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日常の終わりに

 「あれだけ泣いたのは初めてかもしれない。」
歳を重ねるにつれて、あの日の出来事を鮮明に思い出せなくなっていく。そして、思い出す度に涙する自分に嫌気がさしていた。皆さんは身近の人の死を受け入れることができるか。鋼のようなメンタルを持っている人は別かもしれないが、、、
私はすぐに受け入れられない。一年半、二年も経てば流石に受け入れ慣れるのだが、それがどうにも怖い、怖いのだ。そう、まさにそれだ。

 私が小学四年生の十歳の時、大好きだった祖父が癌で亡くなった。祖父が亡くなって約一週間後に人生初めての葬式に行った。縁起が悪いと思われるが、私は胸がワクワクして今にも心躍りそうな気分だったのだ。葬式の会場は静まり返っていて、家族や親戚を見る限り皆私とは違い暗く、深い悲しみに包まれていた。その会場の空気に呑まれいつの間にか私自身も悲しいという感情を覚えた。

 葬式が始まった。長い長いお経は小さい子供に絵本を読み聞かせるような、言わば睡眠導入剤だった。そのさいか、途中涙が止まらずそれを一生懸命堪えようとしていたのだが、いつの間にか心のどこかで落ち着いていて、涙を流すという行為を忘れさせたのだ。

 それは十歳の子供に対してあまりにも理不尽で残酷で突然の出来事すぎて頭の整理が追いつかなかった。何よりも、いつも手を伸ばせば届く所にいた人の死を身近に感じられる機会がなかったため、葬式の最初の方は「ただ泣けばいいのか、
ひたすら泣いていればいいのだろうか、、」と
深く考え込んでいたのだ。おかしな男だ。
そんなの考えなくても誰でも分かるはずなのに。
本当は自分でも分かっているのだ。子供の私はまだ何も知らないから周りの空気を気にしてただ泣いていればいいのだと。それでも最初は泣くのを堪えていた。なぜ、泣くことを我慢していたのか。それは隣で号泣をかましていた母親を見ていたらなんだか泣けなかったのだ。いや、「ここで泣いたら負けだ」と自分の中で勝負をしていたのかもしれないからだ。なによりも、家族や親戚に私の泣いている姿を見られるのが恥ずかしくて嫌だったからだ。そう、私は十歳にして羞恥心というものを覚えたのだ。今振り返って見れば馬鹿馬鹿しくくだらない理由だと嘲笑されるかもしれない。だが、当時の私は自分の泣いている姿を見られるのが嫌で嫌でたまらなかった。それは今も同じなのかもしれない、、、、まるで、自分から相手に弱点を見せているようだからだ。それが弱さだと捉えられるのが心外だったのかもしれない、

 やっと式が終わって最後にもう一度だけ棺桶に入っている祖父の顔を見に行く時間があった。棺桶の中には、丁寧に入れられていた祖父の穏やかな顔があった。もう生前の時のように一緒にはいられない。そう、もう祖父とは笑い合えず、一緒に食事に行って美味しいものを共有できない。それを考えた瞬間、私の中の何かが崩壊していく音がした。さっきまで必死に我慢していた何かが。
あまりに安らかに眠っていたためつい三度見してしまった。そんなにその棺桶は寝心地が良いのだろうかと疑問にさえ思った。
そして、顔を見る度に祖父との思い出がよみがえってくる。祖父はどこか抜けていて私を、私達を笑わせてくれる暖かく包み込むようなお日様のような人だった。寿司を箸で食べずに手で食べていたのが一番印象に残っている。それを見て父が「お猿さんみたいだな」とか言うからトドメの一撃を食らったかのように腹を抱えて笑った。もし私が父だったら絶対同じ事を言っていただろう。そして、もし私が祖父であったらデリカシーのかけらもない父をぶっ飛ばしていただろう。全く親子というものは、いやでも考えることが同じである。他にも、父と祖父と私の三人で旅行に行ったり、和菓子をくれたり、、、、忘れているだけでまだまだたくさんある。思い出を掘り返す度に瞼に水が溜まっていき頬を伝ってどんどん溢れて止まらないのがわかった。滝のように流れてくる。懸命に堪えようとしても、「泣くな!泣くな!!」と心の中で叫んでも止まらない。
体は正直なものだな。祖父には私をここまで育ててくれた事の感謝と私という一人の人間と向き合ってきてくれた事への尊敬が芽生えた。私も祖父のような美しい歳の取り方をしたいものだな。

 あれから一週間が経とうとしていた。もう祖父が亡くなった事が遠い昔のように感じていた。
「おじいちゃん、、おじいちゃん、、、」と涙目になりながら隣の席の女の子にも聞こえない小さな声で言った。隣の女の子には聞こえていなかったので、安心した。安心した矢先に担任の先生に当てられてしまった。
「はい、この漢字なんて読むのでしょうか!」と先生が聞いてきた。簡単だがすぐに答えては先生に嫌な顔をされると思った私は少し考えてから、
「えーーと、ろうにん?です。」と自信満々に答えた。
「違います。正解は老人ですよ。はい、〜君漢字ドリル三周してくださいね〜」とざまぁみろと言っているような口調で言われた。多分その時はそう聞こえたのだろうか、満を持して答えたものを真っ向から否定されたような解釈をしてしまい、酷く落ち込んだ。
「あーそうか、あれは老人って読むんだな。後でおじいちゃんに怒られるな、、ダメだな、僕」と弱音を吐いた。放課後、友達と話しもせず、外で遊びもせずひたすら机に向かって漢字ドリルを黙々とやった。指に力を入れ過ぎたのか、指に痺れる感覚が走った。

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