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【立志編】大学院までの道

こんにちは!
今日は少し雑なブログという形で、「26歳専門学校卒で大学院を目指している私の近況と、最近得た知見」についてまとめていきます。
ちなみに、私が目指すのは社会デザイン系の大学院、MBA in Social designという学位が取れるのが魅力的です。

今は22時半、今日のTODOリストの最後にnote投稿が残っていたので気合で行くぞお!

【もくじ】
■大学院を目指した経緯
 1.海外就職には大卒以上でないと不利だと知ったから
 2.自分の薄っぺらさに気づいたから
 3.学ぶって楽しいと思える分野が見つかったから
■まとめ

■大学院を目指した経緯

私は元JALのグランドスタッフとして羽田空港で働いていました。
学歴は専門学校と通信制の短大の併修。
大学には行きたかった気持ちはありましたが、色々と事情があり断念。
これまで何度か学歴の壁に当たり、ムカついたり、悲しかったりしながらも、学歴を更新する事はしませんでした。
きっと学歴に悔いの残る方なら同じ様な気持ちを味わったことがあるのではないでしょうか。

では。そんな私がなぜ26歳の今、大学院を目指すのか?
それには大きく3つの理由があります。

1.海外就職には大卒以上でないと不利だと知ったから
2.自分の薄っぺらさに気づいたから
3.学ぶって楽しいと思える分野が見つかったから

1.海外就職には大卒以上でないと不利だと知ったから

みなさん、こんな調査結果を聞いた事はありますか?
「年収1,000万円までは、学歴と収入との相関があるが、1,000万円を超えると相関がなくなる」という。
そしてこれは、こういう意味だとも書いていました。
「会社員で1,000万円以上を稼げる可能性は高くない。つまり、1,000万円以上の収入を得ている者は社長なのだ。」と。
(元データ探しましたが見つからず…本当か都合よく編集された半偽データかは想像にお任せします、雑ブログなので許して。)

そうなのか!、じゃあ社長になれば学歴の壁を超えられるのだな!と20歳の私は思いました。
きっとそれは間違いではないと今でも思います。
GMOの熊谷さん、zozoの前澤さん、スティーブ・ジョブズだって高卒です。
いやいや、彼らは高卒と言ってもモノが違うでしょ!
と思う気持ちも分かりますが、それは今だから言えることだと思います。

前置きが長くなりました。。
まぁ私は社長になるという方法でいつか学歴の壁を超えると心のどこかで企んでいました。

そして今年2月、転機です。
起業を目論む私に、ベトナムで私史上最大かつ現実的なチャンスが巡ってきました。

ハノイ視察に行った際、現地のヘルスケア企業と一緒に新しい事業を立ち上げようという話になりました。
「最高!行くぞ!」
と、ビザや就労許可について調べていると、こんなことが発覚しました。

ベトナムでの就労許可取得には、4年制大学卒業かつ、5年以上の実務経験が必要。

NNAグローバルナビ

OMG!私失格ではないか!
これまで能天気に事業内容なんて考えていた自分がバカバカしくなりました。

もちろん、行こうと思えばやり方はいろいろあります。
社長として行ってしまえば働けるようですし、賄賂でも全然いけるよという情報もありました。

それでも、わたしにとって衝撃だったのは、
「海外で働くのに学歴が関係ある」という事実でした。

海外大好きだし、いつかフォーブスの次世代を創る女性的なランキングにも載りたいし、世界を股にかける女ってかっこいいのよねやっぱり。

かくして私は、
「もうこれは正面から学歴の壁を突破してやるばい!(佐賀県民)」
と思い、大学院を目指したのでした。

2.自分の薄っぺらさに気づいたから

童話3匹の子豚

私は旅好きで、JALで働き始めた19歳の頃からよく海外に行きました。
中でも東南アジアによく行き、ボランティアに参加する事もあり、
そんな経験を重ねていると、
ストリートチルドレンに出会ったり、詐欺にあったり、差別をされたり、見たり、児童労働に出くわしたり、
色々な社会の問題に遭遇します。

いつも心に重いものを抱えて帰国して。
何とも言えない感情でした。
そんな抱えて帰ってきたものが積み重なって、私はソーシャルビジネスをやろうと決意しました。

事業案を作り、人に伝えるうちに自分の薄っぺらさにみるみるうちに気づきました。
海外から持ち帰った耳触りがよく、感情に訴えかけやすいエピソードをいいように相手に伝える。
でも実際には、その社会課題がどのように生まれて、どうすれば解決できるのかは自分でも分かっていない。そもそも論理的な話すら構成できていない。
実績や学歴はなくとも、ある程度の勢いと目の輝きがあれば話に乗ってくれる人もいます、ありがたいです。

でも、こんな自分が立てる事業なんて、プレハブのように即席であり、吹いたら飛んで行ってしまう3匹の子豚の藁の家同然だと思いました。

何があっても崩れない、強いレンガの家を作るためにはどうするべきか。
土台をしっかりと固め、その上に事業を積み上げていく。
その土台が、大学院での学びにあると思ったんです。
時間とお金をかけてでも、やる価値が必ずあると思える様になりました。

3.「学ぶって楽しい」と思える分野が見つかったから

とはいっても勉強って辛い。。笑

社会人で学びなおそうと思った時、
大学 or 大学院
という選択肢があります。

私は大学院を選びました。
理由は、学びたい事が既に見つかっていたからです。

大学と大学院の違いの一つに、専門性の幅があると思います。
例えると、大学は、「東西南北、どの方向に進みたいですか?」
というのに対し、
大学院は、「あなたがたどり着きたい町はどこ?」
というレベルまで絞って学ぶ、というイメージです。

たどり着きたい町がある程度分かっていたら、大学院がいいのではないか、と色んな情報を漁っていて思うようになりました。

しかし、正直大学院を目指した当初、私は自分が目指す方向の解像度がそこまで高くありませんでした。
さっきの例えでいうと、
「うーん、なんか、北北西にきれいな町がある気がするんだけど、その町の名前と行き方がさっぱり分からない。」
というレベル。

「そんな人、大学院に向いてないし、もし入れても辛いと思うよ」
なんて言われた事もありました。

でも、あと少しで見つかると思った、というか見つけてやろうと思ったんですね。だって大学院行きたいんだもん。

そして今まで論文なんてほぼ読んだことなかったんですが、1ヶ月で50論文と専門書10冊ノックだ、と決めてとりあえずやってみました。

すると、論文ってすごいなと思ったんですが、
自分の興味関心のある方にどんどん導いてくれるんですね。
自分の中の言語化できていない思いや理想とする社会が、1日1日、少しずつ解像度が上がっていって。

30論文くらい読んだあたりで、
「私のたどり着きたい町の名前、分かっちゃったわ!」

となりました。
(これもきっと変わっていくんでしょうけど。)

そんな感じで。
卵が先かニワトリが先かはどっちでもいいので、気合で卵かニワトリを生み出した私でしたし、まじでどっちでもいいと思います。
そして方向性が決まってないと大学院に行くべきでないという言葉は、信ずるに値しないものだと思いました。(少なくとも頑固な人間にはですが。)

■まとめ

受験を控えた身での中間報告になってしまいますが、
私はこの受験を通して強く感じた事があります。

それは、
誰にも勧められず止められず、誰からも管理されず管理してもらえず、受かるも落ちるも超自分次第。
なこの社会人大学院受験という選択は、何とも言えない孤独感と辛さは付きまとうものの、最高に成長でき、自分を再発見できる経験だという事です。

学生時代は、お金も家庭も、自分でコントロールできる部分が少ないし、必ず誰かの干渉なんかが入りますが、社会人は自分の尻は自分で拭けます。
その自由度の高い挑戦が、私にとってはとても楽しいのです。
受かるか落ちるか、心配で悪夢を見る日々が続いていますが、この過程を出来る限り楽しもうと思います。

なんともう23時半になってしまいました。
大卒じゃない人間の出願までのロードマップや、何度かゲロや血反吐を吐いた研究計画書についても書きたかったんですがまた今度。

読んでくれてありがとうございました!

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