袖を着ている子供に驚きました。

画像8

教室はこんな感じでした。
気温30度越えだけど、もちろんクーラーも扇風機もありません。

インフラがままならないこの地域では
水は井戸から。
トイレもボットン便所でした。

校庭には大きな石が落ちていて、そこを子供が裸足で駆け回っています。

画像9

画像10

お昼ご飯休憩中は、ご飯がない子がこうやって外から見てくるんです。
これが辛くて、(暑さのせいもあり)この時私はあまりご飯を食べれませんでした。


カンボジアに学校を建設すると
入学率はほぼ100%になるけど、卒業率は50%まで落ちてしまうという話を聞きました。
それには経済、インフラ、人材不足など様々な問題があるのでしょう。

学校建設だけで救える子供は少ないということです。


これだけ見ると可愛そうな子供たち、、と思うかもしれないけど
カンボジアキッズは本当に幸せそうに笑うんです。

画像11

学校に着くとすぐに駆け寄ってきて
「おんぶしろ」と。笑

すごく人懐っこくて、可愛くて、たまらなく愛おしいんです。
狂いそうな暑さの中、全ての元気を振り絞って思いっきり遊びました。笑

画像12

人生初の運動会、はじめての綱引きで勝って笑顔の子供達。

画像13

画像14

画像15

画像16

この子たちにとったら、何でも遊び道具になるんです。楽しそうに笑う子供達の虜になりました。

カメラのために作った笑顔じゃなくて、こんな風な自然な笑顔を撮るのが楽しかったです。


突然ですが、高橋優さんの「福笑い」という曲をご存知ですか?

きっとこの世界の共通言語は
英語じゃなくて笑顔だと思う
笑う門に訪れる何かを
愚直に信じて生きていいと思う
誰かの笑顔につられるように
こっちまで笑顔がうつる魔法のように
理屈ではないところで僕ら
通じ合える力をもってるハズ

本当にこの通りなんだな、と。
言葉は一切通じなかったけど、それでも通じ合う何かがあって、同じ瞬間に一緒に笑えているって素晴らしいなと思いました。

私は小さい頃から不自由なく生きてきて、やりたいことをやってこれた方だと思います。
でも懸命に生きて、懸命に楽しんで、懸命に学ぶ姿勢を持つカンボジア子供たちの方がずっと生き生きとして見えました。

実際に、日本ではできるけどカンボジアではできないことは山ほどあります。
でも笑顔の量はカンボジアのほうが多いのではないかとも思いました。
あんな過去があったからこそ、みんな必死に生きているのかな。

何が幸せなのかは、わかりません。

とにかく私は、
小さなことに感謝して、楽しい時に笑って、一生懸命に生きたいな、と思いました。


私がこのボランティアで見たことも、学んだことも、やったこともほんの一部かもしれません。
「それでもやる」のと「何もやらない」のでは大きな違い。

今もこの学校で1人でも多くの子が楽しく勉強してたらいいなと願っています。

画像17

画像18


私の当たり前が、当たり前じゃないことを学んだ貴重な10日間でした。

実際に現地に行かないと、わからないことだらけです。

もっと旅に出たいな。

そして今日も後悔しないように一生懸命生きる!
と思って、これを書いてみたのですが、

何かおすすめのおうち時間あったら是非教えてください。


読んでくださりありがとうございました。